第92話 帰着

 さて、ようやく緊迫した事態を脱した小玉しょうぎょくは、今さらなことを文林ぶんりんに問いかけることができた。


 小玉は背中にさんじょうをひっつけて、自分の馬を文林の馬に近づける。

「ところであんたたち何しに来たの」

「お前迎えに来たんだよ!」


 文林たちが乗ってきた馬を合わせると合計四頭。

 それぞれの馬に荷物を分散させたおかげで、小玉と三娘、せいへいという組み合わせで騎乗することができた。


 小玉の問いかけに対し、文林はなんだかいらたしげな目を向けてきた。

 自分はなにかしただろうかと思うには、心当たりがちょっと多すぎる。

 文林は苛立たしげに自身の頭に手を伸ばし、髪をかき回した。

 それを見た小玉は、こいつって将来髪がなくなったらどんな感じになるんだろうと、今心配する必要のないことを思った。


「お前、あの手紙は一体なんなんだ?」

「ん? どの手紙?」

「全般! あの味も素っ気もない手紙全般のことだよ!」


 以下、小玉が文林に送った手紙の内容である。


 一通目。

「前略 元気? なんかね、最近元許婚いいなずけに迫られて嫌。かしこ」


 二通目

「前略 清喜が元恋人の弟だった。かしこ」


 三通目

「前略 復帰したら宿舎をでたい。家族で住める家を手配してほしい。かしこ」


 いっそ頭語も結語もいらないのではないかと思うくらいに、無駄なものも必要なものもぎ落とした手紙である。

 そして、あらぬ方面に想像を広げさせるという点で、嫌な方向への情操が発達しそうな書簡集だった。

 文林たちがなにを考えてわざわざ迎えに来たのかなど、小玉以外の人間……たとえば清喜なんかには想像に難くない。


「あの……なにを書いてもいいとは申しましたが、もう少しなにかを書いてもいいと思います……」

 初めて小玉の手紙を見た清喜は呆然ぼうぜんとしている。いろいろと想定外だったのであろう。


 文林は小玉にみ付いた。

「大体お前、左遷されていた時に俺によこした手紙、こんなんじゃなかっただろ!」

「だって、それは仕事だからでしょ。私信はもっと簡潔にすべきじゃない」

「は?」


 もう何度も出てきた情報なので、今更すぎることだが、小玉は貧しい家に生まれた。だから、色々なものを節約して生きていた。

 それは紙も例外ではない。


 したがって、小玉が実家からもらった手紙は全て用件のみの簡潔なものであるし、小玉からの返信も同様であった。


 しかし、長じて小玉は文字を覚えた。

 その際、様々な表現で文を装飾することを知ったが、彼女はそれを職務に関わる際の儀礼の一つでしかないと思い込んでいた。

 だから、左遷時に部下に送った手紙は文字表現で飾っても、位を返上し私人として送った手紙は紙の節約しか考えていなかったわけだ。


 まあ、誰が悪いのかというと、彼女に文字を教えた文林が悪い。

 しかし、彼は彼の常識の中で生きていただけなので、彼が全面的に悪いわけでもない。


 だから、

「そうか……」

 すごく遠い目になり、怒りの矛先をおさめる文林を色々な人間があわれんでやってもいいだろう。


 しかし、

「『文林』の名折れだねえ」

 文林とは詩文集や文壇のことをさす言葉だ。また、その名に恥じず、彼は名筆家として軍内ではちょっと知られた存在になっていた。確かにそういう人間がこういう教育の失敗をしたことは名折れかもしれない。

 明慧めいけいの追い打ちに、文林は少しうなだれた。


 小玉は何となく申し訳なくなった。

「なんか……ごめんね」

「いや、いい……俺も悪かった。それこそ、手紙で確認すればいいだけの話だったんだ」

「まあ、そうね」

「特に誰かと結婚するわけじゃないのか?」

 先ほどの愁嘆場と呼ぶのもお粗末な展開を見ての発言だろう。


「うん、そうだけど」

「……そうか」


 結婚ねえ、と小玉は思った。

 なんかもう、その言葉に対する夢も希望もなくなったし、無理に結婚する理由もない。

 かん家のさい権はおいに相続されているし、残りの人生は彼の養育と仕事に専念すればいいのではないか。


 ――あえて結婚するとしたら……。


 小玉はちらりと文林を見た。

 こいつみたいなやつがいいのかもしれないと思う。でもそれは、彼が好きだからといえば少し違う。さらにいえば、文林自身とは結婚したくない。

 だってほら、あんな過ちをおかしてしまったし。


 あくまで「文林みたいな人間」がいい。

 ずっと軍にいようと思った。自分という存在があの場に必要なくなったとしても、自分という存在があの場に有害なものにならない限り。

 そのとき、文林みたいな人間が隣にいたら、きっと自分は有害になるまでの時間を遅らせることができるのではないかと、小玉は思った。

 そのために結婚という形式が必要ならば、きっと自分はためらわない。


 しかし、今のところの話だ。

 そんな気持ちはいつか変わるかもしれない。もしかしたら、誰かと熱烈な恋をするかもしれない。


 ただ軍に居続けようという決意は、絶対に変わらないだろうという確信があった。

 それはもはや、自分の人生の根幹だ。今後どのように枝葉を伸ばすにしろ、その部分は変わらない。


「軍に、帰ってくるんだろ?」

「んー……」

 文林の問いに小玉は少し首をかしげた。確かに軍に戻る訳だが……。


「どうした」

「なんというか……」


 帰還というより、帰着というほうが正しい気がする。行き着くべきところに自分は行き着いたのだ。


 それに……と小玉は、背後に意識を向ける。今のところ、小玉にとって帰るべき場所は兄嫁と甥のいるところだ。そして二人はこれから都に住む。

 だからやはり、帝都は小玉にとって帰るべき場所になったのだ。


 後ろから小玉に抱きついている三娘の腕に、少し力がこもった。

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