第74話 左遷の地との別れ

 さて、小玉しょうぎょくが帝都に帰るという話は、あまり歓迎されなかった。

 小玉を信頼して仕事をしている部下たちをはじめとして、現地のおばちゃんたちが不満の声をあげたのである。


 そして、今度は文林ぶんりんへの風当たりが強くなった。

 ……とはいっても、文林の食事の漬物が、ちょっと減らされるくらいなのであるが。


「悪いね」

 小玉はそう言いながら、文林に自作の漬物をそっと差し出す。文林は片方のまゆをぴくりと上げるが、特に拒絶はしない。

「いえ、そのような」

 丁寧語で答える文林に、小玉は笑みを深めた。


 小玉に対しては、上司への敬いなど最初から持ちあわせてないに等しい文林だが、この地では小玉への敬意を意図的に示していた。

 都ならばともかく、旧弊な田舎で序列を無視するような発言は、周囲からの反感を招くものだ。だから、彼の態度は当然のものだった。


 小玉がそんな彼に微笑んだのは、下手に出るのを気持ちよく見ているからではない。そこまで性格は悪くない……つもりだ。

 文林は、特に打ち合わせするわけでもなく、自主的に今の態度をとっていた。この男は、いつからここまで頼もしくなったのだろうか。


「どうしました?」

 唐突ににやにやしはじめた小玉に、文林は警戒する目を向ける。その目は漬物にもちらっと向けられた。

「あたし、あんたが部下でよかったって思ったのよ、今」

 文林はぱかっと間抜けに口を開いた。


「あと、漬物はいい漬かり具合だから」

「そうですか、失敗作を押しつけられたのかと思いました」

 文林はそう言って、漬物をしゃくしゃく食べた。


 そんな姿をそわそわと落ちつかずに見つめている奴がいる。小玉のここでの部下たちである。もちろん全員男である。

 ここではとうていお目にかかれないようなぼうに、なにかときめきを感じているらしい。小玉に対してそわそわしていたときの比ではない。


 いささか複雑であるが、なにせ間抜けに口を開けても、漬物を食っていても美しいのだから、そりゃあそうだよなあと納得せざるを得ない。見慣れている小玉でさえたまに圧倒される。


 だから実をいうと文林は、風当たりが強くても、一部ではひそかにもてはやされた。

 特に町中を歩いていると、ご老人たちの心臓に悪いというので、彼は外出を自粛することになってしまっている。


 しかし文林は特に気にせず、ばっさばっさと仕事をさばいている。ここではかなりやり手と目された小玉の仕事内容も、文林にとっては生ぬるいらしく、しょっちゅう粗を指摘されている。


 実をいうと今日も午前中、灌漑かんがい事業の道具調達について色々と質問(というかたちの尋問)を受けていた。


 午後は午後で、小玉が赴任前に作成された資料の目録作成作業が予定されている。いずれも、前任者の部屋で朽ち果てるのを免れた強者つわものたちである。


 文林はここに来た当初、あまりにも残っている書類が少ないうえに、その目録がないことに激怒していた。

 特に帳簿については、お前の家計じゃないんだからと突っこみたくなるくらいの怒りようだった。

 彼の帳簿に対する意欲の激しさは、このとき小玉の心に刷りこまれたのである。


 ともあれ、かろうじて朽ちなかった書類を見せたら、文林は以後この件で文句を言わなくなった。その汚れ具合から、他の書類の末路を色々と察したらしい。

 代わりに、残っている書類の整理と、今後の資料のまとめ方および保管方法の確立を考えたようで、今小玉はそれに付きあわされている。


 明らかに、文林が来たせいで仕事が増えているのだが、絶対にこれっておかしい。

 最近帝都の方向を見ると、「ざまあみろ」という顔のおう将軍が浮かぶのだが、今度会ったときには甲の房を編み込みにしてやろうと思う。


 ただ文林の仕事の熱意については、他の人間も認めるところである。特に階級が上の人間のほうから、彼を頼りにする風潮が出てきている。

 そのうちそういう雰囲気が下のほうにも広がるだろう。だから小玉は、この件で仕事が増えることについてはまあいいかとも思っていた。

 どうせやるなら気持ちよく仕事をしてもらいたいし、文林がやっている仕事は必要なことであるからだ。


 増えて「まあいいか」と全然言えない仕事は、今文林にときめきのまなしを向けている連中のせいで発生している。


 また白菜である。

 しかも今度は大根も追加である。


 受けとる側である文林は、もらった野菜をすぐ小玉に渡すので、漬物つぼがどんどん増える。

 先日漬けたものは小玉と文林、そしてせいと三人でせっせと消費しているが、増える速度のほうが上回っているという状態だ。

 しかも漬けてすぐ食べられるものではないので、どう考えても食べきれない。


 ――どうするんだ、これ。もうすぐ引っ越すのに。

 悩んでいる間にも漬物壺は増える。

 そして、小玉がこの地をつための手続きも着々と進む。


        ※


 あっという間に月日は流れ、小玉が出発する日が来た。

「小玉ちゃん、達者で……」

「おばちゃんもね! 漬物食べてね」

「ありがとう……小玉ちゃんだと思って、大事に食べるねえ」

「いや……食べ物については、あたしだと思わないでほしい」


 なぜか女同士で愁嘆場を演じている横で、文林は、もの言いたげな男たちの視線を無視している。意地でもこいつらに声をかけまいとしているらしい。

 その件については好きにすればいいと思っているので、小玉はそんな彼をたしなめようとはしない。


 そういえば元自警団の連中は、文林と我が身と比較して、ようやく過去の自分の痛々しさを痛感したらしく、なにやら落ち込んだ奴や、心に傷を負った奴などがいる。先日、彼ら直属の上官が飲みに連れていってやっていた。

 結果、間接的にその財布に打撃が与えられたため、上官は反文林派を最後まで貫いた。そして文林は、そういう奴のほうに好感を持ったようで、こいつもなかなか難儀な男だ。今に始まったことではないが。


「じゃあ、行こうか」

 ひととおり別れを惜しむと、小玉は、文林と清喜に言った。


 清喜については、本人たっての願いで、引き続き小玉の従者として帝都でも働くことになったのだ。

 うなずく二人を見て、小玉は馬にひらりと乗った。

 そこで馬がいなないて、後ろ足だけで立ち上がった後、軽やかに走り出すと見た目は美しいのだが、残念ながら両脇に漬物壺をくくりつけているので、馬はそこまで俊敏ではなかった。


 なお、案の定漬物は大量に余ったため、まかないのおばちゃんはじめ、各方面にお別れの挨拶あいさつがてらせっせと配ることになった。

 意図せず、「律儀な人」という評価を得られたのは、怪我の功名といえよう。


 のたのた歩き出す馬にゆられながら、小玉はたびたび後ろを振りかえった。

「お前、相当あの土地が気に入ったんだな」

「うん、かなり好きだった」

 文林はもうすっかりいつもの口調に戻っている。


「名前が似ているからか?」

「似てるつっても、ちょっとだけでしょ」

 軽口に笑いで返す。


「でもま、あたし。またここに来ることになると思うよ。なんとなく」


 この予想は見事にあたり、その後小玉はこの地にまた訪れることとなる。それは皇后となってからも続き、最終的に小玉はこの地で自らの終焉しゅうえんを迎えることとなる。


「なあ、小玉」

「なに?」

 そんな未来はさておき、

「聞きたいことがある」

 このとき、当事者である小玉は文林の真剣な眼差しに、不吉な想像のほうをしていた。

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