第73話 都からの使者

 知らせは、新兵への練兵の最中に訪れた。

 むくつけき男がつかんだ木刀を肩に載せ、「あと十五回!」などと叫び、新兵たちが必死こいて素振りをするという、いかにも練兵という感じの由緒正しい練兵光景だ。


 その中には、この度正式採用となった元自警団連中もいた。意外に軍が気に入ったらしいが、なにがよかったのだろうか。

 しかしこれで彼らは裏表なく脱・無職を果たしたわけなので、どの方面から見ても問題はない。


 小玉しょうぎょくは懐かしくその光景を眺めていた。あたしも昔、あんな感じで訓練してたなあと思いながら。


「あの!」

 呼ばれて振りかえると、動揺した表情の部下がいた。

「都からご使者が……」

 なに? と聞き返す前に言われ、その内容に小玉はまゆをひそめる。


「……相手は、急いでいる感じ?」

「それは……さあ……」

 わからない様子だった。聞いてもいないのだろう。


 段取りが悪いことではあるが、無理もない。小玉がここに来てから、都から来るのは手紙の配達人と行商人くらいだった。

 帝都からの命令も、通常手紙で行われている。それについてはさすがに配達人ではなく武官が届けたが、それでも「使者」というかたちで人そのものが派遣されるということはなかった。

 それは、小玉が来る前からずっとそうなのだろうから、応対の仕方などわかるわけがない。

 小玉は矢継ぎ早に問いかける。


「どんなふうにお迎えした?」

「応接の……」


「ああ、それでいい。お茶は? 旅の汚れ取るためのお湯とかは?」

「お茶は出しました。もう片方は……」


「すぐ用意して。あとお泊めする部屋の準備も。あたし、今から応対しにいくわ」

「はい」

 なにをすればいいのか示され、部下はあからさまにほっとしたようだった。


「あっ、厨房ちゅうぼうに夕飯の支度も頼んどいてね!」

「はい!」

 駆け出す彼を見送り、小玉は、練兵の監督に目で合図する。相手が木剣を軽く動かしてこたえたのを見とどけてから、その場から小走りで離れた。



「お待たせいたしました使者どの……なんだあんたか」

 小玉を迎えた人間は、なんと元副官の文林ぶんりんだった。


 若干薄汚れているが、そのぼうにかげりがないというのは恐れいる。

 とはいえ戦場で何日も体が洗えなくても、体臭はともかく外見はまるで損なわれて見えなかった奴だから、この程度の汚れなど彼の美貌には敵ではないのだろう。


 ――そういえば、あいつやけに動揺しすぎている感じあったけど、こいつの顔見たせいか。


「少しは驚け」

 文林はむっつりと言う。

 先ほどの部下への疑問が氷解したことに気を取られたせいで、全然驚かなかったが、そういえばこいつはここにいるはずのない人間だった。

「いや、驚いてるよ、驚いてる。なんでいるのあんた」

 まったく説得力のない口ぶりで言う小玉に、文林はため息を一つ。

「お前を迎えに来たからだよ」

「えっ……!」


 ――喜べ文林、心底驚いたよ。

 心の隅のどこか冷静なところで思った。


「あのー……あたし、命令もらったときに、それこそ年単位でここにいると思ったんだけど……」

 ここに来てようやく一年目を迎えようとしている小玉は、おずおずと述べた。

「普通、そうだろうな」

「うん、普通……普通……」

 とはいいつつ、普通ではない異動ばかりを経験してきた小玉なので、今回みたいなののほうがいつもどおりといえばいつもどおりである。


 いつもどおりでないのは、

「漬物、そろそろ食べごろなんだけど」

 夏ごろに男たちからもらった微妙な主張の成れの果てである。


 漬かり具合を思い出した小玉のつぶやきに、文林の反応は「漬物ってなんだ」という突っこみではなかった。

「ここで食べていって、余れば持って帰るか、ここの人間に配ればいいだろう」

「あっ、はい……」

 実にまっとうな助言であった。



 小玉は、彼の顔を見た。久々に見た彼の表情には、どこか影があった。

「あんた、今回の使者の件、乗り気じゃなかった?」

 しかし文林は、案に相違して意外そうな顔をした。

「いや?」


 小玉は小玉で意外である。

「そうなの? そのわりになんか、辛気臭い顔してない?」


「それは……」

 文林は逡巡しゅんじゅんし……一つため息をついた。

「それよりまずは、命令書の受け渡しだ。その後で言う。お前にも……聞きたいことがあるしな」


 そのあいまいな態度に、小玉ははっとした。

 思い当たることがある。


「……おう将軍のかぶとの房飾り、三つ編みにしたのあたしじゃないからね!」

「その件じゃない。そしてお前が犯人だったんだな」

 あきれた声の文林に、小玉はくっと唇をむ。

「誘導尋問……!」

「違う」

 王将軍が色々やらかした結果、小玉が左遷されるときに行きがけの駄賃に報復したのである。まあ、いつものことである。



「ところであんた、いつ帰るの」

 儀礼どおり、小玉が拝礼して命令書を受けとる……というやりとりをこなした後、小玉は問いかけた。

「俺はこのままここに残る。それで、お前と一緒に帰るよ」

 文林は肩をすくめて答えた。


「なんで?」

 使者の仕事はもう終わったはずである。


「王将軍から命じられたんだよ。まだ一年目なのに後任への引き継ぎが発生するとなると、事務処理大変になるだろうから手伝ってやれって……ああ、本当にそうしたほうがいいと思うぞ、お前」

 文林の言葉の途中で都の方――王将軍に拝礼しはじめた小玉を見て、文林はしみじみと言った。


 どこかから、「事務処理苦手な者同士だから、気持ちはわかるぞ!」という王将軍の声が聞こえるようだ。

 小玉は今、王将軍に心から感謝の念をささげ、同時に甲の房飾りを三つ編みにしたことを心から悔いていた。

 持つべきものは、部下の苦しみに共感できる上司であった。


 もっとも王将軍、たまに独走する人物であるが。

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