第88話 やっかいな男の最終手段

 もうすぐ、小玉しょうぎょくの母の喪が明けるという時期だった。

 どやどやと家の前に何人もの人間が集まった物音で、一家は起きた。

 なんだかせいもいつの間にか一家のくくりに入っているが、そんなことを当事者たちは気にしていない。だからこそ清喜が、一家の一員になったのだともいえる。


 小玉が外に出ると、目の前には老人がいた。


「おはよう……早いですね、村長」

 田舎で「早い」といったら、それはもうとてつもなく早い。まだ辺りが暗い。みんな松明たいまつとか持っているくらいだ。もはやそれは朝と言っていいのか。


「むしろお前ら、なんで寝とるんだ」

「は?」

 げんに思い、後ろにいる三娘を見る。

「今日なんかあったっけ?」という小玉の疑問を目線だけで受け取った彼女は、「ううん、なにもないはず」という答えをこれまた目線だけで送り返す。


 ――え、本当になに?


「お祭りですか?」

 村長の着ている服がやたら豪華なのに目をとめて、とっさに思いついた答えを言えば、村長はあきれたように言った。


「結婚式だろうが!」


 ゆっくりともう一度後ろを見た。

 多分今の小玉と同じ表情をしているさんじょうがいる。すなわち「誰のだっけ?」という疑問をあらわにした顔。


 その後ろには、灯明に火をともす清喜がいる。気が利く奴だ。


「おめでとうございます。えーと、どこに手伝いにいけばいいですか?」

 村で誰かが結婚するといったら、それはもう村全体の行事だ。特に女衆は料理作りで駆り出される。

 村長との応対を小玉に任せて、清喜と三娘が後ろで調理道具をまとめている物音がしはじめた。


 なにも言われずとも動きはじめる……いい人材の基本である。

 多分内心では、ちゃんと言え、それも早めに言ってくれとか思っているだろうけれど。


「お前……何もわかってないのか……いやまさか」

「あ、はい、家族単位でなにもわかってないですよ。誰の結婚ですか」


「お前のだろう」

 時が凍りついた。


 がしゃんという音が妙に遠くから響いた。

 多分、三娘たちが食器類を落としたのだろう。

 大丈夫、割れない。うちは、割れるような高価な食器は使っていない。素晴らしきかな、清貧。


 つらつらと現実から逃避気味なことを考えつつも、かろうじて残っていた現実主義がつぶやかせる。

「……誰と」

「そりゃお前……」


 その名前を聞いた瞬間、小玉は家に駆け込んだ。

 まるでささげ持つかのように、小玉の剣を持った清喜からひったくるように受け取り、外に飛び出た。


 抜刀はしていないものの、物騒なものを片手にとんでもない形相で飛び出してきた女を見て、家を取り囲む者どもがどよめく。


「前に出てこい」

 小玉は抑えた声で元許婚いいなずけを呼んだ。


 竹を割るように人の群れが割れ、奥から元許婚がおずおずと出てきた。

 婚礼衣装を着ているのを見て、軽く頭に血が上る。全身ひんむいて、以前文林ぶんりんに言いよった男色家の前に放り出してやりたい。

 歯牙しがにもかけられないだろうけれど。


 油断していたと言われれば、確かにそのとおりである。


 最近、この男の訪れはまったくなかった。

 家族ぐるみの求婚を散々断って、もうだいぶ頭に来ていた関一家は、元許婚の変化を喜びを持って受け入れていたのだ。

 そして「もういいかげんあきらめたんだねー」「彼も次を見据えて生きなきゃ」などと、陳一家の明るい未来を他人ひとごととして祈念していたところだった。


 まさかこんなことをやらかすなど、だれだって思いつくはずがない。


「なんなのこの状況」

「だって……お前、もう、こうでもしなきゃ、俺と結婚なんか……」

「あほか」

 お前、結婚が最終目的だとでもいうのか。こんな形で結婚して、その後の生活がうまくいくとでも思ってんのか。悲惨な未来しか見えんだろ。

 我ながらもっともなことを言っているという自覚が、小玉にはあった。


「それでも!」


 しかしつらつらと述べる小玉の言葉を、元許婚は遮った。

「俺はお前のことがずっと好きで、前の結婚の時からずっと後悔してた。そのうちお前がいなくなって……危険な仕事してるって聞いて、ずっと心配だった。もう、そんな思いは嫌なんだ!」


「ふーん」

 びっくりするほど心に響かない。


 小玉の右横でくわを構える三娘と、左横で麺棒めんぼうを両手に握る甥は平面的とすらいえる表情である。


 その気持ち、わかる。本当に白ける。


 清喜については背後に控えているのでわからないが、多分彼の手の松明はものすごい形相を照らし出しているのではないだろうか。


 だが、身内以外の男は感動したらしかった。


 男どもを中心に、うんうんとなにやらうなずいている。

 特に村長はなんだか涙ぐみながらこういった。

「お前は果報者だな、あそこまで想われて」


「…………」

 たたっ斬るとしたら、こいつを先にすべきだろうかという考えが頭をよぎった。


 そんな彼女の前にもう一人の男が、すっと立ちはだかった。元許婚の幼馴染おさななじみである。

 というか、小玉にとっても幼馴染である。


「お前がいなくなってから、ずっとこいつ、後悔していたんだ。もしやりなおせるなら、今度は絶対間違えないって。だから俺ら、ずっとこいつのこと応援してたんだ」

 切々と訴える彼に、小玉は心を動かされた……まずは、こいつから仕留めるかという方向に。


「そういうことだからな、まだ服喪中だが、いいんじゃないか。お前の母親も喜ぶだろう。それが一番の供養だろ……ぐおっ」


 ――いや、やはり村長、君に決めた。


 けてもいい、母は激怒する。娘の婚約破棄、危険職への就職、長い間帰ってこなかったこと等々に一番胸を痛めていたのは母だ。


 ……というか、ここまで列挙すると、むしろ小玉自身がとんだ親不孝者である。いやほんと、自分不義理でしたとあの世の母にもう一度といわず幾度でも謝罪したい。


 ともあれ、小玉がそのような事態に陥る原因になった元許婚に対して母の怒りは強かった。

 相手になにか危害を与えるたぐいのことは(結果的に)しなかったが、あの気風きっぷのいい母が、いやみったらしいしゅうとめにも寛容だった母が、である。


 それが、こんなだまし討ちのような形で元許婚と結婚するということになったら、怒りのあまり墓穴から飛び出して来かねない。

 それはそれで、母が生き返ってくれるなら、結婚してもいいが。


 大体このじいさん、同情する部分が違いすぎるだろうと、小玉は思う。

 あの日、一方的に婚約破棄されたあげく、普通の結婚ができなくなった小玉に対して、村人は冷淡だったし、その筆頭がこの村長である。

 確かに、この村の出身者である自分もその感覚には納得していた。

 だが、今元許婚に対する態度と併せて思うと、いくらなんでもそれはないだろうと思うのだ。


 なぜ自分に対してはああで、元許婚に対してはこうなのか。

 思い当たるのは、性別。たかが性別。

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