第11話

 大吾と優が今回の食料の配布場所に到着したのは、告知のメールを受信してから一時間も経ってからだった。

 大吾の怪我のせいで移動に時間がかかったのもあるが、途中で争うような物音を聞き、迂回したのも大きな原因だ。


 大吾は物陰から慎重に配布場所を覗く。

 今回の配布場所はメリーゴーラウンド。

 通常のものよりもかなり大型のメリーゴーラウンドは、三段階に分かれている。

 外周を回る馬車。

 中央を外周とは逆方向に回る馬。

 そして、最上段を外周と同じ向きで回る一際豪華な装いの馬。


 本来であれば小さな子供たちが乗り、一時お姫様や騎士の気分を味わうべきアトラクション。

 そのきらびやかなアトラクションは、赤く彩られていた。

 おぞましい赤色に。


「うっ!」


 大吾はその光景に、小さなうめき声をあげた。

 狼がいるわけではない。

 いたわけでもなさそうだ。

 ただ、今回は食料配布場所のメリーゴーラウンド自体が、凶器となって襲いかかってきたようだ。


 メリーゴーラウンドの馬車や馬には、刃が取り付けられていた。

 それだけならあらかじめ心構えをしておけば避けることもできたかもしれない。

 ただ、その刃は最初隠れており、メリーゴーラウンドに人が踏み入れた瞬間に飛び出すギミックが施されていたのだろう。

突如出現し、回転しながら襲いかかってくる刃を、なんの警戒もしていなかった人間が無傷で避けられるはずもない。

 結果、切り刻まれた数人の死体が、メリーゴーラウンドと一緒にクルクルと回っている。

 所々で刃が飛び出したままになっていたり、収納と飛び出しを繰り返しているのは、人を切り刻んだ時に機械に不具合が生じたからか。


 初日の夜に爆破された男女を見て以降、初めて直視する人の死の光景。

 その爆破にしても、死体は木っ端微塵に吹き飛び、大吾が直視することはなかった。

 偶然倒せた狼の死体も、結局大吾は見ていない。

 人の死体を人生で初めて見た瞬間だった。


 大吾はこみ上げてくる吐き気を抑え、なんとか息を整える。

 喉の奥に酸っぱい味が広がるが、無理矢理飲み込む。


 遅れたことがかえって、大吾の命を救ったと、そう前向きに捉えるしかない。

 食料の配布にトラップが仕掛けられているなど、大吾だったら気づかずに引っかかっていただろう。


 大吾はもう一度しっかりとメリーゴーラウンドに視線を向ける。

 なるべく死体は見ないようにして、目的のものを探す。

 そして、メリーゴーラウンドの最上段、そこに、たった一つだけケースがあるのを発見した。


「あった」


 小さな安堵の呟きは、しかし次の瞬間驚きに変わる。


 少女がメリーゴーラウンドに無造作に近づき、ヒョイヒョイと回転する刃を躱して最上段にたどり着き、ケースをその手に取ってしまったのだ。

 その鮮やかな動きは、まるでそこに障害物などないかのようだった。

 大吾が文字通りあっと言う間には、少女はケースを手に取っていた。


「臙脂」


 少女が何事もなかったかのようにメリーゴーラウンドから降り、男にケースを渡す。


「いやはや。まさかこの時間でも残ってるなんて幸運ですね」


 臙脂と呼ばれた男が、ケースをしげしげと見つめながら言う。


「君たちもそう思わないかい?」


 そして、大吾たちのいる方を向いて、そんな言葉を投げかけた。

 臙脂と呼ばれた男の言葉に、真っ先に反応したのはそのパートナーの少女だった。

 丸いボールのような物体を大吾たちが隠れた物陰に向ける。

 それを、臙脂が手で制する。


 これといって特徴のない、どこにでもいそうな見た目だが、大吾は短い時間ながらその外見とは裏腹に、その少女がただものではないとわかっていた。

 わからざるを得なかった。

 メリーゴーラウンドからケースを取りに行った時の身のこなし。

 そして、大吾たちに躊躇なく武器を向け、そしてそれを即座に使おうとした即断力。

 何よりも、形状からどんな武器なのか想像することもできないが、狼が持っていたであろう武器を持っているということ。

 それはつまり、この二人が狼を倒しているということでもあるのだから。


 大吾と優の間に緊張感が漲る。

 武器を持っているという点ではこちらも同じ。

 ただし、相手は二人とも無傷らしいのに対し、大吾は負傷で戦力として数えられない。

