第59話 美貌と人望の宦官

 無事に帝都に戻ったものの、帝都に戻ってからの小玉しょうぎょくは全然無事ではなかった。

 皇帝崩御の報を受け、戦場から帰還するまでかなりの日数がかかっていた。


 だが、戻って来てもまだ皇帝の遺体は埋葬さえされていなかった。

 あたりまえだ。皇帝の葬儀ともなれば、数日で終わるというものではない。また、皇帝の死はあまりにも急であったために、まだ陵墓の準備も整っていなかった。

 陵墓自体は完成していたことが、唯一の救いであろう。


 小玉は戻ってすぐ、戦後処理にかり出されつつ、埋葬の際の警備の準備に取り組むことになった。皇帝の娘……ていが参列しないわけにはいかないし、小玉はその護衛という立場になる。

 また、父親が死んで半狂乱の帝姫をなだめるのも小玉の仕事だった。


 まごうことなき激務。

 だから、彼女の顔色がどんどん悪くなっていくのを、心配する者はいても、疑問に思うものはいなかった。誰がその立場にいても、体調を崩すであろう。


 それどころか、こんなことを言った奴さえいる。

「なんで閣下、死なないんですか?」

「元農業従事者なめないで」


 どう考えても失礼な発言だが、言ったのが「さわやか自己中」ことしょうじつであるため、誰も気にしない。常に若干失礼な男だからだ。

 そういう点は復卿ふくけいと重なる。ちなみに、この二人はこういう場合の例に漏れず仲が悪い。


 とはいっても、かつての小玉と文林ぶんりんのように「仲よくけんかする」という感じではない。お互い用があるとき以外は接触しようとはしないという、改善しない代わりに悪化もしないという、お互いの精神衛生上賢明な感じなのだが。



 ところで、今回の遠征で簫自実と彼の麾下きかは、小玉の指揮下で戦う場面がいくつかあった。小玉の希望ではなく、指揮される側の熱烈な自薦の結果である。

「ああ、やっぱり有言実行だった」

 ぼそっとつぶやく小玉の目は死んで三日目の魚のようだったとは、明慧のお言葉。彼女は小玉に教わって以来、自炊するようになったため、食材の鮮度を理解している。



 話はそれたが、そういうわけで、文林も彼女が疲弊している理由を疑わなかった。

「彼」に会うまでは。


「こんにちはー」

 今日も今日とて、小玉は後宮からやってくる。すかさず文林とたいは、書類を左右から時間差をつけて渡す。


「本日、損耗した武器の補充について……」

「あー、それ、まだやってなかったね」

「それから、本日、大家のご葬列の際の配置について、合議があるそうだ。あとで呼びに来ると言っていた」


「それ、直前に呼びに来られてもなあ……いつごろにやるのかっていう、大体の見とおしとかは?」

「そんなもの、あるわけないだろう。このくそ忙しいときに」

「あーそう。そうだね」

 書類に目を通し、印を押し、指示を出す。多分今、彼女は「文字勉強していてよかった」と思っているだろう。配下である文林が「文字教えといてよかった」と思っているのだから。

 効率が全然違う。



 やがて、呼びに来た下士官の声に小玉は椅子から立ち上がった。

「文林、行くよ」

「わかった」

 文林は文房具を持ち、小玉の後ろに続く。

 歩みを進めていると、あちらこちらから高級武官とその副官が、横から合流する。同じ合議に参加するものだ。やがて何人も増え、人がまるで川のように、一つの方向へと向かう。


 ふと、前の小玉が歩みを止めた。思いがけないことだったので、ぶつかりそうになった文林も慌てて立ち止まった。


「なにを……」

 後ろから来た者が、少し迷惑そうな顔をして、彼らの横をすりぬけていく。

 そんな様子も気にとめないで、小玉はややぽかんとして、ある方向を見ていた。文林は彼女と同じほうに目をやり、一瞬とまどいを覚えた。


 小玉と同じように立ち止まって、こちらを見ている者がいた。その後ろには、困ったように筆記具を抱えて立っている男がいる。今の文林とまったく同じ立場の者だろう。

 といっても、とまどいの原因は、その困っている男ではない。


「閣下」

 どこかほうけた響きの声を、小玉が発した。

 呼ばれた相手は、口元を優しく和ませて言った。

「久しいな」


 今小玉が「閣下」と呼んだ相手。その性別を判断することが見た目ではできなかったからだ。


 挨拶あいさつを交わした二人だったが、ここでいきなり立ち話を始める……ということはなかった。合議の刻限が迫っていたからだ。

 だから簡単に言葉を交わし、再び歩き出して……文林は、それで終わりだと思っていた。



 だが、

「『久方ぶりゆえ、話をしたい』と……」

 先ほど、性別不詳の人物の後ろで、文房具を抱えて困っていた男が、合議が終わったとたん、声をかけてきた。

「わかった」

 小玉はあっさりうなずき、文林を促して男の後ろに続いた。


 宮城の中にはいくつかの中庭があり、さらにその中にはあずまがある。二人はそこに腰掛け、会話を交わしはじめた。

 その声が聞こえない程度、それでいて二人の姿が見える程度の距離で、文林と文房具抱えて困っていた男は待機していた。


 手持ち無沙汰ぶさたなので……という身も蓋もない理由からではなく、人脈作りを考えて自己紹介などもしてみる。

「初めてお目にかかります。私、しゅう文林と申す者です」

「ご丁寧にいたみいる。私はちんすうと……」


 なおここで、文房具の男の名前が判明した。そしてその上官である性別不詳の人物の名も、芋づる式に文林の記憶からたぐりよせられた。

 こまぎれ程度であるが、元から噂は聞いていた。


 ――沈賢恭しんけんきょう

 ――宦官かんがん将軍。

 ――辺境を守る盾。

 ――美貌と人望。

 

 文林が軍に入った時点で、すでに中央にはいなかった人間だ。見た目でわからなかったのも無理はない。

 だが彼を直接知っている世代からは、莫大ばくだいな人気を誇っている存在であるのも事実だ。


 それにしても小玉が入軍した時期の前後にこの将軍は中央から異動したはずだが、彼女が直接知っているというのは驚きだった。

 また、直接見知っていたとしても、当時小玉は一般の兵卒だったはずだ。

 すでに将官だったはずの沈賢恭が彼女のことを覚えていて、親しげに声をかけるというのも不思議だった。


 どこか胸がざわつく。自分は小玉のことを、実は全然知らない。


「かねがね、かんろうしょう閣下の噂はうかがっておりました」

「いえ、私のほうこそ、沈将軍閣下のことは……」

 陳希崇と当たり障りのない会話を交わしながら、文林は二人から目を離さなかった。

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