第6話
大吾は腹が膨れたこともあり、眠気を感じていた。
極度の緊張感の中過ごしていたが、あっさりと食料を確保することに成功してしまったおかげで、その緊張の糸が切れつつあった。
昨夜はほぼ眠れず、その緊張のせいで無駄に体力を消耗したのもある。
気を抜いていい状況でないことは変わりないが、意識に余裕ができていた。
気づけば少しウトウトしていたらしい。
ジェットコースターが停止する音で、ハッと目を覚ました。
ミッションの通知を受け取った直後から動き出したアトラクション。
その中には、もちろん大吾と優が拠点にしているジェットコースターもある。
ジェットコースターは定期的に発着場に戻ってきて、数分間停止し、また発車するという行程を繰り返している。
人の手が全くない状態でも、ジェットコースターは勝手に動き続けた。
誰も乗ることのないジェットコースターの安全バーが、開いて閉じて、寂しげに発着場を後にしていく。
「乗りたいんですか?」
去っていくジェットコースターを眺めていたせいか、優がそんな見当違いのことを訪ねてきた。
「いや」
短く答える。
物珍しくて眺めていたのは事実だが、こんな状況で乗ってみたいとは思わない。
大吾は遊園地に来たことがなかった。
家庭環境故に、プライベートで訪れることもなかったし、学校行事で遊園地に来ることもなかった。
場所によっては中学の卒業旅行で遊園地に行くところもあったようだが、あいにく大吾の通っていた中学校は、スカイツリー見学だった。
それはそれで楽しめたので、大吾としては文句もなかったが。
そういった事情もあり、大吾は生まれて初めて生でジェットコースターを見ていた。
こんな状況でなければ乗ってみたいと思ったかもしれない。
遊びらしい遊びというものを、大吾は満喫したことがない。
子供の頃はこういった遊園地に来ることも夢見た。
母親が眺めるテレビ。
その中に映し出される、遊園地のコマーシャル。
家と学校くらいしか行き場のない幼い時の大吾にとって、その画面に映し出される華やかな光景は、別世界のように見えた。
それが現実の世界にちゃんと存在する場所なのであれば、行ってみたいと夢見るのは当然だった。
それを口に出すことはなかったし、徐々にそれが叶わない夢であることを理解していったが。
働き始めたくらいになると、そんな夢も見なくなった。
中卒の安月給では、遊びに行けるほどの余裕がない。
たった数時間で汗水流して稼いだ金が、幻のように消えていってしまうようなところ、行きたいとも思わなくなっていた。
夢の国は、所詮子供に夢を与える場所。
大人には楽しみは与えてくれても、対価はきっちりと奪っていく。
そして、今現在は楽しみすら与えてくれない。
子供の頃夢見た乗り物が、タダで乗り放題。
生きるのを諦めるのならば、最期に楽しむのも悪くはないかもしれないが、あいにくと大吾はまだ死ぬつもりなどない。
乗るのならば、生き残ってからだ。
尤も、今回のことがトラウマになって、遊園地自体に行く気になれないかもしれないが。
「優は?」
乗りたいのか、と聞いてから、自分の発言のミスに気づいた。
女の子の下の名前をいきなり呼び捨てである。
今まで小中と女の子とコミュニケーションをとることが少なかった上に、職場は男所帯。
女の子とどう接すればいいのかなんて、わからない。
だから普段通りのぶっきらぼうな態度で、何も考えずに下の名前を呼び捨てにしてしまった。
人によっては不快に感じるだろう。
「私ですか? 子供じゃないですし、乗りたいなんて思いませんよ」
大吾の心配をよそに、優は気にした様子もなく答えてくれた。
が、その答えに思わず突っ込む。
「いや、子供じゃん」
大吾も一七歳。
成人していない子供だ。
その大吾よりも一回り下に見える優が子供じゃないと言っても、それこそ子供の背伸びに聞こえてしまう。
「子供じゃないですー! これでも十七歳のピチピチ女子高生ですー!」
