第94話 一年ぶりの軍

 帝都に戻った小玉しょうぎょくが、転居の次に行ったのはおう将軍へのあいさつだった。

「入れ」

 許可を得て王将軍の執務室に片足を踏みいれた小玉が真っ先に見たのは、嫌そうな顔の王将軍だった。

 といってもその顔は小玉に向けられたわけではない。彼が向き合っているのは書類の山だった。


 小玉がもう片方の足を部屋に入れて直立不動の姿勢をとると、王将軍は書類から顔をあげて静かに言う。

「戻ってきたか」


 喪が明けての帰還であるためか、王将軍の出迎えは穏やかなものだった……とはいっても、普段が激しいわけではないが。

 いつもの人をからかっているような様子がないだけで、出来る男という雰囲気がやけに醸し出される人である。


「一年の間、ご面倒をおかけしました」

「当然の権利を行使したまでのことだ。頭を下げるようなことじゃあない」

 むしろたしなめるような口調で言われ、小玉は慌てて顔をあげた。


 王将軍は両手を組んで、かすかに微笑んだ。

「幸い……というべきか、お前が丁憂ていゆうに入ったあたりから、軍も少し落ち着いた。おかげで書類仕事が増えて増えて」

「落ち着いた……そうなんですか?」


 王将軍がげんな顔で聞きかえしてくる。

「なんだ。しゅうから聞いていなかったのか?」

「そう……ですね」

 文林ぶんりんからの文には、そのようなことは書いていなかった。


「丁憂に入る前、危急の事態が起こらないかぎり、仕事のことは伝えないようにすると言ってましたから」

 だから文林の文には、ほとんど身近な人間の近況しか書いていなかった。といっても全員部下なので、仕事がまったく絡んでいないとは言いきれないのであるが。


「それで問題なく部隊維持したのか……お前できた部下持ったな」

「それは、確かに」

 小玉は強くうなずいた。

 先の左遷のときとは違い、丁憂についてはいつ起こるかわからないうえに、引き継ぎまでの猶予がほとんどない。

 いつでも仕事を引き継げるようにしておくべきといえば、おっしゃるとおりですとしか言いようがないのだが、誰にでもできるものではないというのもまた事実。

 そして小玉は自分で言うのもなんだが、完全に引き継ぎができたとは思っていないし、後から職務関係の問い合わせをされてもいたしかたなしと思っていた。


 けれども実際にはそういうことはいっさい起こらなかったのである。


 それはやはり、文林以下部下たちがよくやってくれたからである。

 もちろん小玉がほぼ直前まで部隊を離れていたため、彼らが要領をわかっていたというのも功を奏したのであろうし、王将軍が今言った「少し落ち着いた」という状況のおかげでもあるだろう。

 だがやはり、部下たちのおかげである。感謝すべきだった。


「長旅で疲れているだろう。今日はあいさつ回りくらいにして、少し休んでから出仕しろ」

「ありがとうございます」

 配慮に感謝し、小玉は王将軍の部屋を退出した。



「おお、お帰り小玉」

 あいさつ回りを終えると、小玉は自分の部隊のところに戻った。真っ先に声をかけたのは明慧めいけいである。


「お帰りもなにも、ずっと一緒だったじゃない」

 そう、一緒に帝都に帰還した明慧である。それどころか帝都からやってきてとんぼ返りしたわけなので、小玉よりももっと長旅で疲れているはずの明慧である。


「あんた今日、通常どおり仕事?」

「うん、非番じゃないから」

 けろっとした顔の明慧に、やっぱり作りが違うと小玉はあきれ半分である。


「文林は」

「疲れたから今日は休むそうです。きちんと書類も出てます」

 答えたのはたいだった。


「あーやっぱり!」

 なんだか文林に、やけに親近感を覚える小玉である。


「ていうか、いつの間にかそういう理由であっさり休めるようになったんだ……」

「そうかね。でも確かにそうかもしれない」

 明慧は腕組みをしながら考えこむ風情である。


 彼女たちは日々の仕事のなかで少しずつ変化していったため実感が薄いのかもしれないが、一年ぶりに戻ってきた小玉にとっては激しすぎる変化である。


 小玉はどこか遠い目をした。

 脳裏には先帝の御代、無茶な予定を組まれてひーひーいって仕事をこなしていた日々のことが浮かんでいる。あれがまるで大昔の話のようだ。


 ――そういえば急な行幸のおかげできんえいの仕事代行したことがあったな……そんで南瓜カボチャもらったな……あの南瓜どうしたんだっけ。


 南瓜の動向は思い出せなかったし、積極的に思い出そうともしなかったが、小玉はその夜、なぜか南瓜が空を飛ぶ夢を見た。

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