第8話

 マシンガンらしき銃を携えた男が、警戒感もなく歩く。

 大吾の脳裏に、初日の夜に遭遇した狼の着ぐるみがよぎる。

 あの着ぐるみと違い、男の格好はまっとうなものだが、武器を携帯している時点でその正体は知れる。

 狼。

 ゲームの参加者を狩る、狩人。


 大吾は跳ねそうになる鼓動を抑えるかのように、胸を掴む。

 知らず呼吸が荒くなるが、幸いにして狼の男には気づかれた様子はまだない。

 大吾と優のいる小部屋の存在に、狼はまだ気づいていない。

 その目は停車しているジェットコースターの方を向いている。


 大吾は背後を振り返る。

 そこには職員用の出入り口がある。

 まだ見つかっていない今なら、こっそりと抜け出せるかもしれない。


 しかし、その希望は次の瞬間打ち破られる。


 グルリと首を回す狼の男。

 その様は、狼というよりもフクロウが首を回すかのようで、ひどく不気味だった。

 その目はまっすぐに大吾に向けられている。


 ニヤリと、その口が歪められた。

 その笑みに、大吾は全身の毛が逆立つのを感じた。


 体を押し倒されるのと、鼓膜を破壊せんとする轟音が響いたのはほぼ同時。

 大吾には何が起こったのか理解できなかったが、大吾の体を優が床に押し倒し、その直後に狼の男が放った弾丸が小部屋のガラスを破砕した。

 砕かれたガラスの破片が大吾と優の体に降り注ぐ。

 ガラスを貫通した弾丸が壁に突き刺さっていき、白い粉を吹き上げる。


 実時間にすると一瞬だが、大吾にはその弾丸の嵐が延々続くかのように感じられた。

 体にガラスが降り注ぐたびに、それが弾なのではないかと恐怖し、体が勝手に震えた。

 マシンガンによる掃射がすむ。

 大吾は耳鳴りがする中、恐怖だけで短距離走を全速力で駆け抜けたあとのように、息を乱していた。

 それだけでなく、酸欠のように頭が働かない。

 次にどうすればいいのか、考えなければならないはずなのに、思考は電源の切れた電化製品のようにプッツリと途切れてしまっている。

 だから、次の大吾の行動は、考えた末のものではなく、ほぼ無意識の産物だった。


「うおっ!?」


 狼の男が驚きに呻く。

 大吾と比べると大柄な男が、思わぬ衝撃にたたらを踏む。


 大吾はすぐ手の届く場所にあった、食料の入っていた空きケースを掴み、それを盾替わりにして突撃していた。


 大吾に深い考えがあったわけではない。

 それ以前にほぼ何も考えられない、がむしゃらの行動だった。

 しかし、それは結果的に言えば最善の手だった。

 狼の男は、大吾が小部屋から飛び出した瞬間に、その入口にたどり着いていたのだから。


 狼の男は掃射をしたすぐ後に、小部屋に駆け寄っていた。

 それは、大吾たちの逃げ場をなくし、確実に仕留めるための行動だった。

 そこに反撃を食らうなどという想定はなく、結果として、ベストなタイミングで大吾の体当たりは男に命中したのだ。


 もし仮に、大吾が反対側にある出入り口に向かって逃げていれば、追いついた男に背後から撃たれていただろう。

 大吾自身、この時なぜ自分が逃げるという選択肢ではなく、逆襲するという選択をしたのかわかっていない。

 ただ、本能的に逃げられないということを察したがゆえの行動だったのかもしれない。

 真相は本人にすらわからないのだが。


 大吾の体当たりをまともに食らった狼の男だが、たたらを踏んだだけでダメージは大したことはなかった。

 大吾の体格は同年代の男子に比べても小柄で、仕事で多少鍛えられていても、男との体格差の前にはいかんともしがたいものがあった。

 狼の男はよろけながらも、大吾に向かって手にしたマシンガンの引き金を引く。


 放たれた数発の弾丸は、大吾が盾にしていたケースに直撃した。

 大吾の体がその衝撃で後ろに倒れる。

 が、弾丸自体はケースを貫通することはなく、大吾の体を傷つけることはなかった。


