第5話
突如鳴り響いた電子音に、大吾の心臓は大きく跳ねた。
寝不足で緩慢になった意識を、死ぬかもしれないという緊張で繋いでいたその時に、すぐそこから発された音。
驚くなという方が酷というものだろう。
驚き、慌てながら音源であるスマホを取り出す。
スマホの画面には、それまで表示されていなかったメールのマーク。
大吾はそれを開いてみる。
その文面は、最初にルールの説明をしていたピエロのふざけたような口調で、ミッションの告知をしていた。
南雲に教えてもらった通りだった。
持ち物を一切持たされず舞台に放り込まれた参加者は、当然のように食べ物も飲み物も持っていない。
水くらいならば、もしかしたら探せば手に入るかもしれないが、食べ物に関しては期待できない。
これが自然豊かな無人島であれば話は変わってくるが、今大吾たちがいるのは巨大テーマパークを建設中の人工島。
自力での食料の確保はできない。
そこで、ミッションが発令されるのだ。
食料を配布するという。
ミッションへの参加は強制ではない。
しかし、半ば強制されているようなもの。
なぜなら、七日間飲まず食わずで過ごすことはできないからだ。
仮にミッションに参加せずに過ごしていても、、待っているのは飢えと渇きによる体力の低下。
その状態で狼に発見されれば、なすすべもない。
それでなくとも、餓死の恐れがある。
大吾の判断と行動は素早かった。
優に確認を取ることもせず立ち上がり、移動を開始する。
それを、優は慌てて追いかける。
大吾はミッションに参加することを決意していた。
南雲は言っていた。
ミッション中こそが最も死亡率の高い時間だと。
狼にミッションの内容は知らされない。
しかし、参加者が一斉に動き始めれば、自ずとその動きを察知する。
そして、参加者が目指す場所を探り当てられた時、ミッションはほぼ失敗となる。
大吾が昨夜出会った、この人工島の出入り口にいた狼と一緒だ。
そこに参加者が向かってくるとわかれば、待ち伏せればいい。
あとは、それを知らない参加者を、のこのこ集まってきたところを一網打尽にすればいいのだから。
ミッションにおいて重要なのは、早さ。
いかに狼に察知される前に行動を起こすか。
ただし、それで慌てて動いて狼に見つかってしまえば本末転倒。
見つからないように慎重に、けれど素早く。
それが要求される。
大吾は知らない。
南雲とて、全てを教えたわけではないということを。
最初のミッションこそ、一番多くの羊が参加し、それゆえに死亡率が高いことを。
「あの、どこに向かうんですか?」
優の質問に、自分でスマホを確認しろよと大吾は心の中で愚痴る。
が、ここでそれを言えば、さらに関係が悪化してしまうため、口には出さない。
「観覧車だ」
目指す場所は観覧車。
幸いなことに、大吾たちが隠れていたジェットコースターから、観覧車は目視で確認できた。
距離もそう離れていない。
メールを受信してからすぐ動き始めたため、他の参加者もまだ動き始めていないだろう。
南雲のように、過去にゲームに参加したことがあるのならいいが、大吾のように初めて参加する人間は状況把握のために時間がかかるはずだった。
死と隣り合わせという極限の状態で、いきなりミッションを告知されて動ける人間はそういない。
反射的に正解を導き出せる天才か、考えなしに突っ込む馬鹿か。
大吾はあらかじめ南雲にミッションの存在を聞いていた。
だからこそ、素早く行動することができた。
もし、南雲に話を聞いていなければ、大吾はメールを受け取った後も、混乱してすぐには動けなかっただろう。
ジェットコースターの出入り口から外に踏み出す。
その時、大吾は違和感を覚えた。
その違和感の正体は、すぐにわかった。
アトラクションが、動いているのだ。
昨夜、ゲーム開始直後はライトだけ付いていた。
そのライトもすぐに消えたが、ライトが付いている間も、アトラクションは動いていなかった。
無人のまま、音楽を流して動き回るアトラクションの数々。
それはどことなく恐怖を感じさせられる光景だった。
目的地である観覧車も、ゆっくりとその巨大な輪を回している。
振り向けば、ついさっきまでいたヘットコースターも動き始めたようで、ゆっくりと機体がコースの上り坂を上がって行くところだった。
「行くぞ」
大吾はアトラクションが動き出したことを、無視することにした。
そういう演出なのだろうと。
