第9話

 大吾はそのメールを見た時、己の目を疑った。

 しかし、何度見直してみても書かれている内容に変化はない。


『おめでとう! ミッションクリアだよ!

 四つのエリアがボタンを押すことに成功したよ!

 残念ながらアウトになってしまったエリアは、森林エリアと水泳エリアだよ!

 以後、森林エリアと水泳エリアには侵入できなくなるから気をつけてね!』


 前に送られてきた狼が撃退されたというメールの内容にも驚いたが、今回のものにも同じくらい驚かされた。

 内容それ自体に問題はない。

 もともと発令されていたミッションが終わったことを告げているだけだ。

 大吾自身、狼と遭遇していなければ参加しようと思っていたミッションであり、その成否によっては今後の展開がガラっと変わってしまうような重要なミッションだった。

 他の参加者が動くのもおかしなことではない。


 人工島に建設されているこの巨大テーマパークは、六つのエリアに分かれている。

 そのエリアのうち、二つが強制的に侵入不可能になる上に、下手をすればそれ以外のエリアも駄目になりかねないという、過酷なミッション。

 自分のいるエリアが侵入不可能になれば、それだけ今後不利な状況になるのは明白。

 脱出するために狼の徘徊している中移動しなければならないし、前の一日で慣らした土地勘も失われる。

 だからこそ、他の参加者も必死になってミッションをクリアしたのだろう。


 問題があるとすれば、その早さだ。

 スマホに表示された時刻を確認すると、12時23分。

 12時ちょうどにミッションが発令されたので、23分という短い時間でクリアされたことになる。


 一つのエリアと言っても、その範囲はなかなかに広い。

 大吾は初日の夜に、遊園エリアの端であり、この人工島と本土とを繋ぐ橋の手前まで移動している。

 その時に歩いた距離から、一つのエリアだけでも相当な広さがあることを知っている。

 大吾が知っているのは遊園エリアだけだが、六つのエリアは同じ広さで変わりはない。

 設置されているアトラクションの関係で、移動できる範囲に違いはあるが、広さ自体は変わらないのだ。


 大吾は、今回のミッションをクリアできるかどうか不安だった。

 その広い範囲から、ヒントもなしにボタンを探し出さなければならない。

 狼が徘徊している中をだ。

 狼に見つからないように慎重に行動しつつ、広い範囲を探索する。

 制限時間の一時間というのは、かなり短い気がしていた。


 しかし、蓋を開けてみれば、四つのエリアがあっさりとクリアしている。

 制限時間の一時間、その半分にも満たない短い時間で。


 大吾はこれより前に送られてきたメールの内容を思い出す。

 それは、狼が撃退されたというもの。

 大吾と優が撃退した狼、だけではない。

 他に、同時刻に狼を撃退した参加者が、少なくとも二組いる。

 撃退された狼の数は、大吾たちが退けたのを含め、三。


 おそらくだが、残り二の狼は、ミッション参加中の参加者が返り討ちにしたのだろう。

 タイミングを考えるとそうとしか思えない。

 大吾と優は運悪く拠点にしているジェットコースターの発着場を発見されて、やむなく交戦に至ったが、他二組は必然で戦うことになったのだろう。

 そして、返り討ちにした。

 そんな参加者がいることにゾッとする。


 逆に、狼にやられてしまった参加者も多かったに違いない。

 参加者が減っても、いちいちメールで知らされることはない。

 スマホの残り人数の表示が、ひっそりとその数を減らすだけだ。


 現在の残り人数は、赤24、青28。

 二日目にして、半数近くになっていた。

 その減り具合に、実感がわかない。

 実際に死んだ人間を見ていないからか、大吾にはその数字が減っていくことに、誰かが死んだのだということを事実としてなかなか認識できなかった。

 初日の夜に目撃した、爆発させられた二人組がいたが、文字通り爆散してしまったため、大吾には目の前で人が殺されたという実感があまりなかった。

 これで焼死体となった元生きた人間でも見ていれば感想は違ったのだろうが。


 そもそも、ほとんどが見ず知らずの赤の他人。

 その赤の他人が死んだと言われても、いまいちピンと来ない。

 こんな異常な場所でなくても、世界のどこかでこの瞬間にも死んでいる人はいるのだ。

 それが自分になるかもしれないという恐怖はあっても、それ以外の感情は抱きにくかった。


 ただ、もしこの減った数字の中に、見知った顔がいたらと思うと、少し感情が動く。

 大吾の顔見知りなど、このゲームにほとんど参加していない。

 一人の例外を除き、初日に出会い、このゲームについてレクチャーしてくれた南雲とそのパートナーくらいのもの。

 南雲には世話になったし、もし死んでしまったら少しは悲しむだろうし、動揺するだろう。

 

