第60話 思いがけない再会
とても懐かしい。その気持ちに
「息災であったか」
「はい。なんとか……」
小玉は、久しぶりに自然に微笑んだ。ここ最近、意識しなければ笑うこともできなかった。それだけ心が疲れていた。
「お前が出世したよし、こちらにも伝わっている……よくやったな」
「ありがとうございます」
「折につけ、
「おわかりでしたか」
と言いつつも、そりゃわかるだろうなとも思う。
以前は代筆を頼んでいたので、それなりに綺麗な字で書かれた文だったのが、ある日いきなりかくかくしたり、がたがたしたりな字になったのだから。
でも、書けないときならともかく、書けるようになった今、他人に頼んで綺麗な手紙を出すのは、なにか「違う」という気がしていた。
見栄を張っているような気がするのだ。
もっとも、「あたし字が書けるんだよ!」みたいにとられると、かえってそちらのほうが見栄っぽいともいえるが。
けれどもそれは、相手の受けとり方次第だ。
そしてこの人は、そういう受けとり方をしない人だ。
「お目汚し失礼しました」
「そこまで言うほど見苦しいものでもないだろう」
苦笑いをされた。しかし、沈賢恭はふっと表情を戻すと、どこかまぶしいものでも見るような目で言った。
「しかし、そうか……大したものだな。立ち居振る舞いも見事になった。立派な将官の器だな」
小玉は、少し泣きたくなった。
この人が本気で言ってくれているのがわかる。
そして、これまで会った上官の中で、そのような態度をとってくれる人があまりにも少なかったのを思い出す。
尊敬できる人が、尊敬できるままでいることは難しい。そして、この人が尊敬できる人のままでいたことが、とてつもなく
かつて、自分はこの人が好きだった。今会って、この人への恋は完全に過去のものだと実感した。ただ、この人を好きだった過去がとても誇らしかった。
「初めてお前とあったころを思い出す……実家にも、自分で手紙は書いているのだな」
「はい……まだ覚えておいででしたか」
「忘れられようもない」
初めて会ったとき、いきなり状況も顧みず、「家族からの手紙読んでください!」と言ったあの日のこと。小玉本人はもう忘れていたいし、忘れてほしい。
沈賢恭は口元に手を当てて笑った。少し離れたところから、彼らの様子をうかがっている沈賢恭の部下が非常に驚いた顔をしている。
普段、沈賢恭がどのような態度で部下に臨んでいるのかが推しはかれる状態だが、そんな彼の顔を見ているのは
ひとしきり、くつくつと笑うと、沈賢恭は問いかけた。
「ああ、家族は息災か?」
「あ……」
そのとき、小玉は答えに詰まった。答えられないような事柄があるわけではない。ただ、こみ上げるものが、返答を拒んだ。
「どうした? なにかあったのか?」
「先だって……兄が亡くなりました」
震える唇をしかりつけながら、小玉は言った。
その知らせを受けとったのは、戦地から帰還したときだった。彼女が戦っている間に兄は死に、そして彼女の知らない間に埋葬されていた。
小玉の兄は、生まれつき足が悪かった。だから徴兵されたとき、小玉が代わりに軍に入った。
その後、小玉の仕送りで買った薬で足が治ったのはいいものの、狩りに出かけた先で手負いの獣に体当たりされて死んだのだという。
実感は、まだない。兄の遺体も、墓も見ていないのだ。
だから涙をまだ流していない。
帰りたかった。今すぐ帰って、兄の弔いに参加したい。墓の前で泣きたい。自分と同じように大事な人を失った、母を、兄嫁を、
だが、職務と責任が小玉を帝都から離さない。
それを選んだのは自分だと納得しながら皇帝の葬儀の準備をしていても、折々思うのだ。なぜ自分は赤の他人の葬儀にかかわっていて、大事な家族の葬儀にはかかわれないのかと。
小玉は、どこかで家族は死なないような気がしていたと思っていた。年齢上、母については多少覚悟していたが、兄一家はずっと村で元気に生きているのだと思っていた。
それが、心のよりどころだった。
母と兄嫁からは、戻ってこいとは言われていない。お役目を立派に果たし、生きていてくれ。それだけで嬉しいのだと、兄の死を知らせる手紙に書いてあった。それも悲しかった。
帰ってきてほしいのだということが、文面にはどこにも書いていないのに読み取れてしまった。それは、本当は兄の弔いに参加してほしいからということではない。
愛されているからだ。心配されているからだ。
今、二人は、小玉まで死ぬことを恐れている。
「そうか。愁傷なことだな……」
「ありがとうございます」
いたましい表情で慰めの言葉をかけてくる沈賢恭に、小玉は頭を下げた。
――帰りたいな。
もう一度思った。
沈賢恭と別れてややあって、隣で歩いている文林が問いかけてきた。
「なにがあった?」
「え……なに?」
硬い顔、硬い声。
ただならぬ雰囲気に、小玉は
「なにも……ないのか?」
「うん、なにも……」
「いや、なにか、その……何事かあったような会話だったから」
「なに、それ」
言いながら、お互い「なに」ばかり言っていることに気づいて、小玉は少しだけおかしさを感じた。
文林は、この男にしては珍しく、言葉を探っているようだったが、やがて首を左右に振るとため息をついた。
「なにもないなら……いいんだ」
「そう。……そうなの」
その後、文林は一言もしゃべらなかった。居心地が悪い。
小玉は兄の死を、部下たちには告げていない。
理由は、よけいな心配をかけたくなかったというのもあるが、自分が甘えるのを防ぎたいからということが一番大きい。
どこかで、自分のせいで兄は死んだのではないか、という思いが浮かぶ。もし兄の足が悪いままだったら、おそらく狩りにはいかなかっただろう。そして、兄の足が治ったのは、自分の金のせいなのだ。
もし……徴兵されていたら、前線には送られず、無事徴兵期間を終えて、村に帰って、足は悪いままでも今も元気でいたかもしれない。
わかっている。それは仮定どころか妄想と呼ばれる
そして、いつか誰かに言ってしまいそうだった。
もちろん、誰もが「そんなことはないよ」と言うだろう。自分が、どこかでそう言われることを望んでいるのを知っている。楽になりたがっている。
そんなことは、
だから、兄のことは一言も言わない。
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