第65話 左遷先にて

 さて、左遷先の小玉しょうぎょくは元気にかゆを食べながら、復卿ふくけいの手紙を読んでいた。

 お腹に優しい粥を食いながら読むには、刺激的すぎる内容だった。


『よう、俺俺。元気でやってるか? こっちはもちろん元気にしているし、ほかの連中もまあ、毎日出勤しているところを見ると元気なんだと思う。今回の手紙を書いたのはほかでもない、文林ぶんりんの奴のことだ。あいつ最近けっこう砕けてきたというか、頭柔らかくなってきたぜ。でもたまになんだか焦ってるみたいな感じもあって、なんかあるんだろうな。追求しないけど。そうそう、それで本題。なんとこの前、あいつと一緒にろうに行ってきたんだ。もちろん単に行ってきただけじゃない。その後もそれなりに自分で通ってるらしい。ほら、前にお前に頼まれてたろ? 「文林並に美人なおねえさまのところに、あいつ放りこんでくれない?」って。前に誘ったときは文林の奴、めちゃくちゃ怒ってたけど、どんな心境の変化だったんかね、まあいいけど。成長っちゃ成長だろ。あいつのことだから性病には気をつけるだろうし、そういうわけで俺、任務完了。あ、正直「文林並」っていう条件については無理だったけど、そこは大目に見てくれ。じゃあな』


 復卿による手紙(全文)である。



「……ほう」

 しばしの沈黙のあとで小玉は一声発すると、くわえっぱなしだったさじをすぽんと口から抜いた。そしてもう一回読んでみたが、当然内容が変わるわけもなかった。


 要約すると、たった一言。

「文林が、女遊びを覚えた」

 ……である。それだけのことを、ここまで長々と紙面を割いて述べることができるのは一つの才能だろうが、小玉はいまさらこの程度のことで驚かない。


 なにしろ世の中にはさらに強者つわものがいるのだ。たとえば、「もっと頑張れ」というだけの内容を長々と半刻かけて話す(しかも同じ表現が二度と出ない)某将軍などが筆頭である。

 あれは本当にすごい。

 小玉は彼の話を聞いていると、たまに感動するときすらある。いつもは「早く終わらないかな」としか思わないけれど。


 ちなみにそれは、小玉の上司であるおう将軍ではない。

 彼の名誉のために言えば、大したことのない内容をある程度長々と話さなくてはならない演説のときに、それこそ「もっと頑張れ」とだけ言って壇上を降りるような人間……と表現すると、おかしなことに名誉を守るどころかおとしめている感があるが、とにかくそういう感じである。

 なお、性格から予想されるとおり、小玉も王将軍よりの演説をする。


 閑話休題。


 つい先日肉体関係を持ったばかりの青年が、玄人のおねえさまに手を出す……そんな事態。

 それを知らされ、どろどろとした感情が小玉の胸を満たす……ことはなかった。


 ――いやー、すごいわ。あいつやっぱやるなあ。

 それどころか小玉は久しぶりに腹の底から感心していた。

 さすが文林。あいつはやはりただ者ではない。


 なんといっても、彼にとって「初めて」はあんな経験である。下手をすれば、もう女なんかこりごり的な流れになってもおかしくないところ、あえて玄人の女性に挑戦することで克服する……なんという向上心だろうか。


 そしてちょっと安心した。これで本当に女なんかこりごり的な流れになって、完全に女性を遮断する方向になったら、自分がきちんと責任をとらなければならないところだった。

 すごくいい女紹介するとか、あるいはすごくいい男紹介するとか……すごくいい女にも男にも心当たりはあるが、面倒くさい。


 自分が結婚してやるという選択肢は、小玉の中にあるわけがない。お互い望んでいないことだし。


 とにかくこれで、文林の問題は解決した。ずっと気になっていたのではある。あの事件からすぐ経って、ろくに話をする間もなく、小玉は都を離れて今の赴任地に来てしまったから。しかしこれでようやく荷が一つ下りた気分だった。


 この時点で、小玉は、先日の事件に解決済みの印を押して、心の引き出しに片付けていた。

 というか、片付けないとやっていられない。


 小玉は清々すがすがしい気持ちで、器の底に残っていた粥をすすった。

 朝に粥を食べるという食生活はこちらの地方の特徴だった。小玉にとっては久しぶりのものである

 帝都では小麦料理が主で、練った小麦の生地にあんを詰めて焼いたものか、練った生地を焼いたものに具材を包むというものを朝に食べていた。

 すっかりそれに慣れてしまっていた小玉だが、こうやって粥を食べていると、故郷の近くに戻ってきたのだなあという感慨が胸にわく。早く実家に顔を出したいのだが……。


 清々しい気持ちが一転、小玉はここで一つため息をついた。


「あの、お粥のおかわりは」

「あ、ちょうだい」

 緊張気味に声をかけてくる少年に、器を差し出す。体が資本の仕事、食わなければなにもできない。特に、あわひえの粥は腹持ちが悪いことだし。


 小玉はその気になれば、米の粥だって毎日食べることができる程度の給料は持っているが、そこまで食事にこだわりはない。

 おいしいものを食べるのは好きだが、小玉は「安くておいしいもの」が好きなのであって、いくら美味でも対価次第では自身でも驚くほど興味を持てなかった。それは服飾等にもいえることだ。

 それを貧乏根性とあきれる者もいれば、主婦根性と褒めたたえる者もいる。あいれない概念というものは、確かに存在するものだ。


 だが、世の中、そういったこと以上に許容できない事柄、存在というものもあったりする。

 小玉はそれを、この地に来てしみじみと思い知った。



 思えば、初日からすでにこの地はかっ飛んでいた。 

 赴任にあたって、小玉は一応緊張していたのだ。なんといっても、これまでの異動とはわけが違う。

 これまでは下手な街よりずっと広いものの、皇城という一つの敷地内での異動だったのだ。


 しかし、今回は土地自体が全然違う。当然、これまでとも勝手が違うはずだった。不安要素もある。

 往々にしてよそ者という存在は忌避されるものだ。そして、この度の人事は間違いなく左遷。


 受け入れる側からすると、「なにかやらかした奴が来やがった」という反応になってしかるべきだろう。しかも、ぽっと出の奴が部隊の頭になる……それはいらっと来る。


 一軍人として、小玉はその気持ちがわかる。だから、色々と覚悟していた。


 しかし、意外なことにこの度の異動で彼女は特に大歓迎はされなかったが、忌避もされなかった。

 別にそれは彼女の高名でも人徳によるものでもない。単に、元いた軍人も「よそ者」扱いされていたからだ。



 今回の異動で、小玉は一地方のへんな街の駐屯地に飛ばされた。

 特に名産もないし、防衛の面で要所になるわけでもない場所だ。

 なぜここに駐屯地が設けられたのかというと、地図の上で駐屯地と駐屯地の間のぽっかりあいた穴のちょうど中心だったにすぎない。


 この土地でなければならない、という理由があるわけではなかった。当然といえば当然だが、現地に住む人間にとっても別にありがたみのあるものではない。


 結果、どうなっていたのかというと、この土地では地元出身の青年たちによって結成された自警団が大きな力を持っており、駐屯部隊の兵士たちはあなどられているという、肩身の狭いことこの上ない立場にあった。


 それが問題の「一つ目」である。


 地元との付きあいがうまくいっていないことについては、小玉も「お疲れさまです」と、これまでの責任者の労をねぎらうところである。

 しかし真の問題は、そのべつがあながち不当ではないというところにあった。

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