その発言に衝撃を受ける。
改めて優の姿を上から下まで見直す。
小さい身長。
凹凸の少ない体。
顔立ちも整っているものの、垂れ目のせいで童顔に見える。
中学生くらいだと思っていたが、言われてもやっぱりそうとしか思えない。
ピチピチとかいう死語を使うのはあれだが。
「本当に俺と同じ歳か?」
声にありありと疑惑がこもってしまったのは仕方がないだろう。
見た目はどう見ても子供なのだ。
中学生、少し無理をすれば小学生でも通りそうな外見の少女に、実は自分と同じ歳なのだと言われても信じられない。
「あ、大吾くんも十七歳なんですね」
大吾の疑惑の眼差しを平然と無視し、食いついたのは大吾の年齢だった。
「てっきり歳下かと思ってました。ごめんなさい」
まさかの歳下に見られていた。
見た目中学生の女の子に、歳下に見られていた。
大吾はかつてない衝撃を受ける。
自分でもわけがわからないが、ものすごいショックだった。
確かに、大吾は身長が低い。
そのせいで年齢通りに見られないことが多いのも事実だ。
ただ、中卒で働き始めたので、周りは自分よりも歳上の大人ばかりだった。
そうなると、子供扱いされる。
事実子供なのだからそういった扱いにも仕方がないと諦めていた。
が、まさか自分よりもさらに子供のように見える優に、歳下だと思われていたとは。
「そ、そんなに落ち込むほどショックだでした? ごめんなさい。いつも眉間にシワを寄せてる顔が、なんだか強がってるみたいで可愛いなーって。それで歳下だと勝手に思い込んでて」
大吾の尋常じゃない落ち込みっぷりに、優が慌ててフォローするが、それは全くフォローになっていないどころか、逆に止めを刺しに来ていることに気づいていない。
可愛い。
大吾の人生の中でそうそう聞いたことのない単語だった。
小学生の低学年だった時くらいじゃないだろうか。
しかし、今までそんなふうに思われていたのかと、大吾は考える。
出会ってからここまで、ろくに会話を交わしてこなかったが、短いやり取りの中で大吾が感じていた優へのイメージは、オドオドしていて気の弱そうな印象だった。
が、その印象を改める必要があるかもしれない。
大吾が考えるよりもずっと、優は大物なのかもしれなかった。
ここまでうまく事が運んでいたせいもあるかもしれない。
あるいは、眠気を覚ますために会話をしていたのがまずかったのか。
最初にその異変に気づいたのは、優だった。
「誰かいます」
大吾はその言葉に、ビクリと体を震わせる。
昨夜の狼の着ぐるみの姿を思い出す。
大吾と優がいるのは、ジェットコースターの発着場の職員の管理室のようなところだ。
ガラス張りの大きな窓がある部屋で、中から外の様子がうかがえる。
大吾は身をかがめながら、そっと外の様子をうかがった。
そこには、四人の男女の姿があった。
四人も固まっている時点で狼という線はない。
そもそも、来ている服が狼ではなく、参加者の羊であると表していた。
ただし、その色は青。
大吾たちの赤と、敵対する色だった。
大吾は緩んでいた気が急速に張り詰めるのを実感した。
同時に、気を緩めていたことに後悔する。
昨夜、南雲たちが入ってきた時には、もっと早い段階で気づいていた。
だというのに、今回は目と鼻の先に人が来るまで、気付かなかった。
優に指摘されなければ、そのまま気づかなかったかもしれない。
気を抜いていい状況ではないはずなのに、気を抜いてしまった大吾のミスだった。
「ここは、身を隠すには向かないか?」
「さっきのお化け屋敷よりかはマシだと思いますけど」
「あそこは隠れるにはいいと思ったんだけど」
「確かに隠れるのにはいいかもしれませんけど、女の子を一人で待たせる場所としてはどうかと思います」
「うっ。確かに」
「それに、ああいう場所は見つからなければそれでいいですけど、見つかると逃げ場が限られてしまいます。相手が武器を持っていることを考えたら、隠れるだけじゃなくて逃げ切ることも考えないといけません」