 しかも、相手は偶然でもなんでもなく、おそらく実力で狼を下すような参加者。

 勝ち目があるとは、大吾には思えなかった。


しかし、話しかけてきた上に、相方の攻撃を止めたということは、交渉の余地はあるということだ。

少なくとも、臙脂という男の方はすぐに大吾たちをどうこうしようとはしていないのだろうということがわかる。

それに、二人の服は大吾たちと同じ赤色。

そして、現状赤と青の生き残り人数は拮抗している。

つまり、現時点ではまだ敵ではない。

同じ色の人間が違う色の人間よりも多く生き残っていなければ、賞金は出ないのだから。

赤と青の勢力が拮抗している今、同じ色の人間をわざわざ殺すメリットはない。


 不安があるとすれば、優が持つ狼の武器。

 武器があればそれだけゲームを有利に進めることができる。

 それは、同じ色の人間を殺してもお釣りが来るぐらいの大きなアドバンテージだ。

 それだけ危険もあるが、相手は狼を返り討ちにするほどの参加者。

 危険を押してでも優の武器を狙うことは十分考えられる。


 目線で優に前に出ないように促し、大吾は隠れたまま声をかけた。

「俺たちは同じ赤色だ」


 それを証明するように、袖だけを物陰から出す。


「ふうん」


 臙脂の面白がるかのような声が、耳に届く。

 臙脂の言葉や仕草は、大吾から見て胡散臭いものがあった。

 どうにも芝居がかっており、警戒せざるを得ない。

 それすらも計算に織り込んでそういう態度を取っているかのようで、大吾からすると底知れない不気味さがある。


「あ、そう。じゃあ、見逃してあげるね」


 この場の緊張感には似合わない、のんびりした声。

 街中で聞けば違和感が無いだろうそれも、こんな場所ではかえって不気味に聴こえてくる。

 少女の言葉は、ひどく上から目線であるのに、それを当然と思わせる何かがあった。


「おいおい。せっかく出会えた同胞にそれは冷たいんじゃないかい?」


 立ち去ろうとする少女と、それに安堵する大吾。

 二人を固まらせたのは、やはりと言うべきか臙脂の声。


「かわいそうに。こんな時間まで危険を冒して食料を求めてここまで来たんだろう? それなら、このゲームの先輩として施しをあげてもいいと思わないかい?」

「思わない」


 臙脂の芝居がかった大仰な身振り手振りの演説に、少女が冷めた口調で返す。


「そういうわけでこれは君らにあげよう」


 少女の言葉を無視し、臙脂がケースを放る。

 地面を転がったケースは、ちょうど大吾の目の前で止まった。


「ちょっと!」


 少女が本気で焦ったかのような声を上げる。

 そんな少女の顔に、臙脂が人差し指を立てながら手を近づけた。


「しー。静かにしないと、怖―い、怖―い、狼が目を覚ましてしまうかもしれないですよ?」


 傍から見ている大吾でも鳥肌が立ちそうな不気味さを醸し出す臙脂。

 目の前でそれを見せられた少女の心境はいかほどか。

 引きつったかのような表情がそれを物語っているようだ。


「では行きましょう」


 そして、何事もなかったかのように歩き去る臙脂。

 大吾の近くに転がったケースを一度見て、臙脂の後を追う少女。

 二人の姿が見えなくなって、それでもたっぷり時間を置いてから、大吾はケースを回収した。


 どうして臙脂という男がわざわざ手に入れた最後の食料を大吾たちに譲ったのか、理由はわからない。

 わからないが、助かったのも事実。

 胡散臭いことこの上なく、なにかの罠なんじゃないかと疑いたくなるが。


「俺たちも行こう」


 深く考えるのをやめ、大吾たちも移動を開始する。

 臙脂たちが去った方とは反対方向に。

 なるべくなら、今後関わりたくないという考えが、移動先にも表れていた。






 浩司は面白くなさそうに佇んでいた。

 それというのも、朝に出会った狼に手も足も出ずに敗走したせいだ。

 浩司はギリギリの命のやり取りを楽しむような異常者だが、あそこまで圧倒されれば悔しくもあり、情けなくもあった。


「うぅ」

「大丈夫だ。気をしっかり持って」


 聞こえてくる呻き声と、それを励ます声が、より一層浩司を苛立たせる。


 視線を声のした方に向ければ、昭信が傷ついた男を介抱していた。

 傷ついた男は今朝の食料配布のメリーゴーラウンドで、トラップの刃に腕を切られたのだ。

