第78話 小玉の復活

 宮城に戻った小玉しょうぎょくは、かけられた率直な言葉に、これまた率直に返す。

「お帰り」

「ええ、ただいま」

 特に大歓迎されたというわけではなく、久しぶりに会った者への相応の態度でお帰りと告げられた。それよりも、髪が伸びたということに対しての反応が強かった。それは少しの惜別の念を含んだ声だった。

 すぐ切るとわかっていたからだろう。


 別に、小玉の長髪姿が惜しむ程美しかったからではない。小玉が髪を切る、それはもう開戦と等号で結ばれていた。そしてそれは、彼ら自身も戦場に身を置くことを意味していた。

「本当は少し間をおいてから連れていきたかったんだがなあ」

 上官のおう将軍の言葉に苦笑した記憶は真新しい。まったくもってそのとおりだった。


 一年間も長閑な(各人の意識によって印象は異なるだろうが)田舎に引きこもっていた身としては、いきなり出征というのは確かに厳しい。しかし、抗弁できない状況だということは、戻ってきてすぐわかった。


 知った顔が驚く程少なくなった。


 それがなにを示すのか、ほうでもわかる。戦況がだんだん悪化してきているのに、今、指揮官として兵を率いる者は、経験不足の者ばかりだ。

 それでも、それなりにしんに職に向き合う者はまだいい。親の七光りで就いている者が多数を占めているという事態に、手に冷たい汗が流れる。

 今、この国は軍事という人材の畑において、荒廃しきっている。

 ……あと、七光り連中に、正気になって帰れと言いたい。しゃれじゃなく本気で死ぬぞ。もしかして、七色に光っている親連中、本当はこいつらに死んでもらいたいのだろうか。確かに自分が親だったら、世をはかなみたくなるような連中だが。


 ともあれ、髪を切った。以前は自分で適当に切ったものだったが、今回は人に切ってもらった。心境が変化したわけではなく、田舎から連れてきた従卒がやたらうるさかったからだ。

 自分に切らせなかったら、死んで化けて出ると本気で述べた清喜に、小玉は素直に髪を切らせることを承諾したが、内心では正直、一歩引いた。彼は自分をどういう方向にもっていきたいのだろう。

 とはいえ、奇抜な髪型にならなかったので(なりようがなかったともいえる)、小玉としては、今のところ特に追及するつもりはなかった。



 さっぱりした頭になって出勤した小玉に、出会った者はそれぞれ声をかける。だが、一瞥いちべつしただけで、なにも言わない者が一人。

 文林ぶんりんだ。

 いざこざ……というのも正しくない気がするが、彼とはここに戻ってくる際に、ちょっとぎくしゃくして、それが現時点も続いている。理由もよくわかってる。平たく言えば、周文林がらみのことを、本人置いてけぼりで進めてしまったということだ。


 自らに置き換えて考えてみる。

 それは確かに、腹が立つ。


 相手の気持ちは納得はできる。しかし、必要な措置だったと断言できる。

 大人になるということは、矛盾を飲み込むことなのだ。


 と、文林ではなく、なぜかせいに言った小玉であった。そうしたら彼は「わかってますよ」とでも言いたげにゆったり微笑んで、お茶を入れてくれた。彼のほうがよほど大人である。


 文林とのぎくしゃくは当分続きそうな気がする。今、相手に働きかけるには、彼の心の整理がまだできていないと思うからだ。しかし、近いうちに……出征前に関係を修復しておきたい。


 だって、生きて帰れるかわからないから。


 今のままでどちらかが死んだら、生き残ったほうは悔いを残すことなどわかりきっていた。あの男はあれで優しい。きっと立ち直るのに時間がかかるはずだ。


 それに、実利的なことをいえば、側近との関係が悪化したままで指揮など執りたくなかった。特に今回は別行動することも多い。連携を密にとる必要があった。

 本来兵を率いるはずのない立場である文林を始め、小玉たちの配下の多くが兵を率いる。それは、彼らですら今の軍内部では貴重な人材だったからだ。


 近々、この国は終わるんじゃないだろうか。そのとき、自分は生きているだろうか。

 ……自分以外の人たちは、どうなんだろうか。


 小玉は最近、そんなことを思う。


 もっとも、国の終わり云々うんぬん以前の問題として、とりあえず、目前に迫った出征を乗り越えないといけない。

 小玉はすぐにその思考を捨て、戦場に赴いた。国境付近の小競り合いがやや悪化したものという程度だったので……それを「程度」と呼べてしまうあたりが、この時代の世相を反映しているようだが……あっさりと片付いた。



 このときの小玉の戦功としては、可がややあって不可がなし、という感じだった。

 とはいえ、とりたてて軍功があったわけではなかった。一年間の空白は、確かに小玉の体をなまらせていた。

 土木工事のための筋肉なら相当ついたのだが、あいにくそれは戦いには向かないものだったらしい。


 ――同じ筋肉なのに!

