第89話 関一家と従卒の決意

「おま、おまおま……」

 襟首をつかまれたままの村長がうごうごと蠢く。老人とはいえ、彼とて農作業で鍛えている男だ。

 真っ向からぶつかりあえば、間違いなく彼の方が力は強いが、ぶつかりあうだけが強さではない。


 小玉しょうぎょくは相手が離れようともがく力を適度に受け流して、襟首を掴んだまま、じっと彼を見つめた。


「村長になんて失礼な!」

 呆然としていたはずの周囲の中から声が飛ぶ。誰か我に返ったらしい。

 片腹痛い。

 なにか言い返してやろうと口を開く小玉より早く、横から声が響いた。



「もういいわ、小玉」



 さんじょうは泣いていた。それは悲しみによるものではない。

 怒りだ。

「あんたが、こんな風にないがしろにされて……義母かあさんの喪もまだ明けてないのよ。確かにもうすぐ終わるけど……こんな男のつまんない感傷の方が優先される村なんて……」


 今、捨ててしまおう。


 最後の言葉には恐ろしく重みがあった。

 三娘は関一家がこの村でさまざまな目にあってきたのを目の当たりにしていた人間だ。

 捨てられた小玉に冷淡だったこの村、足の悪い夫を兵役に出そうとしたこの村、その代わりに出ていこうとした小玉になんの思いやりもなく、それどころか当事者がいないからと好き勝手言っていたこの村……。

 生まれ育った村に対する愛着、無意識に縛り付けていた因習、それらはもはや彼女の中から消えて久しかった。


 一家は揃ってうなずいた。

 小玉は村長を突き飛ばすと、きびすを返して家の中に入る。


「待て!」

 誰かが叫んだが、無視。

 全員入ったところで、くわをつっかえ棒代わりに戸にかけ、いらない荷物を積み上げる。

 いらない荷物……こんな貧しい農家で、いらないものがあることなどめったにない。それがあるということは、今が滅多にない時だからだ。

 もともと、母の喪が明けたら彼女たちはこの村を出ていくつもりで荷造りを進めていた。


 もう少ししたら近所にいわなくちゃねなどと言いあっていたのだが……まあいい、手間が省けた。

 予定が少し前倒しになった。それだけのことだ。


 外からなにやら怒声とか物音が響くが、皆示し合わせたかのようにそれに反応しない。三娘と甥は黙々と持っていく荷物をまとめる。

 小玉はその間、せいと旅程の打ち合わせをする。


 持っていくものは最低限。

 家財の全てを持っていくことはできないし、そのつもりもない。あとで人をやって取りにいかせれば問題ない。


 なんてったって金がある。小玉はもちろん、三娘もそれまで小玉からもらっていた仕送りをほとんどめ込んでいたので、旅費は潤沢だった。

 足りないものがあれば、その都度買い足してもお釣りがくるくらいだ。


 だから準備はほどなくしてできた。耳に綿を詰め込んで音を遮断し、仮眠もとった。

 もう出立するばかり。さて、どうやって出たものか。


 外にはまだ村人がたむろしている。みんな暇だな~というのが、小玉の率直な感想であるが、あれこれ考えても仕方がない。

「これしかないよねー」

 小玉のつぶやきに、やけに格好をつけた表情で甥が相槌あいづちをうつ。

「そうさね」

「あんた、そんな言い回しどこで覚えたの……」

 三娘があきれ顔をする。覚えたことはすぐ再現してみたいお年頃なのだろう。ちょっと微笑ましい。


 さて、小玉たちが選んだのは正面突破である。

 先陣をきったのは清喜だった。

 悠々と戸口から出て、つないでいた二頭の馬を引く。

 これまた悠然と小玉以下家族が荷物を馬にくくりつける。一頭の馬に三娘と甥を乗せて、清喜がくつわを取る。

 最後に小玉がひらりともう一頭の馬にまたがって終了。


「待て待て待て待て!」


 この間ぽかんと見守っていた村人がようやく我にかえり、声を上げる。

「誰か村長呼んでこい!」「おう!」などというやりとりも聞こえる。

 村長見張り任せて帰ってんのかよ、いいご身分だな。確かにこの村ではいいご身分だけど。


「お前らどこに行くつもりだ!」

「職場」

 要するに帝都である。


「そんな勝手許されると……」

 ここで、唐突に清喜がぶち切れた。

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