 参加者はおろか、狼にも知らされていないことだが、ゲームの主催者は所々に仕掛けをまいている。

 それは有効活用すれば参加者の手助けになったり、逆に窮地を招くようなものもある。

 今大吾の命を救ったケースもその一つ。

 マシンガンの弾丸さえ防ぐ、防具。


 もちろん、大吾はそんなことを知らない。

 大吾の考えなしの行動が、偶然に偶然を重ね、その命を守ったに過ぎない。

 そして、その幸運はさらに続く。


 たたらを踏んだ無理な体勢で引き金を引いたため、狼の男は反動で完全にバランスを崩し、尻餅をついてしまった。

 狼の男、五番の持つマシンガンは、一見するとただのマシンガンだ。

 他の狼が持つオーバーテクノロジーなのではないかと思えるような兵器と比べると、普通。

 しかし、そのマシンガンは既製品よりも反動が少ないという特徴がある。

 地味な機能だが、それでも既製品よりも優れているのは確か。


 が、モノには限度というものもある。

 いくら反動が少ないといっても、ないわけではない。

 狼の男が尻餅をつくのも当たり前の話だった。


 ほぼ同時に床の感触を味わうことになった大吾と狼の男。

 大吾は倒れこむような形で。

 狼の男は尻餅をつく形で。


 順当に考えれば、体勢を立て直すが早いのは、狼の男。

 しかし、慌てて立ち上がろうとする男の目に、飛んでくるケースが目に入った。

 その後ろには、何かをぶん投げたような姿勢の優。

 言わずもがな、優が残っていたケースの一つを投げたのだ。

 銃弾すら防ぐのに、少女の細腕でも投げられるほど軽量。

 目立たないところで、主催者のオーバーテクノロジーはいかんなく発揮されていた。


 狼の男は咄嗟に腕でガードする。

 思ったよりも軽い衝撃が腕に伝わり、ケースが地面に落ちる。

 そして前を向けば、再びのケース。

 今度は、立ち上がった大吾の、二度目の体当たり。


 狼の男はここで失敗した。

 幸運が重なったとはいえ、未だ男の方がはるかに優位に立っている。

 冷静に判断すれば、さっきの体当たりで男にはほぼダメージがなかったことを思い出せただろう。

 食らってもよかったのだ。


 しかし、男は焦った。

 焦ってしまった。

 その結果、男の最大の優位である、武器を向けた。

 向けてしまった。

 すぐ目の前に迫った大吾に向けて。


 銃口が向くのと、そこにケースがぶつかるのは同時だった。

 大吾の全体重が乗った体当たりが、その銃口にぶつかる。


「ぎぃっいぃぃ!?」


 男の口から苦悶の声が漏れる。

 普通に食らえば問題なかった大吾の体当たりだが、それが銃口に当たったことにより、その衝撃が一点に集中してしまった。

 銃はあらぬ方を向き、それに釣られて、引き金を持つ男の人差し指が曲がった。


 小柄とはいえ、人一人の全体重が乗った体当たりの衝撃、その大半が集約されてしまったのだ。

 その指は折れているか、良くて重度の突き指だろう。


 さらに男にとって不運なことに、その衝撃で引き金が引かれ、銃口から弾丸が勝手に発射された挙句に、男の手からマシンガンが勝手に飛び出していってしまう。

 主を失いながら弾を吐き出したマシンガンは、停車するジェットコースターの方に向かって飛んでいく。


 大吾と狼の男は、一緒に床に転がる。

 大吾はすかさず手に持ったケースを振り上げ、男に向かって振り下ろした。


「がっ!?」


 ケースは狼の男の顔面を叩く。

 が、手応えが薄い。

 さっきはその軽さから優が投げて援護するのに役立ってくれたが、今度はその軽さが裏目に出てしまった。

 軽いということは、それだけ打撃武器としては威力が低いということ。


「調子に乗るな!」


 狼の男が、無事な左手で大吾を殴り飛ばす。