もちろん、それはただの演出ではない。
鳴り響く音楽はそれ以外の音を聞こえにくくし、人が移動する音などかき消してしまう。
それは羊にも狼にも作用する。
潜みやすくなり、見つけにくい。
一見羊に有利に見えるが、そうとも言い切れない。
羊は常に狼のことを警戒しなければならない。
警戒して神経をすり減らす。
その状況でアトラクションが動き回り、音楽が鳴り響いていれば、否応にも神経はさらに磨り減っていくというもの。
絶対的に有利な狼は、少し相手を見つけにくくなったくらいだが、羊にとってはその少しが命に関わってくる。
有利になったとは、言い難かった。
幸か不幸か、大吾はその事実に気づいていない。
神経をすり減らすという意味では、大吾は無縁のようだ。
大吾は早歩きで移動を開始する。
大股で進む大吾と、それに置いていかれまいと付いていく小走りの優。
南雲が見たらきっと頭を掻いていただろう。
それくらい無用心だった。
しかし、運のいいことに、大吾たちは狼に見つかることもなく、呆気なく観覧車に到着した。
大吾は回る観覧者のボックスの中に、ケースが一つずつ入っているのを見つけた。
おそらくあれが食料。
この人工島に建設された観覧車は、かなり大きい。
大吾は知らぬことだが、日本最大のサイズになる。
その分ボックスの数も多く、その一つ一つに食料の入ったケースがあるので、その数もまた多い。
普通に考えれば足りないということはありえない量。
しかし、それはあくまで普通に考えればの話だ。
別に一人一つという決まりはないのだ。
今後のことを考えればいくつか確保し、隠れ場所に保管しておくべきだろう。
どうやら、観覧者にたどり着いたのは大吾たちが一番だったようで、他には誰もいない。
大吾はこれ幸いと、ケースをボックスから取り出していく。
ケースはボックスの一番奥に置かれており、一度ボックスの中に足を踏み入れなければならなかった。
扉が開いている間にケースを取り出し、外に出なければボックスの中に取り残されてしまう。
大吾は慌てることなくケースを取り出していった。
それを繰り返すこと四回。
四つのケースを確保し、大吾と優で手分けして持ち帰った。
「うまくいきましたね」
「ああ」
元のジェットコースターのところまで戻り、腰を落ち着ける。
スムーズにことが済んだ。
むしろスムーズすぎるほどだった。
他の参加者と鉢合わせるくらいは覚悟していただけに、大吾は拍子抜けしていた。
「とりあえず、せっかく確保したんだ。いただこう」
「そうですね。中身を確かめて、生モノとかの腐りやすそうなものから食べましょう」
優の言葉に、大吾は感心した。
大吾はそこまで考えていなかった。
普通にケースの中身をそのまま食べる気マンマンだった。
考えてみればここには冷蔵庫なんて便利なものはないし、保存は効かない。
下手に腐りやすいものを残していて、食中りにでもなったら悲惨だ。
大吾はケースを開けてみた。
そこには、弁当箱とペットボトルが二つずつ。
二人分の食料が一つのケースに入っていた。
「こりゃ、嬉しい誤算だな」
「ですね」
てっきり一つのケースに入っているのは一人分だけだと思っていたのだが、二人分入っていた。
四つのケースがあるということは、二人で四食分あるということ。
当分の間、食料の心配はなさそうだった。
弁当の中身はありふれた幕の内弁当。
腐りやすそうなものもなく、これならば気にせずに食べても問題なさそうだった。
ペットボトルの中身は麦茶だった。
大吾は上々すぎる戦果に、腹とともに満足した。
うまくいった者がいれば、うまくいかなかった者もいる。
その明暗は、命というかけがえのないもので差が付いた。
大林昭信は、一人で観覧車に来ていた。
パートナーは隠れている。
その方がいいと、二人で相談して決めたことだ。
二人で行くよりも、フットワークの軽い昭信だけで行ったほうが生存率は高いと。
しかし、昭信の行動は少々遅かったようだった。
彼が観覧車にたどり着いた時、既に何組かの羊たちがそこには集まっていた。
しかも、もめているようで、殺気立っているのが離れていてもわかる。
昭信はこの時点で、観覧車に近寄るのをためらった。
昭信は自他共に認めるお人好しだ。
普段の彼であれば、迷わずに仲裁に入ったことだろう。
しかし、かのゲームに彼が参加することになった経緯が、昭信の足を止めさせた。
