第116話 お怒りの班将軍


「これまでずいぶんと、甘やかされたと見える」


 声こそ穏やかではあったものの、班将軍はたいそうお怒りであった。


 小玉が不可抗力で敗走し、頼りになる部下を失ったことを彼はもちろん知っているし、彼なりに気づかいをしてくれた。復卿の遺体を清めて、別れを惜しむための時間と場を作れたのは、彼のおかげでもある。


 しかしそれはそれとして切りかえて、締めるところは締める。

 非常に真面目なお方なのだ。


 いい上官だよな、と小玉は思いながら、頭を下げる。斜め後ろの文林も同様に頭を下げたのであろう。きぬずれの音が聞こえた。


「小官の教育不足です」

「そのとおりだな」

「したがって、責は小官めが」


 いかようにでも、と言うと班将軍は少し黙ってから口を開いた。


「だがそのちょう……泰とやらは、所属は軍であってもその実文官だ。厳密にはお前の部下ではない」

「お言葉ではございますが、長年小官の指示に従って動いてきた者です。やはり小官に責任があるかと」

「まあ待て。確かにそこのしゅうが、この用事のためだけにここに来たとあれば、それは問題だ。だが違うだろう?」

「……はい」


 班将軍が持っている手紙――先ほど小玉が文林に押しつけたものには、こう書かれている。


 奇襲の計画について耳に入れたが、信頼できる人間にこの情報を任せようと思った。そこで、父祖の地に詣でるという文林にこの情報を託すことにする。


 署名は張泰。泰は文林の移動は「ついで」であるという方便を交えつつ、自分の責任となる内容の文を伝令に渡したのだ。

 この自ら泥をかぶる内容の文のおかげで、今文林がここにいるのはあくまで「ついで」であり、孝の道に背いていないことになった。そして責任は小玉ではなく泰のものとなり、泰の所属という特徴が責任の所在を曖昧あいまいにしてくれた。


 それでも小玉が自分に責任があると繰りかえすのは、やはり、この件で泰が処罰を受けるべきではないと思ったからだ。

 彼はこの件で、なにひとつ悪いことをしていない。


 それなのに小玉が正直に事情を言わなかったのは、もしものことが頭をよぎったからだ。


 もし文林が間にあって、復卿が生きのこる……なんてことがあったなら。小玉は感謝の意を以て、全力で文林をかばったに違いない。なら、失敗したから文林を窮地に追いやるのか……そう思うと、もっとも累がおよばない方策を選ばずにはいられなかった。


「そういえば先ほど、帝都から使いが来たようだが?」

「この件について張泰本人が、『あまりの事態の大きさに、礼法に背くことをしてしまったとあとで気がついた。行軍元帥である班将軍に指示を仰ぎ、自分の処罰について沙汰さたを受けてほしい』と申しておりまして」

「うむ。自ら気づいたのならば、まだましか」


 班将軍はうんうんと頷き、「この件については、帝都に戻ってから検討しよう」と言った。


「お前も今は、戦に専念しろ」

「……かしこまりました」


 小玉はためらいがちに頷いた。

 続いて班将軍は、ここで初めて文林に直接声をかける。


「それから周」

「はい」

「父祖への祭祀さいしに向かう途中ではあるが、黄を見送ってやれ。かんの部下同士、旧知の仲であろう」

「……ご厚意に感謝申しあげます」


 文林は拱手こうしゅした。小玉も同じ礼をとり、深々と頭を下げた。


 彼はいい上司だし、いい人でもある。

 その相手を自分はだましたわけだ。


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