 大柄な体格から繰り出されるその拳は、大吾の顔面に突き刺さりその体を吹っ飛ばした。

 さらに、転がる大吾の上に馬乗りになり、顔面を殴ってこようとする。

 それを大吾はケースを盾にして防ごうとするが、顔面を守れば拳はボディに突き刺さった。


「うげっ!?」


 息が詰まり、情けない声が漏れる。

 母親に度々振るわれていた暴力。

 それを数年ぶりに思い出させるかのような、強烈な痛みだった。


 痛みに悶える暇もなく、もう一発殴られる。

 拳が大吾の体に突き刺さる。

 このままでは殴り殺される、そう理解しても大吾には男を跳ね除けるほどの力がなかった。

 そのまま何度も殴られる。


 その状況を動かしたのは、三人目の存在。

 狼の男の目に、駆けていく優の姿が映る。

 その行く先を見て、男の表情がギョッとする。


 逃げるのなら構わない。

 どうせ下敷きにしている少年を殴り殺せば少女も死ぬことになるのだから。

 しかし、優は逃げたわけではなかった。

 その行く先には、男が取り落としたマシンガンがある。


 男に追わないという選択肢はなかった。

 大吾を放り出し、優の背中を追う。

 しかし、優がマシンガンを拾うほうが早い。

 早いが、振り向いて引き金を引くのが間に合うかは、微妙な距離だった。


 男は思う、間に合うと。

 素人がそう簡単にマシンガンの引き金を引けるとは思えない。

 マシンガンを拾うのにワンテンポ。

 振り返るのにワンテンポ。

 そこから引き金を引くのにさらにワンテンポ以上。

 その時間があれば、か弱い少女を押し倒してマシンガンを奪い返すこともできる。


 しかし、優のとった行動は、男の予想とは違っていた。

 優はマシンガンを拾うと、そのままジェットコースターの方に向けて走り続けたのだ。


 狼の男は笑った。

 拾って即振り向き、引き金を引かれていたら際どかった。

 しかし、走る速度は男の方が速い。

 このまま追いつき、捕まえてマシンガンを奪い返す。


 優がジェットコースターを乗り越え、反対側に渡る。

 狼の男がそれを追いかけ、ジェットコースターを飛び越えようとした。

 ジャンプして飛び越えたほうが速かったからだ。


 空中を飛ぶ狼の男の足に、それがぶつかった。

 安全バーが。

 ちょうど、男がジャンプした瞬間に、安全バーが降りてきていたのだ。


 空中で足を引っ掛けられた男は、受身も取れずにジェットコースターに叩きつけられた。

 一瞬男の視界が白くなり、力が抜ける。


 しかし、男に力を抜いている暇などなかった。

 安全バーが下がったということは、停車していたジェットコースターが再び動き始めるということ。

 低い唸り音を響かせ、ジェットコースターが動きだそうとする。


 それに気づいた男がジェットコースターから降りようとするが、足が安全バーに挟まれてしまっていた。

 なんとか引き抜こうとするが、焦りのせいでなかなかうまくいかない。

 焦る男を尻目に、ジェットコースターは発進する。


 たいていのジェットコースターがそうであるように、このジェットコースターも最初は上り坂を登るところから始まる。

 坂の頂上に到達したら、次に待っているのは高速の落下。


 本来ならしっかりと座席に座り、安全バーに守られた状態で乗るジェットコースターに、寝そべるような形で引っかかっている男がその高速落下を体験すればどうなるか。

 男はそれを想像し、一気に血の気が引いいた。

 引っかかった足を引き抜こうとするが、焦れば焦るだけうまくいかない。

 徐々に登っていく車体。

 男の視界も、遠ざかっていく地面を捉えている。

 そして、無常にもジェットコースターは頂点に到達する。


 浮遊感。

 あれほど外したいと思っていた足が、呆気なく抜ける。

 男は絶叫しながら、地に落ちていった。






『やあ! みんなにお知らせだよ!

