第120話 それぞれの思惑

 小玉の問いに、泰は怪訝な顔をする。


「彼はどういう説明をしたんですか?」

「前に……文林を上官経由で物にしようとした男がいたじゃない?」


 元々すべて事態を把握しているだけに、その一言で泰は、すべてを理解したらしい。

 それにしても「上官経由で物にしようとした」という表現、言った本人がひっどいな思う。事実であるというところが、さらにひっどい。


 お相手が文林を口説こうとするだけなら、別によかった。


 小玉はそこまで放埒ほうらつではないが、あくまでそれはこの帝都基準。故郷のじさまばさまが聞いたら顔をしかめるくらいには、自由恋愛を楽しんだ身なので、そういう気持ちを持って相手に接近することは否定しない。


 盛大に振るなり、気持ちに応えるなり文林の意思に委ねられているなら、ほんとうにどうでもいい。

 小玉が介入するとしたら、清喜の告白大事件のように騒ぎになったときとか、お付きあいが仕事に影響が出たときくらいでしかるべきだ。


 そう思うと、復卿と清喜は本当にいいお付きあいだったんだな……と思う小玉は、ちょっと感覚が麻痺している。

 ともあれ、小玉は左遷中だったので全容を把握していないが、失脚して刑死したあの男の恩人とやらは本当に犯人なのか。そもそもそんな男はいたのか。


「小玉、あなたは物ごとを単純に考えたがりすぎる。それはあなたにとって有利に働くことが多いようですが、意識的に扱わないと身を滅ぼすきっかけになるんですよ」

「どういうこと?」


 言外に、頭が悪いと言われていることはわかる。確かに頭がよくない自覚はあるので、特に怒りは覚えない。なにせ目の前にいる男は、難関の科挙かきょを突破した男だ。


「犯人が単独でないかぎり、それぞれの思惑があるものですよ」

「両方とも正しいの?」

「そうです」

「そんなことってあるの?」


「むしろ、戦場で味方に襲撃かけるような大がかりな事件、単独犯でできると思いますか?」

 泰はたしなめるように言う。

「目的が同じであれば、思惑がどれほど違っても手を結ぶのが人間ですよ。なにせ目的も思惑も違うのに、手を結ぶこともあるくらいですから」


 小玉はぐうの音もでなかった。


「……それはともかく、文林が言っていたほうの犯人は、あたしに教えてくれるの?」

「ああ、もう片方のほうを私が教えないってことは、わかってくれていたんですね」


 言ってる内容は、やっぱり小玉を馬鹿にしているようにも聞こえるが。よくできましたという顔をする泰に、うっかり父性を感じてしまった小玉はつい嬉しくなってしまった。早くに父を亡くしているもので、つい……。


「そちらのほうは死にましたよ」

「え?」


 思わず聞きかえした小玉に、泰は説明を補う。

「襲撃の実行犯の一人です」

「そう、か……」

 他ならぬ復卿が、すでに始末していたことになる。


「ですから私たちにとって、この件はこれでおしまいです」

「ねえ、でもその死んだ男はなんでわざわざ命をかけたの? そんな大きな恩義があったの?」


 あんな奴に……という思いが、小玉にはあった。

 泰は肩をすくめた。


「大きいかどうかは、人によって意見が分かれると思いますよ。母親の病気を治すために、金を出してもらったらしいです」

「…………」


 小玉にとってそれは、「大きい」恩義だった。

 感情の行きどころが、急に迷子になった気がする。

 けれどもそれは対立する相手には、完全な悪であるか徹底的で理不尽であるに違いない……いやそうであってほしいという、自分の都合にすぎない。


 なぜならこちらの心が楽になるから。


「ねえ、やっぱりもう片方の犯人が誰か教えてくれないのね?」

 だから小玉は、泰に問いを重ねる。その相手こそ、小玉にとって徹底的に理不尽な存在であったから。

「そうですねえ……」


 泰は初対面のときより、だいぶ肉づきのよくなった自分のあごを片手でつかんで、少し考えると、まるで示しあわせていたかのように、さっきの班将軍みたいなことを言う。


「うん、清喜くんがよしって言ったらいいですよ」


 ただし、出した名前は意外も意外なものであった。


 ──……なんで?


 ぽかんとする小玉をよそに、泰は清喜を手招いた。不思議そうな顔をしながら、駆けよってきた清喜の耳に、ごにょごにょと小さい声で説明する。

 それほど時間がかからなかったことに、彼の説明の巧さがわかる。

 泰がささやきおわると、清喜は顔を上げて昂然と言いはなった。


「僕は嫌です」


 ――……なんで?


 今日いちばんの謎と出会ってしまった。


「復卿を死なせた相手でも?」


 小玉の問いはまっとうであったと、自分でも思う。けれど清喜は心外そうに答えた。

 それもかなりの長文で。


「復卿さんがなんのために死んだって、そんな小汚いおっさんのことなんかまったく関係なくて、ただ閣下を守るためだったんです。おっさんの情報に手を出したら、閣下にも累が及ぶと泰さんも班将軍もお思いなんでしょう? 復卿さんは自分のかたきを討つために、閣下の身を危険にさらすことは望まないはずです。というかそれで閣下になにかあったら、復卿さんは無駄死にもいいところです」


 相手が小汚いとどうして断定できるのか、小玉にはわからない……というか班将軍の政敵ということは相当な高官であるはずだから、少なくとも服装は身ぎれいにしているはずである。


「清喜、あんたはそれで納得できるの?」

「それで納得できないような人間だったら、僕はそもそも復卿さんとお付き合いしていません」


 きっぱりと言いはなつ清喜に、小玉はなるほどと思った。泰が清喜の名を出したことを。

 じろりと泰を見ると、彼はにこやかに笑った。


「そういうことですよ、小玉」


 つまりこいつは、とことんまで伝えるつもりがなかったのだ。


「……わかった」


 どこか悔しい思いがあるのは、もっとも長い付きあいの清喜のことを、自分より泰のほうが理解していたからだった。


「じゃあ、戻りますよ」

「はいよ……」


 来たときの小玉と同じように、足音高く清喜が歩きはじめる。

 泰は二人よりちょっと遅れて歩いていたので、彼の小さな呟きは風に吹きながされて、二人の耳に入らなかった。


 というか、泰が耳に入れるつもりがなかった。


「おっさんじゃなくて、おばさんなんだけどな……」


 まことに恐ろしいのは、思いこみというやつだ。


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