「ここは、隠れるにはちょっと広すぎるか?」
何やら相談し始めた青服の男女。
中心になっているのは男二人だ。
一人は長身のメガネをかけたまだ二十代に見える男。
いかにもできる男といった風情で、なぜこんな場所にいるのか疑問に思える。
このゲームに参加する人間は、どれもろくでもない事情を抱えているからだ。
できる雰囲気のあるメガネの男が、このゲームに参加しているのは違和感があった。
もう一人の男は、中肉中背の青年で、見た限りでは大吾とそう歳は離れていないように見える。
爽やかな雰囲気のイケメンだった。
ただ、大吾はそのイケメンに、どこか胡散臭いものを感じた。
イケメンだからやっかんでいるのではない。
不自然なほど爽やかなのだ。
別に爽やかなことに批判はないのだが、この場でそういう雰囲気を出せるというのが異常な気がした。
これが街中でだったりすれば話は変わってくるが、命のかかった異常なゲームの中で、なおあんなふうに爽やかでいられることが、異常。
そんな風に見えた。
そして、残り二人の女子。
こちらは特に変わったところがなかった。
顔を真っ青にして、今にも倒れそうな感じだ。
それがこの場での正常だろう。
誰だって死ぬかもしれないと考えれば、あんな顔にもなる。
頼れる男二人に一から十まで従いますといった風情だった。
メガネの男は必死に打開策を考えているようだし、この状況でも気負った感じではないイケメンも、見ようによっては頼りになりそうだ。
女子二人の思考放棄も、間違いではない。
そこで、ふと大吾は隣にいる優のことを考えた。
最初の印象はオドオドした小動物のような少女だった。
しかし、その印象はさっき少し変わった。
そして、目の前の青ざめた女子二人を見て、その印象はまた変わる。
結構肝が据わってたんだなと。
「あ、あそこなんかどうですか?」
その青ざめた女子の片割れが、大吾たちがいる管理室を指差す。
ギクリとして慌てて身を隠した。
「ん? 今、なにか動かなかったか?」
その行動がまずかったようだ。
メガネの男に不信感を持たれた。
「誰かいるのか?」
メガネの男が声をかけてくる。
その声には、警戒感がある。
「君たちはここで待っていてくれ。僕らで見てくる」
メガネの男の声。
僕ら、ということは、イケメンと二人でということだろう。
どうする?
大吾は自問する。
相手は男二人。
一人であれば素手でも勝てるかもしれない。
しかし、大吾は喧嘩が強いとは言い難い。
腕力はそれなりにあるほうだが、いかんせん身長が低いせいで体格的に劣る。
二人の男を相手にして、素手で勝てるとは思えなかった。
逃げるしかない。
大吾はそう結論づけた。
せっかくの拠点を失うのは痛いが、また別の場所を探せばいい。
ここで他の参加者と揉め事を起こす方が危険だった。
大吾は部屋の奥にある、職員用の出口に向かおうとする。
その動きを、優に止められた。
「まかせてください」
その囁きが聞こえた直後、優は立ち上がっていた。
男たちの目に優の姿が丸見えになる。
「交渉させてください」
優の堂々とした声が、響く。
意表をつかれた男二人の足が止まる。
「見逃してくれませんか?」
続く優の言葉に、大吾は唖然とする。
何を言ってるんだと。
思わず立ち上がった大吾は、正面から男二人と目を合わせることになってしまった。
「待ってくれ。僕らは君らに危害を加えようとは思わない」
メガネの男がそう言った。
が、信用できない。
信用してはいけない。
「すいませんが信用できません。もし、その言葉が真実ならば、ここから立ち去ってください」
大吾の心の声を代弁するように、優がメガネの男に告げる。
「本当だ。信じて欲しい。なんなら七日間協力することだってできる」
なおも食い下がるメガネの男に、優は首を振った。
「協力はいりません。あなたが誠意を見せて下さるのであれば、不干渉でいただくことが私たちにとって最良です」