 その男がトラップに引っかかったからこそ、他のメンバーが傷つくことはなかった。

 しかし、だからといってこの男を褒めることはできない。


 男は食料ケースを発見するやいなや、昭信の慎重にという声を無視してメリーゴーラウンドに飛び乗り、傷を負ったのだ。

 それだけならまだ男の自業自得の過失で済むが、救出された男はあろうことか、忠告をした昭信になぜ止めなかったのかと罵倒を浴びせたのだ。

 止めたのに突っ込んだのは自分であるのにも関わらずだ。


 その身勝手な振るいに、もともとの無様に負けた苛立ちと相まって怒りを覚える。

 男の身勝手な罵倒を黙って聞いているだけでなく、責任を感じたのか自ら甲斐甲斐しく介抱する昭信の姿にもまた、言いようのない苛立ちを覚えていた。


 食料はちゃんと確保できた。

 どうやら浩司たちが一番乗りだったらしく、手付かずの状態だったため、手がある分、いくらでも持ち帰ることができたのだから。

 しかし、本来ならもう四ケースは持って帰ることができたはずなのだ。

 負傷した男が持てただろう二ケースと、その男を担ぐために手の塞がった昭信の分の二ケース。

 それでも十分全員分の食料を確保することはできたのだが、現場で男の行動を見ていた他のメンバーの心象は悪い。

 その上、そんな男を怒るでもなく介抱している昭信に対しても、不信感とまでは言わないまでも、煮え切らない感情を抱いているようだ。


 メンバーの中に芽生えた不和の種。

 それは浩司の待ち望んでいたトラブルに繋がるはずだった。

 しかし、浩司は今それを望んでいるのかと言われると、どうにも素直に頷くことができない。

 昭信に情が移って、この臨時のチームが崩れることを恐れた、わけではない。

 ただ、今の敗北に打ちひしがれた状況では、せっかくの舞台も存分に楽しめないと思ったからだ。


 あの狼は強かった。

 しかもそれは、武器の性能以前の強さ。

 おそらく剣道経験者だろうというのは、初日の夜の遭遇の時にわかっている。

 しかし、剣道経験者だからといって、実戦でそれが役立つかというと、必ずしもそうではない。

 剣道はあくまで競技であり、打ち込む場所は決まっているのだ。

 それゆえに、何でもありの実戦では、相手の予想外の攻撃に対処できないこともままある。


 それなのに、あの狼は目潰しにも対処してきた。

 しっかりとした武道を修めつつ、喧嘩慣れしている人間の対処だった。


 浩司も総合格闘技をしていて、実戦経験も積んでいる。

 天才とまで言われ、今まで負けという負けを経験したことなどなかった。

 それは、武器を持った過去の狼たちを相手にしてさえも。


 その浩司が、手も足も出なかった。

 対等な殺し合いなどではなく、手加減された上でなお軽くあしらわれた。

 こんな屈辱は今までに経験したことがない。

 しかし、リベンジを果たそうにも、いくら脳内でシミュレーションしても勝ち目が見えてこない。


 浩司は初めて、武器を欲した。

 あの狼を倒せるだけの武器を。

 あの狼が全力を出してなお、叩きのめすことができる力を。


 そのためには、他の狼を倒して武器を奪うしかない。

 しかし、浩司が狼を倒すと提案したところで、昭信はそれに賛同しないだろう。

 普段であれば。


「大林さん、ちょっといいかな?」


 浩司は昭信に声をかけた。

 昭信は男の介抱を中断し、浩司に向き直る。


「今朝のミッション、覚えているかな?」


 今朝のミッションは、食料配布だけではなかった。

 ハンターを今日中に倒さなければ、狩人なる存在が追加されるというミッション。


「俺たちで、狼を倒しに行かないか?」


 そのミッションこそが、浩司の提案を押し通す材料。


「狩人は前のゲームの時にも出たことがあったらしい。俺は実物を見たことはないけど、狼よりも厳重な武装に身を包んだ歩く殺戮兵器だそうだって」


 それは過去、浩司が参加した時に聞いた話だ。

 ちなみに、この話をしたのは南雲。

 その南雲も実物を見たことはないそうなので、南雲もまたその前のゲームに参加した人間から伝え聞いたことなのだろう。


「狩人が追加されれば、俺たちの生き残れる確率はぐっと下がる。人数の多い俺達で、狼に挑むのが最も効率的だと思わないですか?」


 昭信だけでなく、その場にいる全員に言い聞かせるように語る。