昭信がこのゲームに参加することになった経緯は、少々複雑だ。
が、その複雑な事情を一言で表すならば、裏切られたから、だ。
信頼している友に裏切られ、ありもしない罪に問われ、追い落とされた。
それまでの順風満帆だった昭信の人生は、坂を転げるようにどこまでも落ちていき、気が付けばこんな訳のわからないゲームに参加させられている。
その理不尽な仕打ちに、昭信は人を信じられなくなりつつあった。
その止めた足が、彼の命を救った。
鳴り響く銃声。
目に映るのは、赤い色彩。
聴こえてくるのは、狂ったような男の笑い声。
昭信は咄嗟に身を隠した。
観覧車の前にいた数人が倒れている。
無事だった数人がケースを抱えながら逃げようとするが、鳴り響く銃声がそれを許さない。
そして、短い間に、その場で動くものは一つだけになった。
その男は、倒れた人々に近づき、もう息絶えているだろうその背に更に銃弾を撃ち込んでいく。
銃声にも負けない笑声を上げながら。
狼。
昭信は初めて遭遇するそれに、激しい恐怖と嫌悪を感じる。
もし、足を止めずに観覧車のところまで行っていれば、昭信もあの銃弾の餌食となっていただろう。
そのことに恐怖し、同時に死者を弄ぶかのようなその男の振る舞いに吐き気がする。
昭信は男に気づかれないように、ゆっくりとその場を後にする。
もはや、ミッションを達成することはできないと悟って。
そして、パートナーの隠れている場所まで引き返す最中、自分とは逆方向に向かおうとしている男女を発見した。
「君たち、観覧車には向かわないほうがいい」
声をかけたのは、昭信が若干人間不信になりつつも、未だに一般人の感覚を捨てきれずにいるお人好しだったからだろう。
ゲームに過去参加したことがある人間からすると、他の参加者に声をかけるなんて馬鹿のすることだと理解している。
「観覧車は狼にやられた。死にたくないなら近づかないほうがいい」
「へえ、ご忠告ありがとうございます」
話しかけられた男女の男の方、前回のゲームの生存者である異常者、浩司は人の良さそうな笑みで昭信に返事をする。
「よかったら、一緒に来るかい? 僕のパートナーが隠れているいい場所があるんだ」
「え? いいんですか!?」
昭信の提案に、浩司のパートナーが食いつく。
「もちろん。同じチーム同士、助け合わないと」
昭信の提案に、浩司とそのパートナーは乗った。
昭信は気づかない。
己が、狼と同じかそれ以上に危険な存在を、自ら招き入れてしまったことに。
その意味で、彼もまたうまくいかなかったものだった。
男は狼である。
十人いる狼の中の五番。
この場で名前など意味がなく、男の名前を知る者はいない。
同じ狼ですら互いに面識はなく、それぞれ五番以外の番号を割り振られているのだろうと思われる。
尤も、他の狼などに興味はない。
五番の興味は羊を殺すことにしかない。
五番は殺しが好きだ。
他の何にも代えられない命というもの、それを奪うのが最上の快楽。
命を奪う、それはその人間のすべてを奪うのと変わらない。
圧倒的な征服感。
それがたまらなく、五番は積極的に羊を狩る。
観覧車の周りに集っていた羊を殺した五番は、次にその死体を片付けた。
観覧車のボックスの中に放り込み、代わりに中にあったケースを取り出していく。
一度しくじって中に閉じ込められ、一周する羽目になったが、おかげでいいアイデアが思い浮かんだ。
五番は地上に降りると、残りの死体を片付け、ケースの中に入っている弁当を食い始めた。
観覧車の乗り場のすぐ近くで。
ちょうど、外からでは死角になるであろう場所。
五番は弁当を食べながら待つ。
馬鹿な羊がやってくるのを。
勘のいい人間なら、あたりに漂う匂いや、地面についた銃痕で踵を返すだろう。
しかし、ゲームという非日常の緊張感で、まともな判断ができなくなった人間ならば、食料を求めて踏み込んでしまう。
「あった! あった!」
この男女のように。
五番は警戒感もなく、ボックスに入り込んでいく男と、それを後ろから見守る女を見て、ほくそ笑む。
素早くボックスの前まで行き、女の口を押さえる。
そのうえで、銃口を男に向け、男が振り返るのを待った。
ケースを手にとった男は喜色満面で振り返った。
そして、そこにある銃口を見て、凍りつく。
「はっはー! ざーんねーん!」
「ひ、ひぃ!?」
男はケースを抱えたまま、後ろに下がる。
躓き、尻餅をついた。