 なんと、狼が退治されちゃったんだ!

 ビックリだね!

 けど、油断しちゃいけないよ!

 狼はまだ七匹もいるんだからね!』


「へえ、うちら以外にも狼倒したのがいるんだ」


 届いたメールに目を向けながら、幸子は呟く。

 ブラブラと緊張感なく片足を揺らしながら、地面に転がったものを軽く蹴る。

 蹴られたそれは、コロコロと転がり、すぐに止まる。

 ボールのようにちゃんとした球ではないので、蹴っても遠くまで転がることはない。

 それがつまらなく、幸子は今度は全力でそれを蹴った。


「うわっ!? あーあー。せっかくの服に汚れが付いちゃいましたよ? クリーニング代を要求します」


 転がったものから飛び出た液体が、臙脂のズボンに飛び散っていた。

 パートナーである幸子に、堂々と金銭を要求する臙脂。

 まるで使い古されたチンピラのカツアゲのようなセリフを、さも当たり前のように嘯く。


「どうせ赤いんだから目立たないでしょ」

「同じ赤でも染みというのは案外目立つもんですよ?」

「どっちにしろ、七日経ったらポイするんだから気にしない気にしない」


 臙脂の言葉にはまともに取り合わないほうがいい。

 それが幸子の出した結論だ。

 というよりも、できる限り会話自体しないほうがいい。

 会話をすればするほど、その深みにはまっていく。

 パートナーだからといって油断はできない。

 それが臙脂という男の厄介なところだ。

 

