第69話 復卿の気遣い

 復卿ふくけいは女好きである。女性であればなんでも愛せるというほどの博愛主義者ではないが、恋愛対象外の女性にも可能な限り優しくしたいと考えているくらい女性という存在を尊重している。


 それが高じて女装に行きついた……という説が出回っているのも無理はない程度に。


 もちろん彼が女装に走った理由はそんなところにはない。ただ、女装を今日まで維持している理由としては若干正しい。

 なぜなら、女性と服や化粧品の最新の流行を語っているのが「楽しい」と感じているからだ。

 その結果、女性の心理により通暁し、審美眼というものがさらに磨かれたと思っている。


 ……が、一般の人間には女装に走った理由と、女装を今日まで維持している理由が違うのだと説明したところで、違いがわからない可能性が高い。

 それ以前に、そっと交友を避けられる可能性のほうが高い。


 そういうわけで、復卿は今の話を誰かに話すことはめったにない。


 一部、引いている様子を楽しむために話す場合はある。たとえば文林ぶんりんのように。彼の反応は実におもしろかった。

 しかし、最近、その文林の様子がおかしい。おもしろいと感じるおかしさならば放置するが、今回のおかしさは心配するたぐいのものだった。


 昔話の出だしふうに言えば、それは小玉しょうぎょくがいなくなった直後のことだったそうな。

 「最近のしゅうなにがしはすさんでいる」


 そのころにはすでに、そんな噂がこの衛の定説になっていた。

 「某」といっている割に、若干名前が伏せられていないのは笑えるところだが、なんといってもこの国は同姓の人間がかなり多い。

 そのため、「わかる人間にはわかる」という程度には個人情報に配慮した噂だった。そしてその噂は間違いではなかった。

 原因は「わかる人間にはわかる」。小玉がいないからだ。



 近ごろの文林は誰が見てもわかるほど、小玉に傾倒していた。心酔といってもいいほどだ。だが、見ていて危ないほど傾倒しすぎているということでは断じてなかった。

 小玉も文林を信頼していて、非常に調和のとれた主従関係が完成しつつあった。とはいえ、戦史ものにありがちな理想的な指揮官と副官というわけではなく、文林という人間が小玉という癖のある指揮官に見事に合っていたという点で理想的だった。

 周囲もそのような二人を受け入れていたし、他の部隊からも「おう将軍とべい中郎将の後継か」と噂されていた。あの組み合わせもなかなかにアクの強い関係だったりする。


 ともあれ、呼吸が合った片割れを失った文林はしばらく荒れていた。

 もっとも、本人はそれを完璧かんぺきに隠していた。他の衛の者とも和やかに話し、ごくまれではあるものの、冗談の一つも口にするくらいに。


 だが、身近な人間にはすぐわかる。軍内での文林の身近な人間は小玉に近しい人間ばかりだ。彼らも小玉が目の前から消えて、大なり小なり喪失感だとか不安だとかを感じていた。


 そのため、文林もまた同じような感情を抱いているだろうと予想し、そういう目で見ると彼の感情の動きは読みやすかった。

 関係の浅い人間は、文林の態度を見て、「それほど深い付きあいではなかったのだな」と言うくらい、彼は表面上、平静を繕っていた。


 それほど自制のできる人間が、「すさんでいる」と噂されるような事態。相当なことだ。そしてそうなった事情の一端は復卿にある。


 ……と本人は思っているのだが、実は彼も今ひとつ事情の全貌ぜんぼうを把握しているわけではなかったりする。


 元気がない彼に声をかけたところ、相談を持ちかけられた。そこでひとのないところに呼び出されたときには、「まさか告白か」と素で我が身を心配するほど思い詰めた様子であったが、話を聞けばなんのことはない。

 まあ、普段の文林を知る側からすると、驚天動地級の驚きだが。


 復卿にしてみれば、だってなー、と思うところである。


 本当に男かと疑いたくなるくらい女っ気のない奴から、「ろうに行きたい」と持ち出されるなど、驚天動地としかいいようがない。


 しかも、何度か誘って、その都度断ってきたような相手からの言葉ときては。


 しかし復卿は偉かった。「お前どうかしたの?」と口走るより早く、今は遠き地にいる上官に言われたことを思い出したのだ。

 すなわち、「そのうちあいつ、おねえさまがたの中に放りこんであげて」と。


 したがって復卿はその場で快諾し、その日の夕方文林を連れていったのである。彼は仕事の早い男だった。


 そしてその後、文林が妓楼へそれなりに通っている状態を確認し、達成感をもって報告書をしたためたわけである。

 彼は早々に判断を下すようなことはしない、できる男でもあった。


 しかし、である。一つ問題が発生した……確かに目的は達成した。しかし達成しすぎても別の意味で困るのである。


 ――え、お前通いすぎじゃね?


