第113話 涙は流さない

 小玉を呼びにいった明慧は、去っていく小玉と入れちがいのかたちで、場にとどまる。


 清喜は復卿の身を黙々と清め、文林は心ここにあらずという風情で突ったっている。文林については、なんであんたがここにいるんだい、と明慧は思わなかった。伝令から一足先に、ある程度は「事情」を聞いていたから。

 明慧はかがみこみ、清喜に声をかける。


「手伝うよ」

「ありがとうございます。それじゃあ白粉おしろいをですね……」

 化粧道具一式を取りだした清喜に、明慧は自分の申し出を即時撤回した。


「すまない、それについてはあたしは役に立てない……」

 舌の根も乾かぬうちに、こんなことを言ってしまう自分を、明慧は少なからず恥じた。


 ――どんな技術でも自分とは無縁と思わないで、かじる程度でもいいから身につけておけばよかった。


「あ、そんなに高度なことは頼みません。白粉を溶く水を、んできてほしいだけなので……」

 鉢を差しだしてくる清喜は、こういうときでもやっぱり微妙に失礼であった。


 しかし明慧にとっては、罪悪感を消してくれる頼みであった。むしろ得意分野といってもいいので、そういう頼みを任せようとする清喜の気づかいに感謝してさえいる。

「それなら任せておくれ」

 ついでに汚れた水を捨てていこうと、明慧はおけを持った。


 文林はまだ突っ立ったままだ。明慧は彼をちらりと見て、動こうとしないことを確認してほっとした。今の彼はここにいたほうがいい。

 人払いをしているここに。



 桶の汚れた水を捨ててから、気づかいのできる明慧は川へ向かった。

 鉢で水を汲んで、桶の中に次々と注ぎこむ。桶のなかには血と泥で汚れた布がわんさと入っていた。

 たとえ死人の体を拭いたあとの布であっても、戦場では貴重な物資だ。洗うのは後にするにしても、水につけておくにこしたことはなかった。


 ふと、復卿が死んだのだということを、心の底から理解した。


 この布を使われた復卿は、この布が今後使われることを考えることもないのだ。

 明慧は復卿の将来というか、死にざまについて思いをせたことがある。遠い昔……というほどではないのが、どこか物悲しい。


 数年。

 たったの数年だ。

 明慧の予想したときから、そのとおりのかたちで彼は逝ってしまった。


 覚えず、ため息が出た。

 彼は満足して死んだのだという確信が、明慧の心中にはある。けれども「よかったな」という言祝ことほぐ気持ちも、「よくやった!」という賛美の念も明慧にはなかった。自分でも意外なことだった。


 彼が「あのように」死んだのなら、自分はきっと「そのように」思うはずだったのに。


 育ち柄、明慧は幼少のころより侠客きょうかくという人間に触れてきて、侠気というものの価値観に親しんできた。後に父に対する隔意を持っても、実家から離れても、その価値観をよしとする心は明慧の中から消えていない。

 それは父に対する思いとの間で、摩擦を起こすこともしばしばだった。

 それくらい明慧の根に食い込んだ概念だったのに、復卿の死はそれをまるで無視させてくれる。特に嬉しくはない。


 やろうと思ってやれるものではないそれがあっさりできてしまって、明慧は少なからず戸惑いを覚える。

 悲しいわけではなく、怒っているわけではなく、そして寂しいというには少し足りない。明確な喪失感があるわけでもなく、しかし間違いなく自分は失ったのだと思った。

 それは多分、安定というものだ。


 明慧にとってあの男はどうしようもない馬鹿だったし、発想も理解に苦しむものがあったし、欠点も山ほどあった。

 けれども彼になにかを任せて不安になるということはなかった。これから先、彼からしか受けることのできない安心を、二度と感じられなくなるのだということは、ただただむなしい。