 尻込みするような雰囲気を感じるが、気にしない。

 最終的に説得し、丸め込んでしまえばいいのだ。


「狩人の件だけじゃない。狼さえ倒せば、その分脅威が減るわけです。おまけに、こっちはその狼が持っていた武器を奪うことが出できる。一石二鳥どころか一石三鳥だ」

「けど、その分危険も大きい」

「それはここに隠れていても同じでしょう? 見つかれば否応なしに戦わざるを得なくなる。今は動けない怪我人もいることですしね」


 浩司は昭信の反論によどみなく答え、寝転がる傷ついた男に冷ややかな視線を向ける。


「だったら、不利な迎撃じゃなくて、こっちから奇襲をかけたほうが断然勝率は高いでしょう?」

「それは、そうだが」

「しかも、俺たちは狼の一人がどこにいるか知ってる。そいつがおそらくそこから動かないだろうことも」


 その狼の情報は、ジェットコースターの発着場にいた少年から聞き出したもの。

 この人工島と本土とを繋ぐ橋の前に居座る、ゲートキーパー的な存在。

 だからこそ、その狼はその場所から動かない。

 参加者の脱走を防ぐためにそこにいるのだから。


「狼といっても、中身は人間です。今朝俺が引きつけたやつみたいに。同時に複数人でかかれば倒せない相手じゃない」

「けれど、今朝足立くんは負けた」

「それは俺が一人で挑んだからです。しかも、今朝のあれは足止めすることを前提にしてましたから」


 本当は違う。

 倒す気で挑み、返り討ちにあったのだ。

 しかし、そんなことは口にしない。


「今朝みたいに、先陣は俺が切ります。みんなは俺の後に飛び込んでくれればいい」


 誰だって、死ぬのは怖い。

 死ぬ確率の高い先陣を切れと言われて、はいわかりましたと言える現代人はいない。

 浩司のような異常者でなければ。

 その浩司が先陣を切るという。

 他の人間は、それよりも安全度の高い追撃。

 それならばと少しだけでも思わせられれば、浩司の勝ちだ。


 そこから浩司は言葉を重ねる。

 いかに狩人が追加されれば危険なのか。

 いかに狼を狩れば有利になるのか。

 こんこんと説得する。


「わかった。夜になるまでに狼が討伐されなければ、行こう」


 そしてついに、昭信がそう決断した。

 それに、浩司は内心で笑みを浮かべた。






 幸子は不機嫌さを隠そうともせずに、大股で歩いていた。

 とは言え、女子の平均身長しかない幸子の足では、いくら大股で歩こうとも、男子の平均よりやや高い身長の臙脂をおいてけぼりにすることはできない。

 コンパスの差がある。


「どういうつもり?」


 刺々しい口調になるのも仕方がないだろう。

 せっかく手に入れた食料を、この男はあっさりと見ず知らずの参加者に渡してしまったのだから。


「この方が面白くなりそうなので」


 幸子の問いに、臙脂は答えになっていない答えをよこす。

 それがまた幸子の癇に障るのだが、怒りをぶつけたところでこの男はのらりくらりと躱して堪えないだろう。

 幸子は内心の怒りを溜息と一緒に吐き出すよう努力した。


「溜息なんか吐いてると幸せが逃げますよ?」


 誰のせいだ!

 という瞬間的に再燃した怒りを、なんとか飲み込む。

 パートナーでなければ今すぐ殺している。

 どうして味方であるはずのパートナーに、ここまで苦しめられなければならないのか。

 幸子は釈然としない思いに襲われる。


「ふふ。まあ、理由はちゃんとありますよ?」

「なによ? その理由っていうのは?」

「教えません」


 その馬鹿にしたかのようなイヤらしい笑みに、幸子の何かがブチッと切れかける。

 深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 臙脂という男はこういう人間なのだ。

 敵でも味方ですら厄介。

 存在自体が厄のような男。

 だから、会話を交わすだけ無駄なのだ。

 徹底的にその存在を受け流さなければならない。

 それがどれほど難しいのかは、幸子がよくよく味わっているところではあるが。


「どうなるか楽しみだなー」


 そんな怒りに震える幸子を楽しそうに眺めながら、臙脂は幸子にも聞きとれないくらいに小さく呟く。


「期待してるよ、柏木大吾くん」

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