第61話 無自覚な感情
あの日から、
「え、恋?」
と真顔でのたまった
正確には、気になるのは沈賢恭と
時間をかけて戦歴の一つ一つに目を通し、一時期それが小玉のそれと重なっていることに気がついた。
つまり、二人の関係は……、
「え? 小玉は昔、沈将軍の従卒やってたんだよ」
深刻に考えていたわりに、文林の抱えていた謎は、
「……そうなのか」
「
と、首をかしげる明慧。最初から彼女に聞けばよかった。
なぜって彼女は、ついでに色々と教えてくれたものだから。
「……あと、沈将軍は、従卒持ったのが小玉だけだからか、色々と気にかけててね。折に触れて文を交わしてるそうだよ」
その最後の言葉に、なんとなくもやっとした。
そしてそのもやもやが膨らむような出来事がもう一つ。
皇帝の大葬の儀が終わり、新帝が即位したころ、小玉に一頭の馬と、小さな包みが送られた。
沈賢恭からのものだった。
「なんだろう、これ」
「もう少し丁寧に開けろ」
がさがさと自分の前で包みを開ける小玉に、思わず言ってしまった。父親か自分は、と内心で突っこみをいれてしまいつつ。
存外しっかりと包まれている包みを開けると、そこに入っていたものがあらわになった。
「あら」
小玉がふっと笑う。
その表情に、もやりとしたものが胸の中でざわめいた。
包みの中には筆、墨、
そして手習いの手本と……手紙。
それを手に取った小玉は、包みを開けるときとはうってかわって、丁寧な手つきでそれを開いた。
もし、彼女が字を知らなかったら、おそらくは文林が読み上げることになっただろう。そのような状態ではないことが、なぜかもどかしかった。
かつて彼女について、読み書きができないことを不快に思っていたはずなのに。
やがて、彼女が
「ありがたいことね……」
そっと手紙をたたむ。
なにが書いてあったのか聞きたかったが、聞ける立場に文林はない。だが、文林がもの言いたげな目でもしていたのか、彼のほうを向いた小玉が話しはじめた。
「あたしが出世したから、立場にふさわしい馬を送ってくださるって。それから、この前話した近況、覚えてくださってたのね。文房具のいいものを送ってくださって、それから法要の……」
言葉がふつと途切れた。聞き逃さなかった文林はすかさず尋ねた。
「法要?」
「あー……」
小玉の目が軽く泳ぐ。けれどそこで妙に気をつかって聞くのをやめるようだったら、文林が小玉の副官などやっていられるわけがない。
「誰のだ?」
「……まあ、もういいか!」
そう言って、彼女が話してくれた内容は、家庭の事情だった。
出征中に家族が死んだ……よくある話とはいわないが、あってもおかしくない事柄だ。だから、文林がその話に動揺したのはそれが珍しい話だったからではない。
なぜ、身近にいる自分がそれを知らされず、沈賢恭が知っているのか。
「いやさ、あんまり心配かけたくなくてね……あと、話の流れというか」
では、あの将軍にならば心配をかけてもよかったというのか。
それは怒りに近い感情だった。しかし、同時に理性は、それが理不尽な感情でもあるという判断を下した。だから、文林は、
「そうだったのか」
と言い、お悔やみを一言述べてから、そこから逃げるように立ち去った。
十年以上経って、皇帝となった文林はそのころのことを苦く思い出す。
あれは
もしそれを自覚していれば、あるいはそれを、八つ当たりでもいいからあの場ではき出してしまえば、もう少し自分たちはまっとうな結びつき方をしたのだろうと。
思えば自分たちは、男女関係にいたるまでの転機という転機をことごとく踏み外した結果、今の、ある意味どうしようもない関係に落ちついてしまった。
そして、その踏み外した原因の大半は、この時期の文林の無自覚と、この時期に限らず一貫して有りつづけた小玉の
せめてお互いのどちらかの要素がなければ、もっと違ったかたちで……というのははかない願望だ。だが、この時期の文林が無自覚ゆえに煮詰まっていたことは事実であった。
だから、文林は、あの日二人の間で起こったことの責任は自分にあると信じている。
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