かたくなな優の態度に、説得は無理と諦めたのか、メガネの男が黙りこんだ。
代わりに、イケメンの方が口を開いた。
「見逃せって、タダでかな?」
「これで手を打ってくれませんか?」
イケメンの言外の要求に、優は今朝確保した食料のケースを一つ掲げてみせる。
メガネの男にはそれがなんであるのかわかったようだ。
目の色が変わる。
それで、この集団が食料を確保できていないのだと悟る。
「俺たちが黙ってここを出て行く代わりに、それをくれると?」
「はい」
イケメンの問いに、優は迷わず肯定した。
大吾としては否定したいところではあるが、口を挟めるような状況ではない。
せめて、事態が動いた時、すぐに行動できるように身構えている程度だ。
「俺たちが君らをどうにかすれば、別にここから出て行かなくてもそれを奪うことはできるんだけど」
「足立くん!」
イケメンの言葉に、メガネの男が叫ぶ。
あまり大きな声を出して欲しくはないが、そんなことも言っていられない。
「大林さん。甘いことは言ってられないですよ」
「それでもだ。人道に外れたことはしちゃいけない」
イケメンこと足立浩司と、メガネの男こと大林昭信の間で、意見の食い違いが出る。
「提案を受け入れる。僕らはここから出ていこう」
「大林さん」
「足立くん。甘いのはわかっているが、それでもここは引いてくれ」
昭信の言葉に、浩司は周りを見回す。
その場の空気は、浩司が悪いと言っていた。
「わかりました」
浩司は割とあっさり引いた。
彼が望むのは対等な殺し合い。
今はそれができるような状況ではなかった。
「本来なら、それを受け取るのも控えるべきなんだろうけど、僕らも切羽詰っていてね。すまないが、施しを受けていいかい?」
「ここから出て行って二度と戻ってこない、他言しないと誓っていただけるのなら」
「わかった」
昭信の宣言を聞き、優はケースを床に置いて滑らせた。
それを受け取り、昭信は背を向けずに後ろに下がる。
「これの受け取り場所だったメリーゴーランドに、狼が現れていた。今もそこにいるのかはわからないが、その周辺には行かないほうがいい」
昭信は、ケースの対価のつもりなのか、自分が目撃した狼の情報を話した。
「出入り口の橋の前にも狼がいる。近づかないほうがいい」
それに対して、口を開いたのは大吾だった。
なんとなく、言っておいたほうがいいような気がした。
理由はそれ以上でも以下でもない。
「感謝する」
そして、昭信は背を向けて歩き出した。
浩司は少しだけ優のことを見つめ、昭信の後を追った。
四人の姿が見えなくなり、大吾は詰めていた息を吐き出し、力なく座り込んだ。
昭信がお人好しで助かった。
でなければ、問答無用で襲いかかられても不思議ではなかった。
ケースは渡した一つだけではない。
あの四人としては、その方が取り分が多かったのだ。
「うまくいきました」
晴れやかに笑う優に、大吾はイラっとした。
その気持ちをそのまま優のほっぺにぶつける。
「いはいへす」
柔らかいほっぺたをつまみ上げる。
「あのなあ。あんなのうまくいかない確率のほうが高いだろうが」
怒りに任せてしばらくほっぺたをつねる。
ようやく解放された時には、優のほっぺたは赤くなっていた。
「うまくいくと思ったからやったんです。あのメガネの人、かなりお人好しそうでしたし」
「うまくいったから良かったものの」
大吾は盛大なため息をつきつつ、これ以上何か言っても無駄だと諦めて口を閉ざした。
実際にうまくいったのだから、結果オーライということにしておこうと思ったのだ。
「次からはあんま無茶するなよ」
「わかりました」
優の笑顔に、大吾はそれ以上怒る気力をなくした。
大吾は気づかない。
優が行った交渉が、どれだけ危険なことだったのかを。
そして、その危険をすべて承知の上で、優がそれを行ったことを。
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