第76話 左遷の裏側

 怒りのあまり顔が白くなる人間は要注意だ。

 おう将軍は、経験からそのことを知っていた。今目の前には、まさにそのとおりになった人間がいる。部下の副官という、わりと遠い間柄の男だ。


 そういえば部下は今ごろなにをやっているのだろう……と、王将軍はふと思いをはせた。多分地方でそれなりに生き生きとやっているのだろう。というか、そうでなくては困る。


 そして思考を目前の人物に戻す。遠くに思いをはせたところで、近くの人間のことをどうこうできるわけではないので、彼は相変わらず怒りに顔を白くしたままだ。


 息を一つ吐き、王将軍は問いかける。

「それで? 仮にそれが本当だとして……俺にどうしろと?」

「一つ聞きたいことがあります」

「…………」

 無言で、言うよう合図する。

「将軍、あなたは……あの男の思惑を知っていて、彼女の左遷を許容したのですか」

 肯定したらたたき切られそうだなと思いながら、王将軍はあっさり答えた。

「そうだよ」

 後ろに控えていた自分の副官が、ため息をついて、自身の剣に手をかけたのが気配でわかる。


 目の前の相手は白い顔をさらに白くし、今にも抜刀しそうだ。

 さすがに少しかわいそうになった。


「君は、彼女の状態をどう思っていた?」

「どうとは?」

「彼女、限界だったんだけど」


 左遷される前の彼女の負担は、それはもう殺人的だった。二か所で責任を持たなければならない立場の兼任。それだけでも大概だが、しかも片方は試験的に設けられた部署で、ただでさえ神経を使う立場だ。


 かといって、どちらかを放棄しろということはできなかった。片方は上からの命令的に、もう片方も人材的に……あと、彼女の精神的に。

 かといって続けることも、彼女に精神的な負担を強いる。さらに、出征に伴う激務も背負ったことから、正直、遅かれ早かれつぶれるだろうと思うほどに。


 少し焦っていたところに、左遷の話である。一も二もなくうなずいたときのことはしっかり覚えている。


 隣国との関係が悪化している昨今、正直、彼女に抜けられるのはつらかった。

 実際、彼女がいない間に戦死した麾下きかの指揮官のうちの数名は、彼女がいればまだ存命だっただろうなと思う。

 だが、今彼女に潰れられるより、彼らを失ったほうが長い目で見るとずっと益が大きかった。

 指揮官とはそういうものだ。常に引き算で物事を考える。それに嘆き、あきらめ、開き直った日々はもはや遠い。もはや「そういうもの」として存在する自分があるだけだ。


 目の前の男の顔色に血の気が少し戻った。どうやら王将軍が言わんとすることは彼にもわかっていたらしい。


 よかった、と思った。

 彼女の副官がそれすらもわからないような者なら、首をすげ替えねばならなかった。そうしなければ、きっと彼女は伸びない。


「大丈夫。もうころあいだから」

 なんの、と言わなくても相手には通じたらしい。

 そう、休みは終わりだ。近ごろ、ある高官の汚職による処刑で、人事刷新の動きが出てきている。それを、この男はなぜか知っているようだが。

「そのうち、君に迎えに行ってもらうから」

「はい」

 きびすを返す男にやれやれと思いながら、手元の筆に手をやる。彼女のことを心配してたびたび手紙をよこす旧友に、今度はいい知らせを返すことができるだろう。


「……どうやら、大規模な粛正もありそうだしな」

 王将軍のつぶやきに、副官は聞かないふりを決めこむようだった。


        ※


 蝉の鳴く声がする。

 陳叔安ちんしゅくあんは、首に巻いていた手ぬぐいでしたたり出した汗をぬぐった。暑い。生ものがわずかな時間で腐りそうなほど。


 だから、この場には鼻を突くような悪臭が漂っていた。先ほどから何人もの人間が、見るものを見おえると、顔をしかめたり、鼻を摘まんだりしながらこの場を通り過ぎて行く。


 処刑された罪人の首をさらす場。


 陳叔安のような人間にとっては、普段ならば好き好んで近づく場所ではない。だから、普段とは違うものがあるのだ。

 いくつも並ぶ首の中に知己のものがある。けして親しかったわけではない。ある事件が起こってからは一切交流がなく、はっきりいって嫌っていた人間だ。


 かつて、陳叔安と、彼の長い付きあいの友人とともに働いていた男だ。陳叔安が距離を置いた事件によって急激に、出世した男。

 それがあっという間に転落し、もはや命すら持っていない。残った首もいずれ腐りおちるだろう。


 嫌っていた相手とはいえ、死ぬと気が滅入めいる……というわけではなかった。色々と悪辣あくらつなことをしてきた男だ。いずれこうなるだろうと思っていた。そして、事実を受け入れても動じないほど、自身が大人になっていた。


 ただ、気になることがある。

 彼によって追い落とされた友人。だが、彼の手口からすると生やさしいといっていい。


 ――お前、あいつのこと、どう思っていたんだ?


 その答えを知っている気がするが、間違っているかもしれない。

 もう、確かめる術を持たない。永遠に晴れることのない疑問だ。きっと自分は誰にも……友人にもそれをなげかけたりせず、一生腹に抱えつづけるのだろう。


 蝿が飛ぶ。

 こうの濁った眼球にとまった。

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