第96話 老婆の予言・三娘

 生まれ育った故郷を出て都に出ることには困難が伴うと、さんじょうは覚悟していた。

 もちろん義妹である小玉しょうぎょくが有形無形の手助けをしてくれるとわかってはいたが、自分の心がなじむのはとてもたいへんなことだと三娘はわかっていた。

 自分は柔軟とはほどとおい性質をしている。小玉を見ていたらよくわかる。しかもそれは、年々増す一方だ。


 けれども都での生活は、思ったより充実していた。


 三娘は朝、小玉が仕事に出るのを見送ってから、家中の掃除をする。

 残りの時間はひたすら糸を紡いだり、布を織ったりする。

 あるいは庭に作った畑の世話をする。

 そういうふうに、三娘が以前から馴染んでいることで一日を過ごせるようにとりはからったのは小玉だった。


 三娘が働かなくとも、生活がなりたつということは薄々であるが気づいていた。

 だが、何もしないでいることには耐えられない。働かないと、働き続けないと生きていけない。

 そのことを小玉はよくわかっていたのだろう。


 おかげで三娘は思いのほか早く、新しいことをやってみようという気になれている。

 最近は市に出て買いものをするということに、少しずつ取り組んでいる。



 三娘が糸をよっていると、息子のへいが声をかけてきた。

「母ちゃん、おれ、外行ってくる!」

「どこに行くの?」

ちんさんち!」


 陳さんこと、陳しゅくあんは小玉の昔の同僚なのだという。

 三娘やしゅうとめと同じ名字だが、血縁関係はまるでない。しかし小玉は、同じ名字なので相手に親近感を覚えたというのだから、なんとなく縁を感じるところがあった。

 だから三娘も陳一家とはあまり抵抗なく付きあえている。


「気をつけてね」

「はーい!」

 彼は陳家の子どもたちをはじめ、あっというまにご近所にとけこんでいた。子どもは大人より圧倒的に順応が早い。でも彼の場合、子どもだからというだけではないのではと三娘は思っている。彼は小玉に似ている。

「あ、書きとり忘れないように!」

「忘れてた! それやってから行く」

「そうしなさい」

 三娘が言い添えると、丙はきびすを返し、ぱたぱたと自室に戻っていく。

 三娘と違い、丙までやらなくてもいい仕事をやらせる必要はないので、小玉との相談の上、勉強をさせている。


「学問はさあ、させておけば、最悪身一つでも食っていけるからねえ」

 と小玉は言う。

 三娘も同じ意見を持っていたし、彼女がいうならば、より間違いないと思った。

「でも、不向きだったら、手に技術つけさせよう。あの子、落ち着きないし」

 それについても同意だが、共感はできなかった。なんというかお前が言うか、という感じである。

 幼いころ、今の息子によく似ていたそんな小玉でも、今ではいっぱしの人間になっているのだ。


 案の定、いきなり勉強三昧ざんまいな日々に息子は特に不満を持たず、それなりに楽しそうにやっている。



 ややあって、丙はもう一度「行ってきます!」と声をかけてきた。

「ちゃんと終わらせた?」

「うん!」

「おやつの時間には戻っておいで」

「はーい!」


 許可を与えると、息子は元気そうに駆け出していった。

 ふう、とため息をついて、右肩を回す。こういう作業は肩が凝る。

 今日のおやつは何にしてやろうかと思ったところで、頭の中に引っかかるものをふと感じた。


 小玉は確かにいっぱしの人間になった。それはどの位のものなのだろうか。


 偉くなったのはわかる。だがその度合いを実は三娘はよくわかっていなかった。だが、もしそれが自分の想定以上のものであるならば……。


 ――あの人の言ったとおりだ。


 ずっと忘れていたのに、なぜなのだろう。あの日、老婆から聞いた言葉が頭の中に甦った。

 ――でも、そんなに長くは続かないね。子どもができた後、あんたか相手のどちらかが先に死ぬね。

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