 そして、例外の一人、大吾の母親。

 彼女が死んだら、自分はどう思うだろうと大吾は自問自答する。

 答えはわからない。

 喜ぶのか、悲しむのか。

 今までの仕打ちを考えれば、喜ぶかもしれない。

 しかし、親子の情というものがほんの少しでも残っているのなら、もしかしたら悲しむのかもしれない。

 もしかしたら、もうすでに死んでいるのかもしれないと思う。

 思うが、どうにも実感がわかず、何の感情も浮かんでこない。

 あの女が、今何をしているのか。

 生きているのか、死んでいるのか。






 大吾の母親、柏木京香の評価は、はっきりと二分されている。

 好意か、嫌悪かで。

 

彼女は見た目が良かった。

 一児をもうけ、四十を過ぎても若々しい姿を保っている。

 そして、その美貌を自覚し、使いこなしていた。


 京香は人の機微を感じ取るのが得意だった。

 相手が何を求め、どんな言葉を欲しているのか。

 それを感覚的に理解し、その時々で言葉と態度を使い分ける。

 それゆえに、京香と会話を交わした相手は彼女に好印象を抱く。


 反対に、京香を遠巻きに見ている人間は、そんな彼女の態度を八方美人の他人に擦り寄る女と見る。

 実際その通りであり、京香と接する人間でも、深く彼女のことを知ろうと思えば人によって態度を使い分ける姿を知ることになっただろう。

 それを知れば幻滅し、好意から逆の嫌悪を抱いていても不思議ではない。

 しかし、彼女の狡猾なところは、それを相手に悟らせない、絶妙な距離感を保つ平衡感覚にあった。


 深入りさせず、しかし離れすぎない。

 男には貢がせるだけ貢がせ、関係が進みそうになるとスッと身を引く。

 女には自分は見方だと思わせ、友情以上親友未満という立ち位置を確保し、それを維持する。

 さらにはそうした知り合い同士が繋がらないように、巧妙に人間関係を操る。


 だから、京香の本性に気づける人間は少ない。

 気づいたものは自然と離れていく。


 京香はそういった気づくかもしれないと思わせる人間には接触しない。

 接触しても、初対面でそれを見抜き、以後事務的な関係しか築かない。

 良くも悪くも、京香は人を見る目があり、人を操る術に長けていた。


 その能力をもっと別のことに活かせば、彼女の人生は変わっていただろう。

 彼女は三つの大きな過ちを犯した。


 一つはこの生き方を選択したこと。

 人を騙し、つけこみ、貢がせる。

 そんな犯罪者まがいの生き方を選択したこと。


 いくら京香が人心掌握に優れていても、限度というものがある。

 そんな風に人から金を巻き上げていれば、搾取されるだけの人間も牙をむくことがある。

 好意が嫌悪に、嫌悪が憎悪に。

 そうして増えた悪意を放置し、清算しなかったのが間違い。

 やがてそれらは大きな反動となり、口コミで京香の悪評は広まる。


 若いうちはそれでもよかった。

 京香には美貌があり、それだけでも言い寄る男は尽きなかった。

 しかし、いくら美貌を保とうと、重ねられる年齢を消すことはできない。

 歳を経るごとに周囲から男は消え、悪意だけが残っていく。

 京香が真に賢ければ、早々にこのような生き方から足を洗うべきだったと気づいただろう。

 しかし、彼女は世界の中心は自分であり、その他の人間は自分を生かすための装置だと信じて疑わなかった。

 だから、やめられなかった。

 一度覚えた楽な生き方を。


 二つ目のミスは、大吾を生んでしまったこと。

 実は京香自身、大吾の父親が誰なのか、わかっていない。

 当時付き合っていた男全員に思い当たりがあり、誰か一人を確実に父親だと判断できなかった。

 大吾の顔から、この人かも、と思われる男はいるものの、断定はできない。


 京香が大吾を生んだ理由は、それをダシにして男どもからさらにお金を無心するためだった。

 京香は当時付き合っていた男全てに、あなたの子だと、大きくなったお腹を見せて嘯いていた。

 そして、出産費用や養育費をねだる。

 大吾は我が子ではなく、金を生み出す道具としか見られていなかった。


 しかし、首尾よく男たちからお金をせしめても、問題は残る。

 何人かの男は責任を取って結婚しようと言い始める。

 その時に誰かの手をとっていれば、結果は違ったのだろうが、京香は誰の手も取らなかった。

