第108話 お招きにあずかりまして

 文林ぶんりんを従えてはん将軍の自宅に向かい、挨拶あいさつを済ませる……と、班将軍はあごに手を当てながら、言いはなった。


「ふむ、あまりにもなっていないようならば、早いうちになんとかせねばと思っていたが……まあ、悪くはないか」

 嫌みったらしい……が、文林の辛辣しんらつな言葉に比べるとなんでもない気がするので、嫌な方向に鍛えられているのかもしれない。そんな自分がちょっと嫌な小玉しょうぎょくである。

 そして文林の指図は正しかったのだなと、感心もした。やはりちょっと不安だったのである。


 班将軍はちらと文林のほうを見た。

「私の下についたことで、お前にはこれまでと違う型の人間も近づくはずだ。その点で苦労をさせるかと思っていたが……悪くない補佐がいるらしいな」

 小玉は無言で頭を下げつつ、彼の言葉を拝聴していた。

 上官の言葉に口を挟んではいけないから無言なのであるが、仮になにか言えたとしても選ぶ言葉に困っただろう。


 ――親切が、わかりにくい!

 お宅訪問についての感想は、その一言に尽きる。


 とはいえそういうものだと思えば、班将軍の態度も、決して悪いものではなかった。危惧きぐしていた奥方との歓談もこの日行われなかったことであるし。

「お前が気づかれするだろう」というお言葉、正直ありがたかった。



 確かに「嫌みったらしいんだよね~、あの人!」というおう将軍の人物評は正しかった。

 それは小玉ですら擁護しようもないくらい正しかった。これはもうこの人の生来持った悪癖といえよう。


 けれども彼の、特に寛との戦いにおける中継ぎの将軍としての立場に徹しようとする姿勢は常にぶれなかったし、そのための努力も疑いようもなかった。


 しっかり仕事していて、部下との交流について最低限以上の働きかけをしている彼に、これ以上なにか求める資格を持つ者がいるだろうか。少なくとも小玉ではない。

 ご家族には言いたいことのひとつやふたつあるかもしれないけれど。


 ただ、やはり住む世界が違うなという感覚はあった。話が色々と合わない。

 班将軍も合わせてくれようと頑張っている様子が見えるだけに、なんだか申しわけなかった。


 そんなところで意外に二人の橋渡しをしてくれたのが、文林と班将軍の妻であるそう夫人である。


 特に班将軍と文林は趣味が合うようで、主に趣味でかなり意気投合していた。


 小玉とうまくいったのは、琮夫人である。

 相手は皇族の姫で、下手をすれば班将軍よりも立場がかけはなれている人物であるが、後日もうけられた対面の場、緊張して臨んだわりにかなり滞りなく進んでしまい、小玉は目を白黒させた。

 だがよくよく考えると、自分ちょっと前まで仕えていたんである。あらゆる姫の中でも最もとうとく、もっともわがままとうたわれたあのていに。

 今や王妃となったかつてのあるじのことを思い返し、小玉は確かにあの方に比べればなあ……と納得するところがあった。

 年齢は圧倒的に琮夫人のほうが大人で、性格も圧倒的に琮夫人のほうが大人しい。


 また、単純に琮夫人が小玉によくしてやろうと気を配ってくれたおかげもあって、滞りなく人間関係が構築できたのだろう。

 若い娘が軍で働いているということを、彼女は純粋に気の毒がっているようだった。


 かわいそう、と思われることは時に心を傷つけることがある。

 だが琮夫人の同情は、小玉を一人苦笑させるものではあっても傷つけるたぐいのものではなかった。

 またなによりも琮夫人の厚意は明確だったから、小玉は大人しく琮夫人の同情を受けとることができたのだった。


 彼女は実に善良な女性で、夫と息子を大切にしていた。そして夫と息子に大切にされていた。

 小玉は今の自分を否定はしないが、琮夫人の姿は一つの理想のかたちであり、その一端に触れることは心地よいものと感じていた。



 小玉が班将軍に対して最も好ましいと思うところは、自身の嫌悪について一歩引いた行動をとることができる点だった。


 彼は宦官かんがんが嫌いなのだという。

 それも祖父が宦官に陥れられて死罪になったとかで、嫌っている理由が非常に納得できるものである。


 けれども、宦官である沈賢しんけんきょうの腹心であるぎょうせい、そして元従卒である小玉に対し、そういう態度をなるべく見せようとはしまいという点はさすがであるし、もし線引きができていない人間であるならば、そもそもなん禁軍で二人を部下にするような事態を甘受することはないだろう。

「大事だと思うことのためなら、自分からあえて苦手な状況に身を置くことをためらわない姿勢は、正直好感が持てる」

 などと述べたのは文林である。

 小玉以下、部下たちも真剣にうなずいた。これまでの上官たちとは毛色が違うが、彼もまた敬意に値する逸材であった。

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