第115話 泥の道を行く
小玉が知らされた事情は、頭を悩ませるものだった。
けれども、もっとも懸念していたことではなかった。そこに小玉は
「泰から知らせが来た。あんた、あいつが止めるのを振りきって、ここに来たんだって?……襲撃のことを、知らせるために」
「……そうだ」
文林が顔を伏せたまま、肯定した。
明慧と清喜はなにも言わない。
「それで間に合わなかったから、『俺のせいだ』って? ずいぶんとうぬぼれたもんね」
小玉は吐きすてるように言いはなった。
「うぬぼれてるもんか。遠因は間違いなく俺だ。泰はそこまで伝えていないのか?」
それは伝えられていない。
「なにか事情があるの?」
「先の粛清で刑死した奴に、恩義ある者がいる。そいつが今回の情報を流した。俺を恨んで」
「逆恨み?」
小玉の問いに、文林は
「ただの恨みというべきなのかもしれないな……お前、ずいぶんと前に、俺を物にしようとした奴から、俺をかばっただろう」
記憶の奥底で眠る事柄をいきなり引っぱりだされ、小玉は怪訝な顔をしつつも頷く。
「そんなこともあったわね」
「そいつが刑死した奴だ」
小玉は喉の奥で唸った。なるほどね、とは思った。また文林がわきめもふらずここに駆けつけた心情も納得した。
「そのことって……あんたが見送りに間に合わなかったのと関係ある?」
かすかにではあるが、長らく引っかかっていたことを尋ねると、今度は文林が
「いや? それはない」
なんで今、その話題になる? という顔。
──ないんだ。
「ないのか」
うっかり心の声を口にしてしまったのかと思って、小玉はちょっとどきっとしたが、実際に口にしたのは、明慧であった。同じ気持ちだったらしい。
しかし……関係ないとは。
少し肩すかしを食らった気分だった。しかしささいな要素も、なにもかもが陰謀と結びつくと考えるのも、それはそれで都合がよすぎる(あるいは悪すぎる?)ものだ。だから小玉は、そういうものかと納得した。
気を取りなおし、小玉は再度文林に問いかける。
「あんたは今、自分がどういう立場なのかわかってる?」
文林の声が、硬質さを帯びる。
「
そう、丁憂なのである。
自宅で、祖父母の喪に服していなければならないのである。
服喪期間中は、一時的に官職を辞し、故人を悼む。これは権利であり、義務である。それもかなり厳しい
丁憂まっただ中の時期に、職務に服するというのは、懲戒による謹慎中に女遊びをするくらいの大問題だ。
ややこしい話になるが建前上、文林は今官職を辞しているので、処罰の対象にはならない。だが、丁憂が終わったあとの復職はまず不可能になってしまう。また文林を職務で動かす立場──つまり上司である小玉──は処罰の対象になる。
といってもその危うさは、泰からの知らせで理解したのであるが。
とはいえ、小玉がとりわけ不勉強というわけではない。
そもそも丁憂を真面目にこなさない人間など、小玉は見たことがないので、破った場合どうなるかということはよくわかっていなかった。
長く働いているからといって、規則を全部理解しているわけでもない。大きな組織であるなら、なおさらだ。それに小玉の場合、その穴を補う人間がいる。それが泰や文林であった。
穴を補う人間に大穴をあけられるとは、なかなか皮肉な事態である。
「あんたの姿は、もう人に見られてるし、あんたがいる理由を、速やかに
そもそもここまでたどり着く時点で、すでに隠匿はできない。人の動きは情報として残るものだ。
文林は武官ではあるが、密偵としての訓練を積んだわけではない。そもそもの話、文林がもしそんな技術を身につけていたなら、今のようなかたちでこの場にいるわけがなかった。
「あんたは、どうしてここに来たの? あたしが処分を受けるって、あんたならわかったでしょう?」
文林は静かな声で言った。
「命が助かればいいと思った」
「…………」
「お前が、死ぬかと思った。俺のせいで」
「そう」
事実、復卿の申し出がなければ、文林の言葉のとおり小玉が死んでいた。今ごろは明慧が、死体を清めていたかもしれない。
「間にあわなかったな」
「間にあわなかったわね」
小玉は同意し、再び問いを発する。
「文林。最悪あんたとあたしは一緒に首を切られる。その覚悟はできている?」
「ああ」
彼が頷くのを見ると、小玉は懐から一通の手紙を取りだし、文林の胸に叩きつけるようにして押しやった。
「小玉? これは……」
「読みなさい。そしてそれを持って、あたしと一緒に班将軍のところに報告しに行くわよ」
小玉は
部下のやらかしたことに責任をとる上官として、小玉は背筋を伸ばして歩を進める。
けれども内心では、沼地を歩くように心もとない気持ちだった。
今日、自分の根っこの一つが腐りおちた。
小玉はそう認識した。
かつて自分は、部下を守るために強くなりたいと考えて、そのために動いた。そして一人の部下を助けたつもりだった。けれどもそのせいで、一人の部下を失ったのだ。
その事実に、自分には怒る資格も、悲しむ資格もないとわかっている。
けれどもそれじゃあ、自分にはなにをすることが許されているのだろう、残されているのだろうと小玉は思った。
ずぶずぶと、沈みながら歩いていくことだけなのか。
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