第16話

 岬灯火は今回のゲームにおいて、パートナーが刀也だったことを幸運であると同時に不幸であると感じていた。

 灯火は他の参加者と違い、別に借金もなければ組織に借りもない。

 ゲームに参加しているのは、それがクライアントからの依頼だからだ。

 灯火はある富豪のボディーガードをしている。

 その富豪がこのゲームを主催する組織の特別会員であり、ゲームの賭けの対象として灯火を指名している。

 自分で送り出した人間に賭けているわけだ。

 灯火が生き残ればそれだけクライアントが儲けることができる。

 クライアントにそれだけ実力を信頼されているということでもあるわけだが、灯火としてはわざわざ危険なゲームに参加しなければならないので、あまり気乗りはしていなかった。

 訓練を受けているとはいえ、何が飛び出してくるかわからない狼の武装や、灯火と同じように事情があってゲームに参加している猛者もいる。


早乙女刀也もそんな猛者の一人だ。

 灯火は刀也と何度か過去のゲームで鉢合わせている。

 その実力は灯火も認めるところだった。

 その点で言えば、今回のパートナーとして刀也が選ばれたことは僥倖。

 背中を預けるのにこれほど頼もしい男はいない。

 しかし、それと同時に灯火は一抹の不安を抱いていた。

 それは、刀也はなにか目的があってゲームに参加しているということ。

 その目的の内容までは知らない。

 しかし、刀也はその目的を達成するためならば、危険に自ら飛び込んでいくだろうことが容易に想像できた。

 それほど、刀也の眼差しは真剣であり、また追い詰められた人間のそれだった。

 その目的がなんであれ、非常に危うい。

 下手をすればパートナーである灯火も巻き込んで、面倒なことに発展させかねない。

 そんな懸念があった。


 そして、その懸念はどうやら正解だったようだ。

 偶然発見した赤の服を着た参加者二人。

 どちらもまだ十代と思われる、少年と少女。

 だが、刀也はその少女の方を見た瞬間、彼らを襲撃することを即決した。

 その有無を言わせぬ様子にただならぬものを感じた灯火は、事情を問いただした。

 が、その返答はなく、刀也は襲撃の計画を話すだけで聞く耳を持たない。

 この時既に灯火は嫌な予感を覚えていた。

 そして、その予感は外れていなかった。


 灯火は地面に倒れていた。

 その地面に、赤い水溜まりが広がっていく。

 それが灯火自信の体から流れ出た血だと、妙に冴えた頭で理解した。


 何が起きたのか?

