第10話

「ここから移動しよう」


 三日目の朝。

 大吾は優に、今後の行動について、そう切り出した。

 狼の男に襲われ、しこたま殴られた痛みのせいで昨日はろくに動けなかったが、それも一晩経ってかなりマシになってきた。

 相変わらず腹部を中心に、胸などが痛むが、立ってゆっくり歩くくらいはできる。

 立つことさえ困難だった昨日に比べれば、かなり回復したと言えるだろう。

 それでも、走ったりの激しい運動はまだできそうにない。


 大吾が移動を決意したのは、ここが昨日狼の男に見つかった上に、その場で戦闘を行ってしまったからだ。

 狼の男が所持していた武器は、マシンガン。

 その音はかなり響いていた。

 他の狼や参加者に聞かれていてもおかしくないほどの轟音だった。


 大吾としては、すぐさま場所を移動したほうがいいと思っていた。

 しかし、大吾の怪我がそれを許さない。

 立つことさえ困難な状況で、移動などできるはずもない。

 優に支えてもらうにしても、彼女は見た目中学生くらいの小柄な少女。

 大吾も小柄だが、それでもれっきとした男性である以上、小柄な少女が支えて移動するのは無理があった。


 そういった事情もあって、一晩傷の回復を待ち、翌朝に移動することを決意した。

 大吾はいつ他の狼や参加者が銃撃音を聞きつけてやってこないか、気が気ではなかったが、そこは運が味方したようだ。

 誰も訪れずに一晩経ったのだから、そのままここにいてもいいのではないかと一瞬考えたが、大吾はそれを頭を振って否定する。

 ここは一度見つかっている上に、近くには狼の男の死体が転がっている。


 優に聞いた話では、大吾が気絶した後、狼の男は半ば自滅するような形で、発進するジェットコースターに乗ってしまい、そこから落下して死んだらしい。

 優は狼の男の死体から武器であるマシンガンと弾薬を抜き取り、他はそのまま放置したそうだ。

 その判断は正しいだろう。

 しかし、近くに死体があるということは、それを発見した人間がいれば、この場所が疑われるということでもある。


 初日から拠点にしているこのジェットコースターの発着場だが、そろそろ他の場所に移動すべきだろう。

 それに、そろそろ確保した食料が尽きる。

 狼の男に遭遇する前の予定では、二日目の夕のミッションで新たな食料を確保するつもりでいた。

 しかし、結局大吾が動けなくなったことでその予定は狂った。

 怪我の功名、とはまた違うが、腹の痛みのせいで大吾はまともに食事ができず、そのおかげで食料を食べきってしまうということはなかったが、それもこの朝で尽きる。

 食べ物はまだいいが、水がなくなるのは問題だった。

 どのみち、この朝にあるだろうミッションには参加せざるを得ない。

 それと同時に、移動もしてしまおうと大吾は考えていた。


「わかりました」


 大吾が自分の考えを説明すると、優はあっさりと賛同してくれた。

 最後の食料に手をつけながら、スマホにミッションの通知がくるのを待つ。

 まだ腹の痛みが残っているので、大吾は水分と消化の良さそうなものを少しだけ貰い、残りは全て優に回す。

 動きの鈍くなった大吾よりも、武器を持った万全の優の方が重要度は高い。

 中学生くらいに見えるような女の子に守ってもらわなければならない現状に大吾の自尊心は傷つけられるが、そんなことを言っている余裕もない。


 スマホの音が鳴る。

 待っていたミッションの告知、ではなかった。

 ミッションの告知には変わりないし、食料の配布場所も書かれている。

 しかし、そこには余計なものもあった。


『ミッション!

 やあ! 今日もいい天気だね!

 一日の始まりは優雅なコーヒーにパンがいいよね!

 それとも和食はだったかな?

 今日のご飯を置いておいたから、みんな取りに来てね!