 小玉に報告書を送ってしばらく経ったころ、復卿は気づいた。文林がかなりの頻度で妓楼に通い詰めている、と。

 妓女にはまりこんでしまって抜けだせない――確かに、女遊びを始めたばかりのやからが陥りやすい事態である。復卿自身、覚えがある。

 だが、まさかあの文林がそのようなことになるとは、想定すらしていなかった。その点復卿は、文林のことを自分よりも信頼している。


 今のところは金銭的に、問題ないだろう。本人が高給取りなうえに、実家が帝都でも有数の豪商だ。

 しかし今は大丈夫でもこの先はどうなるかわからない。なんといっても、遊びにおいて金とはいくらあっても足りないものだから。


 復卿は妓楼のおねえさまと色々な方面で親しくお付きあいしている身だ。単に客として扱われているだけではなく、愚痴を聞かされることもあるくらいだから内実には極めて詳しい。

 だから女で身を持ち崩してしまった男を何人も知っている。復卿としては別に、自分以外の誰が破滅しようとなんら痛痒つうようを覚えないが、今回の場合については話が違う。

 なぜなら、彼が特別な存在だから……というわけではなく、上官に対して顔向けができない。上官は、彼が女に慣れることは望んでいても、女で破滅することまでは望んでいないに決まっている。

 これは早急に、手を打たなければならなかった。



 某日。

 復卿は自分ができうる限り最高に格好よい顔と声を作って、文林に挨拶あいさつした。


「よう文林、今日も美人だな!」

「…………」


 無駄に明るい復卿に対して、文林は冷ややかだ。彼は答える気もないとでもいいたげな態度で、目線だけ送ってきた。


「ぞっとするような流し目」と、本人の知らないところで言われることもあるそれは、なるほどそっちののある人間にはたまらないものなのだろう。だが、復卿にはただのろんな半眼にしか見えない。

 もちろん、文林としてもそれで正解なはずなので、そういうとらえかたで問題はないだろう。


 無愛想な文林であるが、復卿はまるでめげない。

「お前、今時間ある?」

「そう見えるか?」


 質問に質問で返す文林に、復卿はにこやかに答えた。

「いや全然」

「帰れ」

 にべもなく返された。


「ひでえ言い草だなあ、この前いい女紹介してやったってのに」

「その節はどうも」


 かけらも感謝の気持ちを感じられない口ぶりで礼を述べられると、なかなかに笑えるものだ――と考える復卿は、けっこうな大物であった。


「……そういえばどう? おねえさまとのその後の調子は?」

 復卿はなるべくさりげなく、本題に入る。まずは文林がどれだけ女にのめりこんでいるのかを把握して、対策を講じなければならない。

 しかし、文林は、ああそういえばとでもいうような顔をしてこうのたまった。

「もう通うのはやめた」


 なんと勝手に事態は解決していたのである。


「……あ、そうなの」

 まさかの事態にほうけた顔になってしまった復卿に、文林はなにか感じるところがあったのか、初めて表情を崩した。


「紹介してくれたのに、悪かったな」

 文林はちょっとだけ申しわけなさそうに謝罪した。


「いや、謝ることじゃねえから……」

 実際、謝られるどころか、こちらこそ「手間を減らしてくれてありがとう」と言ってもいい事態なのだが……なんだか釈然としない。


 ――お前、本当に俺をやきもきさせる奴だな!

 復卿は内心で絶叫した。


「それで? 本題はなんだ?」

「あ、ええ?」

 復卿が我に返ると、文林は若干いらっているようだった。

「なんのために俺を呼びとめた?」

「ああ、それな……」


 復卿はここで、「特に用事はなかった」と言って、文林の怒りを買うような手抜かりはしない。口実はしっかりと用意してきていた。


「いやさ、小玉から手紙届いたんだよ。多分近況だから、一緒に見ねえ?」

 懐から未開封の手紙を取り出し、軽く振る。文林はあっさりうなずいた。


 そして顔を寄せあう男たちの眼前でぱらりと開かれた手紙には、墨痕ぼっこん鮮やかに近況と、こういうことが記されていた。


 ――ちょっとあんた、あたしの彼氏になって。


「……って、おい」

 復卿が思わずあげた声は、その一文と、復卿がその一文を認識したのとほぼ同時に、横で膨れあがった冷ややかな空気に対するものである。


 彼は妙に冷静に思った。

 ――俺のまわり、おかしくないやつっていないのか。


 そんなことを思う復卿自身も相当「おかしい」人間なのであるが、彼の性質の悪いところは、しっかり自覚していてなおそんなことを思っている点である。

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