第104話 開戦の予兆

 部下の起こした騒ぎは、上官の責任である。

 そういうわけで小玉しょうぎょくおう将軍のところへ謝罪に向かった。


 とはいえ今回のことは一つも小玉のせいではなかったし、それどころか発端は小玉の部下ですらないお見合いおばさんたちである。

 なお、彼女たちも彼女たちでべいちゅうろうしょうに「職務外のことで、職務中の武官を、職場で拘束して騒ぎを起こすな」等々まっとうに叱責しっせきされて適切な処分も受けたので、小玉としては「なんで自分が」という思いを持ったりはしなかった。

 王将軍も事情がよくわかっていたのか、特に怒りはしなかった。


 というか、腹を抱えて笑った。


「いやー、すごい面白い! なんでお前もっと詳しい事情知らないの? 従卒の彼って、お前んち住んでるんでしょ?」

 ついでに野次馬根性も発揮してきた。


 そんな王将軍に、米中郎将がため息をつく。

「もう少し緊張感をお持ちください」

 自分に対して言われたことではないが、小玉は恐縮する。

 今回事態を見事に収集してくれた彼に対して、小玉は申しわけなさと感謝の気持ちしかない。


「それにしてもこうは、よく騒ぎに巻きこまれるな」

「半分以上は自分から起こしてる感もありますがね」

 王将軍と米中郎将は、同情なんだか不平なんだかわからない口ぶりで言いあった。


 復卿ふくけいが小玉の部下になる前のこと、部下になったいきさつ、部下になった後のこと……それらを全部知っているうえに、一部は巻きこまれもしている彼らの言葉には、それなりに重みがあった。