そこに追い討ちをかけるように、ボックスの扉が閉まる。
五番はその間抜けな光景に思わず吹き出す。
大笑いを上げ、上昇していく男を乗せたボックスを見上げていた。
きっと今頃、ボックスの中では男が絶望に嘆いているに違いない。
なにせ、一周して地上に戻ってくれば、そこで男の命は終わるのだから。
巨大ゆえに、一周するにも結構な時間がかかる。
これならばさぞや長い走馬灯が見れることだろう。
五番はその時の男の顔を想像し、口元を歪ませる。
五番は次いで、口を押さえたままの女を見る。
完全に怯えきり、腕の中で震えている女。
そこには、五番に対する恐怖がありありと見て取れる。
若い女だった。
そして、五番にはその女の生殺与奪が握られている。
命を奪えるということは、その人物のすべてを奪えるということ。
観覧車が一周するには時間がかかる。
その間、五番が何をするか。
五番の伸びた手が、女の服を引き剥がしたのが、その何よりの答えだった。
「で、どう思います?」
「運営死ね」
「同感」
「少しは現実を見ろ」
五つのエリアには、それぞれほぼ同数の羊が分けられていた。
しかし、六つあるうちの一つだけ、他とは違う様相のエリアがあった。
そのエリアには狼はおらず、羊もたった四人。
彼らを羊と言うべきかは、判断に迷うところであるが。
「とりあえず、他のエリアに移動するのがいいだろう」
人を寄せ付けない冷たい声音の主、早乙女刀也は、腕を組んでそう提案した。
「異議なし」
短く囁くように同意をしたのは、刀也に負けず劣らず冷たい雰囲気を醸し出す女性。
名を、岬灯火。
「はいな。了解です」
灯火とは反対に、緊張感をなくさせるかのようなのんびりとした声。
高橋幸子というありふれたようでそうでない少女は、腰掛けたものの上で足をプラプラと揺らしていた。
その様子を無言で見守っている男は、一言で言うと胡散臭い笑みを浮かべていた。
ひと目で詐欺師のようだと思えるのに、それすら利用して相手を騙す。
そんな底知れない胡散臭さが垣間見える上杉臙脂。
ひと目で堅気ではないとわかる空気をまとった刀也と灯火。
普通じゃない状況で普通に見える幸子と、ひと目で胡散臭いとわかる臙脂。
着ている服は、それぞれ青と赤。
つまり、敵同士。
「じゃあ、ここで確認しましょう。この七日間僕らは敵対しないということでよろしいでしょうか?」
「いい。が、貴様が言うと胡散臭すぎて信用ならん」
「ご安心を。僕は嘘なんてつきませんので」
その臙脂の言葉さえ嘘であるというのはこの場にいる他の三人の共通した認識である。
「僕も運営の魂胆に乗るのは癪なので」
「どうだか」
吐き捨てるように言った灯火。
灯火は過去にこの胡散臭い男のせいで酷い目に遭っている。
ただし、それはこの場に集まった全員がそうであり、灯火が臙脂に酷い目に遭わされたのと同じように、灯火もまた、他の誰かに酷い目に遭わせている。
彼らは色のチームがどうのと言う前に、敵同士。
それは数回に渡ってゲームを生き残り続けた、異端者たちであるから当然といえば当然だった。
「じゃあ、行きましょっか」
幸子が腰掛けていたものから飛び降りる。
それは、大きな熊。
森林エリア。
本来なら植物園や、動物園さながらのコーナーがあるエリア。
しかし、今このエリアには、野放しで肉食動物が闊歩している。
ある意味で他のどのエリアよりも危険な地帯となりつつあった。
尤も、それを意にも介さない羊が四人。
「で、狼一番は今回も参加しているのか?」
猛獣が闊歩する中、刀也が気にするのはそれではなかった。
「さあ?」
「してなきゃいいですね」
「してるだろうね」
それぞれが答える。
答えの内容はバラバラだが、内心で思っていることは皆同じ。
十中八九、狼一番は参加していると。
狼一番。
その狼は、過去数回のゲームに、毎回参加している。
そして、毎回数多くの羊を狩っている。
それなのに、その姿を四人は知らない。
他の参加者も知らない。
知る時、それは彼らが死ぬ時だから。
「出会いたくないですね。おー怖い怖い」
胡散臭い笑みを浮かべながら臙脂が肩をすくめる。
「出会ったら、逆に狩るだけだ」
この場にいる四人全員の内心を代弁するかのような刀也の言葉。
猛獣よりもなお危険な羊たちが、動き始めていた。
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