 当時の京香は結婚して拘束される気などなく、まだまだ遊び暮らしたかった。


 その結果、京香は大吾を出産し、子育ての大変さを痛感する羽目になる。

 四六時中見ていなければならず、朝も昼も夜も関係なしに泣く赤子。

 毎日寝不足で、外に遊びに出る暇も気力もない。


 京香は子育てを甘く見ていたことを激しく後悔し、何度育児放棄してやろうかと思ったかわからないほど。

 しかし、そんなことをすれば、今まで築きあげてきたものが崩れてしまう上に、赤ん坊殺しをした母親という、正真正銘の犯罪者になってしまう。

 それだけは避けなければならなかった。

 その判断ができるくらいには、まだ冷静だった。

 幸か不幸か、こうして大吾は生き残る。


 だが、この時育児のストレスを男たちに当たり散らして発散したのは間違いだった。

 彼らはそんな京香から次第に距離を置くようになり、予定していたほどの金額をむしり取ることはできなかった。

 育児を甘く見ていたこともあり、京香の手元に残った金は泡のように消えていく。

 さらに子持ちであるという事実が、京香の周りから男を遠ざけ始める。

 男たちにとって、遊びならまだしも、貢ぐほどにのめり込むには、子持ちというのは重すぎた。


 結局、京香の女としての旬は、大吾を産んだことで過ぎ去った。

 欲をかかずに誰かと結婚し、家庭を築いていればそれなりの生活ができただろうに。

 京香はその選択を自ら捨て、それまでと同じように生きることにした。

 それが、泥沼に沈んでいく道だとも知らずに。

 少し考えればわかることだった。

 若さも美貌もいつかは失う。

 それに加えて子持ち。

 そんな女、いつまでもチヤホヤされるわけがない。

 しかし、京香は絶対の自信を持っていた。

 根拠のない、自分なら大丈夫という、自信を。


 そして、三つ目にして京香は踏んではいけないミスを犯す。

 いよいよ進退が危うくなってきた京香は、あろう事か裏組織の人間に手を出してしまった。

 若い頃の彼女ならば、一目で危険だと判断し、手を引いただろう。

 しかし、普段の生活にすら支障が出始めるほど、金がなくなり男がいなくなった焦りが、京香の目を曇らせた。

 男の方から近づいてきたため、後先考えずに食いついてしまった。

 それが、かつて搾り取っていた男たちの悪意の代弁者であると知らずに。


 京香は彼にまんまと騙された。

 騙され、それまで一線を越えずにいたのを、簡単に越えさせられた。

 あとは落ちるところまで落ちていくだけ。

 非合法の商売に手を伸ばし、闇金融に借金をし、それの取立てで自分の身を売る羽目になる。

 たどり着いたのは、命を賭けた狂ったゲーム。


 京香は全力でそのゲームへの参加を回避するために奔走した。

 そして思いついたのが、成長して手がつけられなくなってきていた息子を身代わりにすること。

 彼女の人生に邪魔な息子を自身の手を汚さずに排除しつつ、ゲームへの参加を回避できる一石二鳥の案。

 他人が聞けばなんと身勝手なと思わせる、胸糞の悪い案。

 けれど、京香にはとてもいい名案に感じられた。


 結果、本来関係ないはずの大吾がゲームに巻き込まれることになり、京香も逃れることはできなかった。

 元より京香を逃す気など、ゲームの主催者は考えていなかった。

 ゲームに参加させるために、声をかけたのだから。


 その男の名前は、上杉臙脂。

 詐欺師にしてゲームの参加者にして、ゲームの主催者の一人。

 京香を騙し、大吾をついでにゲームに参加させた張本人。

 

京香は決意する。

 このゲームで生き残り、かつ臙脂に復讐することを。






「ハックション!」

「うぇ、汚い。ちょっと寄らないいでくれない?」


 臙脂が盛大にくしゃみをし、唾を撒き散らす。

 その様子に、パートナーである幸子はサッと身を引いた。


「いやはや。誰かが僕の噂でもしてるんですかね? 人気者は辛いところです」


 幸子の悪口を何食わぬ顔で無視し、臙脂はティッシュを取り出して鼻をかむ。

 呆れた表情で臙脂のことを見守る幸子は、彼が本来持ち込めないはずのティッシュを平然と取り出していることにも、鼻をかんだそれが一瞬で手元から消えていることにもつっこまない。