 とはいえ、その意見にはもの申したいところがある。

「ですが今回、黄復卿に関しては、能動的に関与はしていないようでした」

 小玉は持つべきところに関しては、復卿の肩を持った。


 つまり責任の主体はせいにあるということで、そうなるとやはり清喜の直属の上官である小玉もそれなりに動く必要があるはずだ。


 王将軍はまだ半笑いの顔であったが、目だけは真剣なものにした。

「まあな。だが、特にお前の従卒。人前で騒ぎを増長させるような言動をしたことについては、相応に対処しろ」


「はい」

 小玉は素直にうなずいた。


 王将軍はさらに言葉を付けくわえる。

「だが色恋沙汰ざたそのものには、特になにもする必要はない」


「閣下」

 米中郎将が小言めいた声をあげる。王将軍はこともなげに言った。

「最近めっきり減ってはいるが、それほど珍しいことじゃない。お隣さんだとまだお盛んだしな」

 王将軍の言っているとおりで、軍の中では男性同士で交際している人間はまあまあいる。先日までけんかをしていたかんという国では、かなり盛んなようだ。


「よそはよそ、うちはうちです」

 米中郎将は、ちいさいお子さんをお持ちのお母さんみたいなことを言うが、王将軍は歯牙しがにもかけない。

「他人に迷惑がかからないなら、誰を好きになってもいいだろう。な? かん

「あたしもそうは思います。ただ……」

 今回部下がご迷惑をおかけしました、という気持ちになっている小玉は、はっきりとは頷けなかった。

「ただ?」

「悪目立ちすることは、彼らのためにならないんじゃないかなとも思いはします……」


 王将軍は今度は苦笑した。

「それはまた違う問題だ。お前がちゃんと話しあいをして、二人にも話しあわせろ」

「……わかりました」

 これはそうとうに寛大な対応をしてもらっている。それをよく理解している小玉は、強く頷いた。


「閣下」

 物言いたげな米中郎将の言葉に、王将軍は感情のない声で返す。

「また戦が起こるようだ。変に未練を残すことがないようにしてやれ」

 その言葉に、小玉も顔からすっと感情を消した。


 先日までと思っていたが、どうやらまた国同士のけんが始まるらしい。


「ちょうどいいから、お前もこの話、聞いておくように」

 椅子を勧められ、小玉は素直に腰掛けた。これは話が長びくとみえる。


「はい……また寛が?」

「うーん、両方かな」

 小玉の問いに、王将軍は苦々しい顔になった。


こうも?」

 つい先日までけんかしていた国は寛という国である。

 康は寛と同様にこの国と隣接しており、お世辞にも仲がよいとは言えない相手であるが、ここしばらくは大規模な戦いをしていない。


「あっちは代替わりして間もないし、しかも女王がまだ幼いときている。なにが起こってもおかしくないさ」

「そうですか……」

 小玉は康との国境警備を行っている沈賢恭に思いをはせた。


「でも目下危険なほうは、寛だな」

「将軍が行かれるんですよね」

 寛との戦いに一番慣れているのは王将軍である。おそらく自分はそれにくっついていくかたちになるのだろう。


 だが案に相違して、王将軍は首を横に振る。


「いや、次に開戦しても、俺は行かないことになった」

「なんでですか!?」

たいのご意向だ。寛と戦える人間が少なくなっている以上、俺を死なせかねないようなことはしたくないんだと」

「と、いいますと?」

「しばらく後進の教育に携われって。実際前よりも余裕あるし、そうするなら今しかないからな」


 なるほど、と小玉は頷いた。さすがは賢帝と名高い当今とうぎんである。先帝よりははるかに先を見ている。


 しかし、問題がある。


「じゃあ次の戦い、将軍なしでどうやって寛と戦うんですか」

 さすがに王将軍なしで寛と戦えるとは思えない。

 というか、だからこそ王将軍を教える側に持っていくことになっているわけだから、わかりやすく矛盾している。


「あーそれねー、ほくから、一人将軍がこっちに来ることになった。で、寛と康との戦いは、しばらくその将軍が担当する。班開道はんかいどうって知ってる?」

「うーん、班将軍って人は知ってますけど、下の名前は知らないです」

 小玉は半端に頷いた。

 なにせていの下の名前ですら知らなかった小玉である。


「奥さまが皇族で、へい侍郎じろうの妹って人なんですけど」

「うん、その人だわ。そういうことは知ってるのなお前」

「あたしも噂話が好きなお年ごろになってきたんだと思います……それで、その班将軍ですか、わざわざ南衙に来るなんてどういうことですか?」


 禁軍は北衙となんに分かれるが、格の上下でいえば北衙のほうが圧倒的に上である。

 なにせ所属するにあたって、武科ぶかきょに合格し、なおかつ一定以上の家柄の出である必要があるのだから。

 そんな中で将軍にまで出世した人が、南衙禁軍にまで来るなんてよほどのことである。


「大家のご意向に沿うためならばってことだよ。忠義にはあついよ~、あの人は。会ったら感心すると思う」

「へー」

 やる気ないようにしか聞こえない相づちであるが、小玉はちゃんと感心はしている。


「でもだいぶ心えぐってくるから、頑張れよ」

「……ん?」

 王将軍の補足説明に、小玉は二点ひっかかるものを感じた。


 まず「心えぐってくる」という新しい情報に、そして「頑張れよ」という励ましの言葉。

 なにを頑張れと言うのだ。


 王将軍の顔を見ると、彼はにやりと笑いかけてきた。

「お、察したね」

「頑張るんですか、あたし。班将軍の下で」

 疑問というより確認という感じで小玉は問いかける。無駄に倒置法で強調してしまった。


「そう! 俺が行けない代わりに、班将軍の下に寛に慣れている人間をつけるって話になったんだよ」

「米中郎将は駄目なんですか!?」

 王将軍に鍛えられ、なおかつ小玉より格上の人間は他にもいる。その筆頭が、米中郎将だ。


 しかし彼は小玉の声に、重々しく首を横に振った。

「駄目だ。私が行くと、王将軍の仕事の効率が十分の一くらいになる。それくらいなら、王将軍を戦わせたほうがましだ」

 米中郎将は真顔でひどいことを言う。


 王将軍が彼のほうを見て、「お前な……」みたいな顔をしたが、やぶつついて蛇を出すような愚を犯す人ではない。

 米中郎将にはなにも言わず、小玉に向きなおった。


「だからお前を出すことにした。康側については、けんきょうぎょうせいを出すと言っていた。お前知ってるだろ?」

「あ、はい!」

 思わぬ名前が出て、小玉は驚いた。

 しん賢恭の側近の一人で、知っているもなにも、初陣のときにおんぶしてもらったことさえある人物である。


「お前たち同士が知り合いだと連携とりやすいだろ。だから二重の意味でいい人選だと思うんだよな。そういうこと」

「すごく納得しました」

 小玉はうんうんと頷いた。それはもう謹んで拝命いたしますというやつである。


「で、『心えぐる』っていうのはどういうふうに……」

「あ、そこ気になる?」

 気になるに決まっている。


「嫌みったらしいんだよね~、あの人!」

「嫌みったらしい……」

 ごく普通に嫌な要素である。「でもそんなに理不尽じゃないから!」などと付けたす王将軍であるが、嫌み言われるって理不尽なことなんじゃないだろうか。


「それにお前ほら、あいつと付きあい長いだろ、ちんってやつ。あいつで慣れてりゃ問題ないんじゃないかな。ああいう感じの人」

しゅくあんですか……まあ、ああいう感じなら」


「小玉のお父さん」こと陳叔安は、王将軍の麾下きかに入ったことはないはずだが、なぜか名前を知られているようだ。

 なお奥方は近々、また出産する予定だ。めでたいことである。


「あとついでにめでたいこと、もう一つ。お前また昇格するから。今度はろうしょうな。おめでとう!」

「おめでとう」


「はあっ!?」

 上官二人に唐突に拍手され、小玉はすっとんきょうな声をあげた。

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