 というのが、小玉の熱い主張なのだが、それはともあれ、失ったものは短期間で完全にとりもどせるものではなかった。


 ……そんな彼女にあっさりやられた前任地の元自警団連中はいい面の皮である。



 一方いい面もあった。自分でも驚くほど兵を動かしやすかったのだ。

 一年間、戦から離れて思考が整理されたのだろうか、妙に冷静で(いつもそうだろとは文林の言)、まるで……なんといえばいいのか、鳥のように上空から戦の大局を眺めているような感じだった。


 他の者から見ても、小玉の用兵は水際立っていたらしく、

「一年間休んでよかったな」

 そんなことを各方面から言われて、小玉は曖昧あいまいな笑みを返した。


 小玉の部下たちも、今回はそれぞれ兵を率いて独自に動いていたが、無難に事を終わらせた。こちらも特に手柄をあげはしなかったが、初めて指揮官であることを前提に動いてこの結果だ。

 指揮官の損耗率が上がっている昨今の事情をかんがみると、まずまず満足できる終わり方といえよう。

 小玉にしても、彼らがどういう傾向の用兵をするのかが見ることができ、それも含めてうれしかった。そして、皆、おおむね性格どおりだったため、いっそ感心した。


 明慧めいけいは気配りができているが、変動が激しい状況では雑になる。そしてそのまま、筋力こそ思考力という方面に直行するきらいがある。


 復卿ふくけいはどんな場面でもそつなくこなすが、時々奇抜な動きをさせるので、兵士が少しとまどっている。


 しょうじつはそれなりに経験もあるので、一番安定感がある。そして、死を回避することに一番しんな点がいいほうに向かい、そつのない用兵をする。

 問題があるとすれば、戦闘中も無駄にさわやかな点である。なんかいらっとするから。


 そして最後の一人。

 文林は、指揮官に向いていないと思う。


「えっ」

 ぼそっとつぶやいた言葉に、近くで物品の在庫の一覧を確認していた王蘭英おうらんえいが、がばっと顔をあげた。

 蘭英は小玉や明慧と同じ女性士官だが、補給とか補助とか……とにかく「補」のつく作業に特化した能力の人間だ。

 いつも補佐に回っている文林が今回それどころではないため、その代わりに小玉につけられた。付きあいも長い。なんてったって、小玉の初陣のときに、厨房ちゅうぼうでともに戦った戦友だ。


 ただ、この人は本当に戦闘に向いていない。

 かなりの地位になっているにもかかわらず、彼女に兵を率いさせようという声が一切あがらないのは、そんなことをして確実に死なれるよりも、後方支援をさせたほうがはるかにいいと誰もがわかっているからだ。


「わたしは……けっこういい動きをしていたように思うのだけれど……」

 本人もそれを知っているため、けっこう自信なげに言っているのだろう。だが、文林の用兵は、表面上はある程度の力量の者でも「すごくいい」というほどのものだ。だから、蘭英の見る目はこの際あまり関係ない。

「うーん、ぱっと見いい感じなんだけど……なんていうのかな、綺麗すぎる」

「それはいいことじゃないの?」

「いいことなんだけど、お手本どおりすぎるってことなの。応用がきいてない……あいつ自身は、そんな奴じゃないのよ。だからつまり、兵を御しきれてないってことだと思う」


 文林は、軍に入った当初はともかく、性格の悪さに磨きがかかるのと正比例して、見事な世渡り上手になっている。そんな内面と彼の用兵にはあまりに差異があった。

 それは状況によってはいい傾向ともなるだろうが、小玉はこの状況をよろしくないものとみなした。

 文林は大多数の兵を率いた場合、ある程度までは無難にやるだろうが、ある程度を超えた瞬間かいしかねない。


 そしてそれが見えにくい……早めにわかってよかったと、小玉は軽く息を吐いた。

「ふぅん、そういうものなのね……」

「あいつ、本質は蘭英さんと同じ感じなんだと思う。後方で支える系の」


 そう言うと蘭英は「あらあ」と、なんだか嬉しそうに声をあげる。

「それって、いい後輩ができたわね。私と同じ分野が得意で、私が苦手な分野もある程度こなせるんだものねえ」

「……そういう考えもありか!」

 おっとりと呟く蘭英の考えに、小玉は妙に感心した。

 それもそうだ……というより、確かにそっちのほうが常の自分の考えとぴったり合っていたはずだ。なのに、なぜ消極的なほうに思考を巡らせたのだろう。


 小玉は首をかしげた。


 自分自身、なんか変だなと思う。文林とのいざこざで妙な刺激でも受けたのだろうか。妙にぴりぴりとしている。


 ともあれ、本筋から離れたことで思い悩むことができるほど暇ではない。

 今回は生きて帰れそうなのは確かだ。この後、戦後処理のことであれこれ動かなければならない。今はそちらに思考を巡らすのも必要だった。


 ある程度一段落がついたら、上司の王将軍に上申もしなくてはならない。部下たちの今回の指揮の様子と、その傾向にあった兵を率いるようにさせたいということ……。


 このとき、小玉の頭は職務のことで一杯だった。だからかもしれない。「それ」を知って、周囲も驚くほど衝撃を受けたのは。

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