第110話 罠

 はん将軍の下での戦いは、比較的順調に進んだ。

 班将軍、そして小玉しょうぎょくという組みあわせはこれまでにないものだったが、それだけにお互い慎重に動くことができ、そしてそれがいい方向に行った。


 班将軍は小玉をよく信用してくれたし、小玉も班将軍によく従った。


 その伝令がやってきたのは、小玉が班将軍の指揮下から一度離脱し、周辺の森の偵察に向かっていたときだった。


「……報告です!」


 小玉は、緊張を顔にみなぎらせて問う。

「なにごと?」


「奇襲です! こうの隊が……!」

 その言葉に、小玉たちは目を見交わす。


「何校尉ね……」

 小玉と同様、班将軍の命令で偵察を行っている一隊だ。

 階級からもわかるとおり、小玉よりも率いる兵の数は少ない。

 奇襲を受けても、長く持ちこたえられないだろう。


 即座に判断する。

「援護する」

 これまた即座に部下たちが動き出す。


 伝令を道案内に、小玉たちは何校尉たちが戦っているという場に向かった……が、小玉は不意に行軍を止めた。

「どうしたんだい、小玉?」

「おかしい……」

 剣戟けんげきの音、血のにおい。戦いの場が近いというのに、それらがまったく感じられないのだ。


 それでいて、なぜかとげとげしい気配だけは感じられる。

 いわゆる、殺気というもの。


「……伝令!」

 問いただそうとする小玉の呼びかけと、伝令の行動はほぼ同時のものだった。

 伝令は懐から取り出した笛を高らかに吹いた。


「止めろ明慧めいけい!」

 小玉の命令に即座に従い、明慧が伝令を殴り倒す。


「こいつを抱えてちょうだい……退くぞ! 本隊に戻る!」

 伝令……本当にそうならの話であるが、彼がなんでそんなことをしたのかはわからない。だが、この状況がよろしくないことはわかる。

 明慧が伝令を小脇に抱えたところで小玉たちは引き返そうとし……、


 次の瞬間、矢が降ってきた。


「退け! とにかく退け!」

 小玉の命令で、部隊は一斉に後退する。

 その間にも矢は彼女たちを襲う。


「くっそ!」

「明慧!」


 明慧の腕、そして伝令の体に矢が突きささった。


「大丈夫。あたしはね! でもこっちは駄目!」

 明慧はいらたしげに叫ぶ。明慧が抱えている伝令の首に矢が刺さっていた。もう絶命していた。


 小玉は舌打ちをする。しかし物言わぬ死体になっても、死体がなにかを語ることはある。そもそも明慧に……というか、明慧が抱える伝令に矢が集中したことから、彼がなにか情報を持っていたに違いない。いわゆる口止めというやつだ。


「明慧、ぎりぎりまでそいつ持ってて!」

 混戦になれば放棄せざるをえないが、それまでは死体を保持したままでいたい。

「わかった!」

 明慧は無傷の腕のほうで、伝令の死体を抱えなおした。


「小玉」

 そのとき、復卿ふくけいが小玉を低い声で呼んだ。


「兵を何人か連れていく。俺が食いとめる」

「復卿!」

「その間に援軍を呼んでくれ」


 彼の提案の有効性を即座に判断し、小玉はぐっと唇をんだ。

 同時に、彼の致死性の高さもわかってしまったからだ。


「こいつがかんちょうだった場合、密通している人間のことがわかるかもしれない! 証拠を放棄するような真似をするな!」

「……わかった!」

 その言葉に、小玉は逡巡しゅんじゅんを放棄した。

 


 去っていく上官たちを背に感じながら、復卿は頭に巻いた華やかな布を巻き直した。


 そして部下たちに告げる。

「……お前たち、俺のことをかんろうしょうと呼べ」

「は……?」

 この緊急事態になにを言うのだ、という顔をする部下に、復卿は普段の冗談めかした態度を一切取りはらった顔で言ってのけた。


「『関小玉』という声が聞こえた。つまりあいつらは、小玉を狙っているんだ」

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