 そうそう。

 狼くんたちが退治されちゃったから、新たに狩人くんたちが準備を始めたよ!

 今日中に狼くんの数を減らさないと、明日から狩人くん10人が参加しちゃうんだ!

 狩人くんが参加しちゃわないように、狼くんを一人でもいいから倒そう!』


 狼が倒されたから狩人が参加しようとしていて、その狩人を参加させないよに狼を倒す。

 意味のわからない状況だが、つまり、狼を今日中に倒さないと、狩人なる存在が増えるということか。

 狼に狩人、というと、狩人が狼を退治してくれそうなものだが、そういうわけでもないのだろう。

 名称が違うだけで、狼が増えるようなものだと考えたほうがいい。


 大吾はスマホの画面を睨みつけ、すぐさま気持ちを切り替えて食料のある場所を示す項目を開いた。

 狩人のことは気になるが、大吾に狼と戦うすべはない。

 あるとすれば、それは優に狼と戦ってもらうというものだ。

 怪我をしている大吾では、足でまといにしかならない。

 優にすべてを任せることになる。

 そんなこと、できるはずもなかった。


 狩人のことは他の参加者に任せるしかない。

 本来ならば狼の武器を所持している大吾たちが最も勝率が高いのだろう。

 しかし、それを言うならば、大吾たち以外にもあと二組、狼を倒しその武器を奪った参加者がいるはずだ。

 その二組に期待するしかない。


 大吾は自分にできることを優先する。

 まずは食料の確保。

 次に新たな拠点となりうる場所探し。

 それを達成するために、大吾と優は動き始めた。







 浩司は昭信を含めた数人の男たちと一緒に、食料の確保に動いていた。

 昭信が引き入れた参加者たちの数は多く、その分消費される食料の数も多い。

 こうしてミッションが発令されるたびに、男たちで食料の確保に乗り出すのが恒例となりつつあった。


 大勢で動けば、それだけ狼の目にとどまりやすい。

 浩司としては、それは歓迎すべき事態なので全く問題ない。

 が、幸か不幸か今のところ狼に遭遇したことはなかった。


 そう、なかった。

 過去形だ。

 浩司は視界の端に映ったそれを見て、自分の口角が上がるのを自覚した。


「あそこに狼が」


 小声で、昭信に知らせる。

 昭信と、その声を拾った近くにいた男がギョッとする。

 そこにいた狼は、ちょうど浩司たちの進行方向、避けられない場所に座っていたのだ。


 迂回する道がないわけでもない。

 しかし、迂回をすればそれだけ時間を食うことになる。

 食料調達のミッションに時間制限はないが、初回以降、置いてある食料ケースの数は回を重ねるごとに減っていっている。

 まだ生き残っている人数分をわることはないが、それも一人一ケースで考えた場合のことで、一人二ケース三ケースと確保されると、食料にありつけない人間が出る。


 それだけならまだしも、食料が置いてある場所を狼に発見されれば、そこに居座られて断念せざるを得ない状態になることもある。

 確保できる時に、なるべく多く確保する。

 そうでなければ、いつ食料難になりかねない。


「俺が囮になって注意を引きます。その間にみんなは走り抜けてください。帰りは別ルートで行けば大丈夫でしょう」


 浩司の提案に、昭信は難色を示すように眉を寄せる。

 しかし、浩司はそれを見なかったことにして、そのまま狼に向かって走り始めた。


 状況から言って、浩司の提案を飲むしか昭信に選択肢はない。

 そういうふうに浩司がした。


 浩司はベンチに座っている狼に向けて、一直線に駆けた。

 狼が居眠りをしているのを、知っていて。

 狼だって中身は人間だ。

 食べるし、眠る。

 慎重に起こさないように進めば、あるいは気づかれることなく横をすり抜けられたかもしれない。

 しかし、それでは、浩司が面白くない。

