第119話 真相の糸口

「すまなかった」

「はあ」


 小玉は間の抜けた声を上げることしかできなかった。



 小玉は上官に頭を下げられたことが、実はけっこうな回数ある。

 相手はおう将軍だけど。そして、彼以外にはされたことないけど。これまでは。


 王将軍は愉快に生きてる犯人という意味で愉快犯なので、部下に頭を下げるような事態なんて珍しくない。べい中郎将なんて、小玉をはるかに上回る回数、王将軍に頭を下げられてきたはずである。

 なんなら小玉が王将軍と一緒に、米中郎将に頭を下げた回数だって数えるのもばかばかしいくらいある。


 ──そのうち、またおいしいもの贈ろっと……。


 申しわけないとは思っているし、感謝もしているので、米中郎将には付け届けを欠かさない小玉である。あと王将軍の夫人にも。



 ところで、今小玉の眼前で深々と頭を下げているのは王将軍ではない。

 班将軍である。



 そりゃあ間抜けな声も出てしまうというもの。部下に頭を下げるのが似合う人間、似合わない人間というしょうもない分類上、彼は間違いなく後者に属する。

 なにより、なんで頭を下げられているかの理由もわかっていないので。


「張から聞いていないのか?」


 どっちの張だ……と、小玉は脳裏に明慧と泰の顔を思いうかべたが、つい最近班将軍に接触したのは泰のはずだと考えた。


「張泰ですね。もしかして、先日の不始末の件でしょうか」

 一応確認はする。

「うむ」

「聞いておりません。彼は私より上位の班将軍に事態をお預けした時点で、下位である私に対しても守秘すべきだと考えたのでしょう」

 そういう奴である。


「なるほど」

 班将軍はその説明で納得した。


「確かにお前は、厳密には張の上司ではないからな。いや、これは私が不説明だった」

 所属については、確かにそのとおりである。先日も、所属があいまいなところを利用して、泰は責任をうやむやにしたことを思いだし、後ろめたい小玉はちょっとそわっとした。


「それは小官が聞いても、差しつかえないことですか?」

 念のため聞くと、班将軍は久しぶりに班将軍らしい言い方をした。


「知ること自体に差しつかえがあるならば、私がこうやって頭を下げるわけないだろう」

 言葉の内容はありふれているが、声の調子が非常に嫌みっぽい。


 小玉はあ?、この人らしいな?と、なにやら懐かしい気持ちにすらなりながら、「考えが足りませんでした」と頭を下げる。

 この人のこの態度、癖になる。


 なにより班将軍は心身に焦りがあると、ただの真面目なおじさんになってしまう。だから言動が戻ったのを目の当たりにすると、なんともいえない安心感があった。

 お元気そうでなによりですね、と感じるというか。


「先の襲撃の件、私の失脚を狙う者が関与している」


 おや、文林から聞いたことと少し違うぞと思いながら、小玉は「おそれながら」と口を開く。


「失脚、ですか……おそれながら、北衙ほくがから南衙なんがへ移られた時点で、だいぶ格は下がっているのでは?」

「不敬だぞ、関!」


 格が下がっているのは事実であるが、そもそも班将軍の移動は、皇帝の意を受けてのものである。それに対して批判的な発言をすることを、忠義にあついとされている班将軍が看過するわけがない。


「申しわけございません」

 本気でしかられて、小玉はすぐさま謝罪した。これは小玉が悪い。


 ――そういえば相手は、王将軍じゃなかった。


 王将軍であっても本当はよくないのだが、彼に対する甘えだとか気安さが悪いかたちで出てしまった。


「お前の言うことを否定はせん。相手は私が落ち目になったように見て、そこを突こうと思ったようだ」

「左様ですか……」

「結果、お前をいらぬ危険にさらし、大切な部下を一人死なせた……早々に手を打たなかったのは私の責任だ。すまない」


 頭を下げつつ、班将軍は怒りに震えていた。

 小玉は静かに尋ねた。


「その相手の名前を、小官が聞くことはできますか?」

「張が教えるなら、聞くことができるだろうな。私はお前の耳に入れるまでもないと思っている」


 迂遠うえんな言いまわしに小玉は悟った。班将軍自身は、その相手のことを教えるつもりはないのだと。

 先ほど班将軍に言った言葉が頭をよぎる。



 ――彼は私より上位の班将軍に事態をお預けした時点で、下位である私に対しても守秘すべきだと考えたのでしょう。



 班将軍が直接泰に命令しないかぎり、泰は口を開かず、そして今の班将軍の言い方は「命令しない」と言いきったも同然だった。

 ならば泰の口からは聞くことはできないだろうと、小玉は思った。この件については。


 でも別のことについては、多分聞けることがある。




「ちょっと面貸して、泰」

「はいはい」

 足音高く戻ってきた小玉と対照的に、泰は非常に落ちついていた。


「あと、清喜」

 清喜がばっと顔をあげる。

「えっ、僕怒られるんですか?」


 小玉の勢いと自分の名が呼ばれた事実が、清喜の中で結びついた結果、そういう考えに至ったらしい。


 そんなに心外そうな顔をしないでほしい……確かに今回は怒るようなことで呼んだわけではないが、怒られるような覚えが清喜の中にまったくないということが驚きである。怒られてもおかしくないことをいくつかやらかしているということを、清喜は本当に自覚していないのか。


 ともあれ二人を連れて、小玉は四阿あずまやへ向かった。


 少し離れたところで待機して、人が来たら知らせるようにと清喜に指示したら、「なるほどそういうことですか~」と安心した声をあげて離れていった。

 清喜がこちらから見える程度に離れた場所で立ちどまったのを見とどけて、小玉は泰に尋ねる。


「例の襲撃の件……文林に聞いていたことと食いちがうの。どっちが正しいの?」


 とはいえ、いくら泰でも班将軍に嘘をつくわけはなく、また班将軍も裏を取らないようなうかつな人間ではない。だから班将軍の言っていることが正しいのは、確定している。



 ならば文林が言っていたことは、いったいどういうことなのか。


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