 灯火は撃たれた。

 ただそれだけのことなのだが、その過程は信じられないようなものだった。

 刀也がやられた。

 それだけでも信じられないことだ。

 あの男の実力は狼を入れても上から数えたほうが早い。

 しかし、どんなに優れていても人間なのだから敗北することだってある。

 そこまでならばまさか刀也が、とも思わなくはないが、ありえないことではない。

 灯火がありえないと思ったのは、最善のタイミングで放ったドローンが、無効化されたことだ。

 イレギュラーの少年と、その護衛役である狼の少女が刀也に気を取られているその隙に、灯火はドローンを二人の至近距離にまで近づけることに成功した。

 避けることも防ぐこともできない。

 はずだったのに、ドローンの爆発は大した被害を与えられなかった。


 少年がとった行動は単純。

 ドローンを殴り飛ばした。

 ただそれだけ。

 殴り飛ばされたドローンはあらぬ方に飛んで行き、直後に爆発。

少年少女にちょっとした傷をつけるだけにとどまった。

確実に殺すために、至近距離にまで近づけたのが仇になった。

刀也がやられて判断力が鈍ったのかもしれない。

あと一秒でも爆発させるのが早ければ、その時点で勝負はついたはずだった。

しかし、現実には少年少女は無事で、灯火が逆に倒れている。


 ドローンを殴り飛ばして遠ざけるなんて、そんな方法で危機を乗り越えるのに驚いて身を乗り出してしまったのが悪かった。

 無防備に姿を見せれば、蜂の巣にされても文句は言えない。

 爆発の余波を受けながらも、そんな灯火の隙を少女は見逃してくれなかった。

 気が付けば灯火は地面に倒れふし、消えゆく命を自覚していた。

 焼きが回ったものだと、灯火は嘆息する。

 これから死ぬというのに、どうしたことか心の中は冷静だった。

 あるいは、既に焦りを感じる感情を司る部分が撃ち抜かれてなくなってしまっているのかも、などと考える。

 そのうち灯火の視界は黒ずんできて、目を開けているはずなのに前が見えなくなっていく。

 どちらにしろ見えないことに変わりはないが、死ぬ時くらいは目を閉じるかと、灯火は瞼を落とした。




 刀也の首元で電子音が鳴る。


『パートナーが死亡しました。あと10秒で首輪が爆発します』


 ついで、感情のない合成音声で死の宣告がくだされる。

 刀也は敗北したことを悟った。

 そこからの刀也の行動は素早かった。

 カウントダウンのつもりなのか、首輪からピッ、という電子音が鳴る。

 死を目前にすると周囲の動きがスローに見えるという現象を、刀也は実体験していた。

 刀也の目に、少年と少女が映る。

 少年はドローンを殴り飛ばして死は免れたものの、その殴った右手に爆発の余波を受けたのか、その手に血を流しながらうずくまっている。

 少女、憎き敵である式守優は、マシンガンの銃口をまだ二階に向けたまま。


またピッ、という電子音が鳴った。

 刀也は駆け出す。

 先ほど撃たれた傷の痛みも忘れて。

 どうせあと八秒で刀也は死ぬ。

 これから死ぬというのに、痛みなど感じていても仕方がない。

 ましてやそれで体の動きを鈍らせるなど、論外だ。


 ピッ。

 走馬灯だろうか。

 刀也は過去のことを思い出していた。

 刀也には尊敬する先輩と、可愛い後輩がいた。

 先輩の名は式守重三。

 後輩の名は佐藤和正。

 刀也はかつて、刑事だった。

 重三が目の前の優に殺され、刀也は刑事を辞めた。

 刑事を辞めなければ、優が入り込んだこのゲームを主催する組織への潜入捜査などできなかったからだ。


 ピッ。

 後輩の和正が組織の下っ端として潜入するかたわら、刀也は灯火と同じように、組織に出資している富豪の手駒として、外側から組織の実態を調べることにした。

 そして、その富豪に気に入られ、ゲームへと参加している。

 しかし、刀也の目的は組織の全容解明ではない。

 それができればそれに越したことはないが、こんなゲームを開催するような組織が一筋縄でいくはずがない。

 そもそもこんなゲームを日本国内でして、警察の目から完全に隠れられるわけがないのだ。

 おそらく、組織の中枢は警察と何らかの繋がりがある。

 それどころか、もっと上とも……。

 でなければ辻褄が合わない。


 ピッ。

 組織の情報を警察に届け出たとしても、握りつぶされるのがオチだ。

 だから、刀也の目的は組織の全容解明ではない。

 組織に身を寄せている、恩師の仇である式守優の抹殺。

 そのために、刀也はこのゲームに参加している。


 ピッ。

 優が近づく刀也に気づき、マシンガンの銃口を向けようとする。

 しかし、それよりも一歩早く、刀也の蹴りがマシンガンをその手から吹き飛ばした。

 武器を失った優に抱きつくように飛びかかる。


 ピッ。

 腕を取り、捻り上げ、床に押し倒す。

 ドラマでよく刑事が犯人を捕まえる際にやるあの動きだ。

 ここで本来ならばその手に手錠をかけるところだが、あいにく手錠がない。


 ピッ。

「式守優。殺人の容疑で逮捕する。なんてな」


 刀也は優を拘束したまま、体を密着させる。

 厳密には、その首輪が優の体に密着するように。

 首輪に仕掛けられた爆薬の量はそれほど多くない。

 しかし、装着者が必ず死ぬくらいの爆発は起きる。

 それを刀也は過去に参加したゲームで目撃していた。

 首輪が爆発すれば刀也は死ぬ。

 そして、その刀也と密着していれば、その爆発に巻き込まれて優も死ぬ。


 ピッ。

「優ちゃん。重三さんと、あの世で一緒に説教受けるぞ」


 刀也はかつて重三が生きていた頃のように、優に語りかける。

 重三が生きていた頃は、刀也も優のことを妹のように可愛がっていた。

