第109話 文林の喪中と出征

 はん将軍の下で働きはじめて数か月経ったころ、今度は文林ぶんりんの祖父母が死んだ。

 商談をまとめるために近隣の街へ向かう途中、地滑りに巻きこまれたのだという。


「この度は……」

 そう述べる小玉しょうぎょくに、文林は淡々と礼を述べた。

 そこに儀礼以上のものは見いだせなかった。


「しばらく休むことにする」

「そうね、喪中だもの。商売のこともあるんだろうし?」

 祖父母が亡くなった以上、実家の商売のことも、文林が取り仕切らねばならない。間違いなく忙しくなるはずだ。


「跡を継ぐつもりなの?」

 さらりと発した小玉の質問は、本来ならば「聞きにくい話題」に類するもののはずだった。

 文林が実家の跡を継ぐならば、彼は軍には戻ってこられないはずだ。


 つまり小玉の問いは「軍に戻る気があるの? ないの?」という、今後の進退を容赦なく問い詰めるものだった。

 繊細な話題であるが、こちとら部下を管理する立場だ。やめるかどうか、なんとなくでもいいからあらかじめ把握しておきたいというものである。


 とはいえ急な話だから、「まだわからない」という返事でも仕方がないとも思っていた。しかし文林は今後の方針について、すでに腹を決めていたらしい。


「商売は畳む」

 淡々と言う文林に、小玉は驚いた。


「あんたそれ、けっこう大変なことじゃない?」

「そのために色々やらなくちゃならないことがあるから休むんだよ」

「まあ……そうなんだろうけど」

「特に、ずっとうちで働いていてくれた人間の今後については、きちんと世話をする必要があるしな」

「それはまことにそのとおりですね!」

 そこらへんの責任は、立派に果たしてから戻ってきてください。


 とはいえ小玉は、文林がそんなことで手こずるとは思っていなかった。

 急な服喪にあたっても、泰にきちんと引き継ぎをしてから出て行った彼の手腕は、実際確かなものだった。

 それほど切羽詰まっていない状況である昨今の情勢のままであれば、文林が戻ってくるまで大過なく過ごせるであろう。


 しかし、そうはいかないのが世の中というものである。


        ※


 当今とうぎん御代みよでは二度目の出征だった。


 前回と同様に戦う相手はかんである。

 あまり戦い慣れていないこう相手でなくて、幸いというべきなのか。


 とかくけんをふっかけたがった先帝と違い、現在の皇帝は外に目を向けることがない御仁である。

 それは気弱だからというわけではない。彼は現在の国情で優先すべきことに着手しているだけで、その結果戦に対して消極的なのである。


 かつて小玉が仕えていたていに対する仕打ちに思うところはあるが、為政者としてはこれまでの誰よりも安心して日々が過ごせる方だと小玉は思っている。


 まだ二十代という若さなのに、すでに二回も代替わりを体験した小玉である。

 彼女としてはできればこのまま当今の御代が続いてほしいと思っていた。



 そのためにも、戦には勝たねばならない。



「さて、そろそろ皆さん出発しますよ!」

 小玉の呼びかけに、部下たちが「はーい!」といいお返事をする。

 ちゃしてはいるが、全員ほどよく緊張し、ほどよく気が抜けているように見える。


「じゃあ行こうか」

 周囲の側近たち――明慧めいけい復卿ふくけい、あとせいに声をかけ、馬を進ませようとする小玉を、たいが止めた。彼には留守居を任せている。


「もう少し待ってください。しゅう隊正たいせいが来るはずなんですが……」

「なに、見送り?」

 喪中であるため出征はできないものの、それくらいなら……と文林が考えたのだろうか。


 あの性格で……と失礼なことを考える小玉。


 泰は「おかしいな……」などとつぶやきながら、辺りをきょろきょろと見渡す。

「もう少し待てますか?」

 泰の懇願に、小玉は「それは無理」ときっぱり断言する。意地悪をしているわけではない。


「わかるでしょ?」

「それは……そうですね」

 軍隊の遅刻は、ごめんなさいだとか便所掃除で済む問題ではない。


 首が飛ぶ。それも複数。


「行くわ。なにかあったら連絡ちょうだい」

「はい……」

 不承不承という感じで頷く泰に、なにか感じるところはあったが、遅らせるわけにはいかないので、小玉は号令をかけた。

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