「でさあ、あと七匹ってことは三匹死んだってことでしょ? 一匹はこれとして、残り二匹は誰が殺ったんだと思う?」


 幸子はこれと呼ばれたもの、首だけとなった狼を再度蹴り飛ばす。


「一匹は刀也さんと灯火さんでしょうね。残り一匹は、誰でしょうね?」


 臙脂はわざとらしく肩をすくめる。

 その仕草に幸子はイラっとさせられる。

 いけないと思いながらも、どうしても会話になるとこの男のペースに持っていかれる。


「二日目で、しかも測ったかのように同じ時間帯に狼が三匹もリタイアする。なかなか面白くなってきましたね」


 同意を求めるかのように見つめてくる臙脂に、幸子は無言で答えなかった。


 ちなみに、話題に上がったもうひと組の狼を仕留めたであろう二人は、


「刀也、狼が他でも狩られたらしい」

「そうか」


 という短い会話でその件を済ませていた。

 傍らに、首の曲がった狼の死体を置きながら。






 大吾は目を覚ました。

 どうやら狼の男に殴られ過ぎたせいで、意識を失っていたらしい。

 起き上がろうと腹筋に力を入れようとしたが、腹部を中心とした殴られた箇所がズキズキと痛む。

 胸のあたりにも鈍い痛みがある。

 もしかしたら肋骨にヒビが入っているかもしれなかった。


「起きました?」


 声に振り返ると、傍らに優が座り込んで大吾を見つめていた。


「よかった。起きられます?」


 優の言葉に、大吾は手をついてなんとか上半身を起こす。

 激しい運動は無理そうだが、立って歩くくらいはできそうだった。

 大吾は自分の打たれ強さと頑丈さに感謝した。

 それを養う土壌を作ってくれた母親の暴力は許せないだろうが。


「! あいつは!?」


 大吾は今更ながらに、自分をこのような状態にした相手のことを思い出した。

 狼の男、そいつに殴られたが故に、大吾は気絶していたのだから。

 思い出せるのは馬乗りになられて何度も殴られたところまで。

 男が慌てた様子で立ち上がったところで、大吾の意識は落ちていた。


「死にました」


 優の言葉に、言いようのないショックが大吾を襲った。

 大吾自身、そのショックがなんなのかよくわからない。

 人が死んだことに対するショックなのか、はたまた、それを成し遂げたであろう少女が目の前にいるからなのか。

 わからない。


「どうして?」


 その問に、優は大吾が気を失ったあとの顛末を聞かせてくれた。

 優が男のマシンガンを拾いに行ったこと。

 それを男が追いかけてきて、運悪くジェットコースターの安全バーに引っかかり、そのままの状態で発車したこと。

 優が念のため外に出てみると、そこには男がジェットコースターから落下して、死んでいたこと。


「それで、これ」


 優が男の持っていたマシンガンを差し出す。

 さらに、その手には男の死体から拝借したのだろう、換えの弾倉がいくつか握られていた。


「それは、優が持っていてくれ」


 大吾は少し考えた後、そう言った。

 大吾は自分の現状を考え、まともに銃を撃つことなどできないと結論づけていた。

 おそらく歩くだけで精一杯の状況で、マシンガンを撃った反動に耐えられるとは思えなかった。

 大吾は知らないが、そのマシンガンが反動の少ない改良品なのだが、たとえそれを知っていたとしても優に譲っていただろう。


「俺なんかが持つよりも、優が持っていたほうがいい」


 大吾は無力感に苛まれていた。

 大吾は何もできなかったと思っている。

 ただ、ガムシャラに突っ込んだだけで、挙句返り討ちに遭って気を失っているようなざまだ。

 生き残れたのは、優の機転と、奇跡的なまでの幸運が味方したからに過ぎない。

 本来なら、大吾は死んでいた。


「役立たずだな」


 大吾は母親がほとんど家に寄り付かなくなってからというもの、自分の力だけで生きてきていた。

 暮らしは厳しいしが、一人で生きていけるという自負のようなものがあった。

 それが、このゲームでは何もできずに右往左往している。

 南雲に指摘されてからというもの、大吾はもしかしたら優の足を引っ張っているのではないかという不安を、心の奥底で抱え込んでいた。

 その考えに目を逸らし、自分の主導で行動を起こしていた。

 それが、今回の件で、無視できなくなってしまった。


「役立たずだなんて、そんなことないです」

「慰めはいらない」


 優の言葉を否定する。

 その言葉を、優はさらに否定した。


「慰めなんかじゃないです。狼相手にあそこまで立ち向かえるのは、すごいことです。あの人がマシンガンを落としたのだって、大吾くんのおかげです。あれがなければ、私は死んでいました」


 幸運が味方したのは事実。

 しかし、その幸運を掴みとったのは、大吾の行動ゆえ。

 大吾が行動したからこそ、最良へと繋がった。

 もし、大吾が別の行動をしていれば、結果は全く違うことになっていただろう。


「大吾くんが体を張って掴み取った勝利です。胸を張ってください」


 大吾は、その言葉がストンと胸に落ちるのを感じた。

 他人の言葉をこんなにも素直に受け止めたのは、生まれて初めてかもしれない。

 普段であれば、そのような甘い言葉は素直に受け取らない。

 何か裏があるんじゃないかと疑ってかかる。

 それなのに、優の言葉は、不思議とそのまま受け止めることができた。


「今回は大吾くんのおかげで生き残れました。だから、次は、私が大吾くんを守ってあげます」


 マシンガンを腕に抱き、優は笑顔で宣言した。






 ジェットコースターのレーンのすぐ下、そこに男の死体があった。

 狼の五番の死体が。

 男の死体は、酷い有様だった。

 落下の衝撃でできた致命傷が、ではない。

 それ以外に、男には傷がつけられていた。

 それは、死んでからつけられたもの。

 死んでなお、甚振られたせいでついた傷。

 顔は石で殴られ、原型を留めていない。

 体にも無数に青痣ができている。


「なんで死んでるのかな? 楽に死んじゃったら大吾くんが味わった痛みを倍返しでできないじゃない」


 その傷の原因となった少女は、男の死体を嬲りながらブツブツと不平を漏らしていた。


「大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん。大吾くん」


 殴りながら、名前を呼ぶ。


「私が守ってあげるからね」


 少女は笑う。

 それは、そのあとに少年へと向けることになる笑顔と、全く同じものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る