 きっと、小玉が死んでもそうは思わない。

 これは小玉より復卿が重要だからなのではなく、自分の中での彼らの立ち位置の問題だ。


 小玉に対しては、自分がいなきゃ、とか支えなくちゃとか思っていた。今もそのふしがある。

 小玉の死にざまを、明慧はまだ想像しきれてはいない。だが死に方によっては感嘆し、あるいは慟哭どうこくし、または激怒するであろう。


 それは多分、明慧の成長の中で培われた価値観が、明慧の精神にもたらす情動に違いない。おさえようとしても、おさえられないはずだ。

 それとまったく違う感情をもたらした復卿は、明慧にとってまったく意識していなかった「特別」な存在だった。失われてから気づいたというのが、陳腐なことではあるが。

 胸に去来するのは悲しみではないから、涙は流さない。けれども胸の中でこう呟く。


 ──あたしの人生、お前みたいに思える人間は他にいないな。


 恋ではなく、愛ではなく、下手をしたら友情ですらない。そういう感情とはまったく別のところで、こんなふうに思える人間は明慧にとって復卿だけだった。貴重であるかは別にして、そんな人間を自分は失ったのだ。


 明慧は腕を失ったばかりの兵が、歩くのを見たことがある。失った腕のせいで、体の平衡を失って転びそうになるのだ。これまでは当たり前のように、まったく意識していなくてもできたものが、できなくなるのだ。


 自分でも驚くほど、とその兵は言っていた。

 腕って大切なんですね、と冗談めかしつつも隠しきれない虚しさが彼にはあった。


 実際のところ復卿の死に対する明慧の思いは、語弊はあるだろうがさほどたいしたものではない。けれども小玉にとってはどうだろうと明慧は思う。あのよろめく兵の姿が、小玉に重なった。

 その彼女をこれから支えるのは、いずれ小玉を窮地に陥れるだろうと、かつて明慧が予想した男なのだ。


 よりにもよって、と思いはする。

 けれども、自分の予想が外れてくれないかな、と思いもする。

 願望が混ざっているのは事実だが、「だって実際のところ、そういうものじゃないか」と明慧は感じている。


 明慧は自分が凡庸であるとは思わない。けれどもすべての面で非凡であるとも思えない。

 個人として戦うことについては、自信がある。人を率いるのもまあまあ自信はある。でも人を見る目はそこまでではないし、ましてや将来を予想することなど。


 そもそももし自分の人を見る目が非凡だったら、復卿の不祥事の際に、小玉に対して反対することはしなかった。ただ女装した直後については、人を見る目を持っていたらよけいに反対したとは思うが。


 復卿については、確かに明慧の予想が当たった。だがだからといって、他の人間のことまで明慧の分析どおりになる保証ができたわけではない。

 誰かのことをよく知っているからといって、その人の未来が「こうに違いない」と当てることができるわけではない。だってその理屈だと、誰よりも自分のことを知っているはずの人間──自分自身だとかはたまた親だとかが予想したとおりになるはずなのだ。


 けれども実際のところはどうだろう。


 子どもなんて、親の考えを裏切る成長をするものよと、阿蓮あれんなんかは言っていた。そのときはまだ存命だった小玉の兄嫁も同席していて、苦笑いをしていた覚えがある。


 明慧からしてみれば三娘さんじょうの息子である丙が、そこまで親の思いを裏切るような意外性のある成長をしているとは思えないのだが、親にしか見えないものがあったのだろうか。

 あるいはそのときの三娘は自分自身のことや、義妹いもうとである小玉のことを考えたのかもしれない。

 当時の三娘は、医師の手伝いとして頭角を現しはじめていて、確かに彼女の生い立ちからはそうなるとは思えない変化だった。幼少期を共に過ごしていた小玉も、驚くくらいなのだから。


 そもそも小玉だって、ああいういきさつで武官になって出世するなんて、幼いころの彼女を知る者たちの誰がわかったであろうか。


「そうなる前」の小玉がその片鱗へんりんを見せていたのかもしれないと明慧は思うものの、それは「そうなった後」の小玉しか知らない人間の願望のようなものなのだ。

「そうなるように育てあげた」場合以外は、人は他人の思ったようにはならない。

 そこまで考えて、明慧は一人苦笑いした。


 そういえば自分は、「そうなるように育てあげられるところだった人間」だった。




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