 臙脂の行動の一つ一つがそれすなわち何らかの罠であり、彼の言動に付き合うとろくなことにならないという、過去の教訓からのあえての無視。

 しかし、だからといってすべてを無視し続けると、それはそれで問題を起こすのだから始末に負えない。

 上杉臙脂という男は、味方にいても毒にしかならないのだ。


 故に、幸子はパートナーでありながら、臙脂のことを敵とみなして行動している。

 死なれたら自分も死ぬ事になるので、殺すことはできないが。

 それは相手も同じはずだと幸子は思う。

 だからといって安心などできないが。

 生かさず殺さず、自分の理となるように相手をコントロールする。

 それができれば幸子に苦労はないが、相手は騙すことにかけてはプロフェッショナルである詐欺師。

 自分がコントロールされないように気をつけるしかない。

 それすら利用してコントロールされるんじゃないかと疑心暗鬼にさせられるのだから、上杉臙脂という男がいかに胡散臭いかがわかろうというもの。


 幸子は知らない。

 それでも上杉臙脂という男を、過小評価していると。


「で、この後どうするんです?」


 臙脂の問い掛けに、幸子は狼から奪った武器を掲げ宣言する。


「遊園エリアに行くよ」






「そうですか。その男に騙されてこんなゲームに」

「ええ、そうなんです」


 昭信は出会った女性から話を聞いていた。

 彼女とそのパートナーは、いずれも同じ男に騙されてこのゲームに参加したようだ。

 男性の名前は鍋島といい、元は薬局を営んでいたという。

 以前から懇意にしていた男が栄養剤と言って格安で卸してきたものを、鍋島の店で売ったのだが、それが違法薬物で、巡り巡ってこのゲームに参加する羽目になったのだと。

 鍋島は男のことを信用していたので、成分を調べることもなく店頭に並べてしまったと、悔やみながら事情を話していた。


 その話を昭信と一緒に聞きながら、浩司はどうだかなと、内心で嘲笑した。

 このゲームに参加するような人間に、ろくなのはいない。

 それは自分が最たる例であることから、浩司の中では揺るがない事実となっている。


 そこから考えると、この鍋島という人間の言うことがどこまで信用できるのか、浩司には甚だ疑問だった。

 騙されたというが、実際は違法薬物だと知りながら販売していたかもしれないと、そう浩司は疑っている。

 まともな人間ならば、そんな事情を抱えていようとこんなゲームに参加することになるはずがない。

 本来ならば、しかるべき司法の場にいなければおかしいからだ。

 まともじゃないからこそ、このゲームに参加している。


 昭信は一見優秀でまっとうな人間に見えるが、観察していればわかる。

 昭信は極端にトラブルを招き寄せる体質なのだろう。

 本人に自覚はなさそうだが、昭信はトラブルを引き寄せ、その問題を大きくしてしまうという体質がある。

 彼自身が善良であることもそれに拍車をかけているのかもしれない。

 その体質を疎まれて、このゲームに参加させられるように仕組まれたのではないかと、浩司は睨んでいる。

 あるいは、その特異性が主催者に目にとどまり、気に入られたか。

 現に、浩司が昭信と行動を共にするようになってからというもの、四六時中何らかのトラブルに見舞われている。

 そして、それを解決する事に同行者も増えているという、謎の現象が起こっている。


 昭信を中心としたこのグループは、色の区別なく寄り添っている。

 現在その人数は十人。

 新たに鍋島とそのパートナーが加わりそうな気配があるので、十二人。

 浩司が過去に参加したゲームではありえない、大所帯のチームができつつある。


 もちろん、そんな大所帯になって、問題が起きないはずがない。

 本来敵対していなければおかしい赤と青の色違いが一緒の空間にいるのだけでも異常なのだ。

 このチームは、いつ爆発してもおかしくないパンパンに膨らんだ風船のようなもの。

 浩司はその爆発する瞬間を今か今かと待ち望んでいる。


 昭信のそばにいるのは面白くて飽きないが、浩司が求めるのは命を賭けた殺し合い。

 昭信はそれを避け、敵対しなければおかしい色違いの人間すら懐柔して取り込んでしまっている。

 それは浩司にとって不満でもあった。

 だから、波乱を呼びそうな新メンバーを大歓迎していた。


「大変でしたね。こんな状況ですけど、みんなで力を合わせてこの危難を乗り越えていきましょう」

「はい。よろしくお願いします」


 たおやかに微笑む女性。

 美人だが、よくよく見れば目元などに小じわがあり、年齢を感じさせる。

 物静かな清楚な雰囲気だが、浩司の目は騙されない。

 彼女の瞳は、昭信のことを観察し、彼が好む言動を見極めようとしていることを。


 女性の名前は柏木京香。

 浩司が求める波乱を巻き起こす女性だった。

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