 浩司はそういう度胸試しのようなスリルを味わいたいわけではない。

 それよりも一歩進んだ、殺し合いによるスリルこそが、浩司の求めるものなのだから。


 疾走する浩司の気配に気づいたのか、狼の男がサッと立ち上がる。

 黒いフード付きのロングコートを着た長身の男だった。

 フードに隠れてその顔は見えない。

 手に持っているのは、奇妙な形状の長い棒。


 浩司は浮かんでいた笑みを深くした。

 あの棒には見覚えがあったからだ。

 初日の夜、初めて遭遇した狼。

 その武装。

 暗がりの中で狼本人の姿はほとんど見えなかったが、その光る剣にははっきりと見覚えがある。


 しかし、今その剣に光は点っていない。

 どういう原理のものなのかはわからないが、それがどういう武器なのかの想像はできる。

 光っている間は、おそらく熱か何かで切断力を増し増しにされた近接武器なのだろう。

 しかし、光っていない今、それは単なる棒でしかない。


 なめやがって、と浩司は思う。

 その武器を光らせるのに時間は必要ないことは、初日の夜に確認済みだ。

 奇襲をかけた浩司を迎撃し、それまで光らせていなかったその棒を一瞬で光らせたのだから。

 明らかに戦闘を仕掛けるつもりで突っ込んでくる浩司に対し、狼は棒を構えはしても、光らせはしていない。

 それは、光らせなくても浩司をどうにでもできるとういう、意思表示にほかならない。


 その油断が命取りになるのだということをわからせるために、浩司は狼に向けて大きく踏み込む。

 大振りでがむしゃらのテレフォンパンチ。

 に見せかけ、狼の間合いの一歩外で急停止。

 突っ込んでくる浩司にカウンターをお見舞いしようと構えていた狼に、拳を開きながら振り下ろす。

 その手の中にあった、砂粒を狼の顔面に投げつけて。


 フードで隠れていても、視界を潰される砂かけ攻撃は有効。

 狼は顔面に向かう砂粒を手でガード。


 その瞬間、本命である浩司のナイフが、狼の体を刺し貫こうと迫る。

 狼はそれを察知して、左手で砂粒をガードし、右手に持った棒を振って、浩司のナイフを迎撃した。

 浩司のナイフを持つ手に衝撃が走る。


 さすがの浩司も、嘘だろ!? と、驚愕する。

 その驚いている隙に、砂粒を払った狼の左拳が、浩司の顔面に見事にヒット。


 浩司はその衝撃にあえて任せ、吹き飛ぶように狼から距離を取る。

 転がるように受身をとり、そのままの勢いでバッと身を起こす。


 危なかった。

 狼の拳は、頭を揺らすように計算されて繰り出されていた。

 顔面に食らったことに変わりはないが、浩司は食らう瞬間に、軸を少しずらし、致命的な一撃にならないように回避していた。


 浩司は初日の夜に感じたことを、再度確認する。

 この狼、強い。

 武器の強さではない。

 狼本人の戦闘力がそもそも高い。


 浩司は背後で昭信たちが走り抜けるのを音で察した。

 同時に、狼の首が僅かにそちらに向いたのがわかる。

 その隙をついて、浩司は踏み込、もうとして、転がるように地面にキスをすることになった。

 横薙ぎの一閃を躱すためだ。

 隙なんてあったもんじゃない。


 が、地面とキスをしながらも、浩司は跳ねるように飛び起き、攻撃直後の無防備な狼の体にナイフを振り上げる。

 それすらもヒョイと簡単に躱され、浩司は苦笑する。


 勝てるビジョンが思い浮かばない。

 光を灯していない武器、つまりは手加減された状態でさえ、浩司の付け入る隙がない。


 浩司は一旦下がり、苦し紛れにもう一度地面をかきむしって砂をつかみ、投げつける。

 その結果を確認せずに、昭信たちのあとを追って、一目散に逃げた。

 浩司のその狼との二度目の邂逅もまた、完全敗北に終わった。

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