 だから、地獄に一緒に落ちるのもやぶさかではなかった。

 しかし、それは叶わない。

 頭を揺さぶる、強烈な衝撃。

 思わず緩んだ手が、強制的に引き剥がされる。


ピー。

刀也が最後に見たのは、優の体から刀也を引き剥がした、少年の必死な顔だった。






 大吾は荒い呼吸を繰り返していた。

 全力疾走した直後のように、息が苦しい。

 呼吸を繰り返してもまるで酸素が取り込めていないかのように、息苦しさは収まらない。

 目の前には、大の字になった男の死体。

 パートナーが死んだことによって首輪が爆発し、死んだ。

 目の前で人が死んだ。

 しかも、殺したのは自分たちだ。

 その事実を思うと、余計に呼吸が荒くなる気がした。

 初日に目の前で爆散させられたカップルは、したいも残らなかったためにいまいち死の実感がなかった。

 三日目にメリーゴーラウンドで見た死体は、死を感じさせはしても既に死んでいるために過去のものだった。

 しかし、目の前の男の死体は違う。

 ついさっきまで動き、喋っていた人間。

 それが、死んで動かなくなった。

 もう目の前の男が起き上がることはなく、喋ることももうない。

 圧倒的な死の形が、そこに横たわっているかのようだった。


「落ち着いてください」


 過呼吸気味となっていた大吾を、優が抱きしめた。

 大吾の頭を胸に押し付けるようにして。

 しばらくはヒューヒューとそれでも荒い呼吸を繰り返していた大吾だが、しばらくしてその呼吸は落ち着いたものになっていった。

 呼吸が落ち着いてくると、人が死んだショックとは別に、じわりじわりと生き残ったという実感が沸いてくる。

 死んでもおかしくなかった。

 それどころか、生き残ったのは奇跡に思える。

 一歩何かが違えば、大の字になっていたのは大吾の方だったかもしれない。

 そう考えると、心臓が冷たく跳ねた。


「もう、大丈夫だ」


 本当はまだ大丈夫なんかではなかったが、大吾はそう言って優から離れた。

 そして、改めて死んだ男のことを眺める。

 男は優と知り合いのようだった。

 その男と優の間に昔何があったのか、大吾の知るところではない。

 しかし、男は優を殺すために行動し、そして死んだ。

 大吾が殺した。

 実際には刀也が死んだのはパートナーである灯火を優が撃ち殺したからであり、誰が殺したかといえば犯人は優ということになる。

 しかし、大吾は最後に男のことを殴った感触が忘れられなかった。

 まるでそのせいで男が死んだかのように感じられた。


 大吾は呆然と自らの右手を見下ろす。

 その手はドローンの爆発を受け、血だらけになっていた。

 その血にまみれた手で、大吾は男を殴り飛ばした。

 その血が男の返り血のように感じられ、大吾はそっと右手から視線を逸らした。

 痛みは麻痺してしまっているのか、感じられない。

 それが余計に、その手についた血が返り血に見える要因となっていた。

 頭の片隅ではちゃんと大吾が殺したわけではないと理解している。

 しかし、それでも自分が殺したという感覚がどうしてもぬぐい去れなかった。


 男を殴り、優を助け出したのは、咄嗟の行動で考えがあってのことではなかった。

 ただ無我夢中でしたこと。

 意識するよりも体が先に反応していた。

 優と大吾は本当のパートナーではない。

 だから、もし優が死んだとしても、大吾の首輪が作動するとは限らない。

 見捨てても良かった。

 しかし、そんなことを考える間もなく、気づけば大吾は男を殴り飛ばし、優から引き剥がしていた。

 そして、目の前で首輪を爆発させ、死んだ。

 そのタイミングがあまりにもあっていたために、余計に大吾が男を殺したという錯覚を植え付けている。


 生き残ったというのに、大吾はこのゲームが始まってから、もっと言えば人生の中で一番死を身近に感じていた。

 一人の人間の終わりを間近で見たことによって。

 死とは終わり。

 それが強烈な印象となって大吾の脳裏に焼きつき、言葉では言い表せない混沌とした思考となって渦を巻いている。

 大吾はそれを形にできぬまま、呆然と座り込んでいた。




 優はなぜ自分が大吾に惹かれたのか、その理由がわかった。

 大吾は同類になりうる存在だからだ。

 先程の奇跡のような勝利。

 それを掴んだのは、大吾の力だ。

 優のように場数を踏んだわけでもない大吾が、偶然と奇跡とを重ねて生き残ってみせた。

 偶然と奇跡を合わせて勝利を掴みとる力。

 それは、優と似ている。

 そして、親に虐待されていたという経緯もまた。

 あと大吾に足りないのは、殺人に対する意識だけ。

 常識にとらわれず、優と同じ目線で殺人を行うことができたら、大吾は優の同類となれる。


 今のままでも大吾は十分優を引きつけてやまない。

 そんな大吾が、もし優と同類になったらどうなるのか。

 優は自分自身でもそうなったらどうなるのか、想像ができない。

 大吾は今、その分岐点に立っている。

 ここで優がその背を押せば、こちら側に落ちてくるという予感がする。

 すなわち、大吾に本当に殺人をさせれば。


 優の頭の中には大吾をどうやって落とすかということしかない。

 かつて兄のように優のことを可愛がってくれた刀也のことなど、もうすでに忘れ去っている。

 殺した人間にはもはや興味がない。

 終わった人間のことをいつまでも覚えていても得がない。


 だから、その人間と深い関わりを持った、もう一人の存在のことも半ば忘れていた。


 光が通り過ぎる。

 切れ味だけは格別の、光が。

 裏切りの狼、和正の光る剣が、振り抜かれ、血が舞った。

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