第57話 以心伝心の出征

 ていの甲高い声が響く。

「どうして!? おまえはわたくし付きの武官でしょう! 戦場に行く必要などないじゃない!」

「帝姫さま、そのようなことをおっしゃっては……元々の取り決めだそうですし」

「うるさいわね!」

 女官のたしなめる声を、興奮した帝姫は一顧だにしない。

「わたくしがたいにお願いして、行くのを取りやめてもらえば……」


「帝姫さま」

 小玉しょうぎょくは口を開いた。さすがにそれをされては困る。


「私が行けば、何人かが死なずにすむかもしれません。私はそのために行きたいのです」

 帝姫は口をへの字に曲げ、そして叫んだ。

「もう知らないわ! 出ていきなさい!」


 後で、帝姫の女官たちにめちゃくちゃ謝られた。

「申しわけございません、閣下」

「いえ、あなたたちが謝ることではないです。まあ、あと少しすれば落ちつくと思うんで、甘いものでも持ってってあげてください」


 今ごろ、なんであんなこと言ったんだろうとか、とんにくるまりながら思っているだろうなーと考える小玉は、帝姫のような人間の扱い方を本当によく心得ている。


「今、最もお忙しい時期でしょうに……」

「あー……まあ……」

 否定できない。というか、熱烈に肯定できる。


 なんといっても、出征十日前の話である。


        ※


 そして十日後。


「なんか、行く前から疲れた……」

 首をこきこき鳴らしながらそんなことをぼやく小玉に、最近毒舌家の名をほしいままにしている文林ぶんりんでさえ、「行く前からそんなことを言うな」とは言えなかった。


 ここ数日の彼女の動きは誰から見ても超人的だった。

 こちらのえいに来ての軍議、練兵、演習にあわせ、あちらの衛での引き継ぎ、帝姫の相手等々……冗談まじりに「かん郎将ろうしょうは分裂したのでは」とささやかれたくらいだ。

 本人からしてみると、「冗談じゃない!」と言うだろうが。むしろ「本当に分裂できないかな……」とさえ言うかもしれない。


 なんでも帝姫が相当小玉の手を焼かせたらしい。

 らしいと言うのは、小玉が後宮であったことを決して口にしないからだ。どうも不敬罪云々以前に、帝姫に対して好意を持っているふしがあるから、愚痴の一つも言わないようだ。

 実に苦々しい。


 自分のめいが小玉をわずらわせている。そう考えると、自然とまゆに力が入る。

 姪といっても会ったことはないし、おそらく相手は自分の存在を知りもしないが望むところだ。そんな相手とかかわりを持ちたくないと心底思う。


「はああ!」と小玉が、やけに激しいため息をつく。兵卒の前では決してそのようなそぶりは見せない彼女が、自分たちの前では気を抜いていると思うと、少し優しい気持ちになれるような気がする。

 だから「大丈夫か?」と声をかけたら、信じられないという顔で見られた。

 解せない。


「あんたに心配されるなんて、あたし今度こそ戦死するかも」

「おい」


 さすがにしゃれにならない。そう言おうとする前に、小玉は右のこめかみに手を当てて、つぶやいた。


「ごめん。今駄目ね。すぐ組み立てるから」

「……わかった」

 最近、彼女の受け答えの呼吸が絶妙になっている気がする。おかげで二人が言い争いをする機会は格段に減った。


「え? 今の言葉で言いたいことわかんのか?」

「……ん?」

 復卿ふくけいの言葉に、文林は不思議に思った。今の発言は誤解のしようもなかっただろう。


 ――(言い過ぎて)ごめん。今(緊張感がなくて)駄目ね。すぐ(戦用に思考を)組み立てるから。


 と説明する文林に、復卿はしんみりと呟く。

「お前ら……いつのまにかそんな仲になってたんだな……」

「なにを言っているのか本当にわからないんだが」

「月日は……流れるのが早いものだなあ……」

 するとその横で、いきなり明慧めいけいが朗々と詩を吟じはじめた。

 復卿の発言を受けたものなのだろう、時のはかなさ、人生の流転を題材とした詩だ。おそらく即興なのだろうが、そのわりには中々の出来だ。


 思わず明慧のほうを見ると、白い歯をきらりと輝かせた笑顔を向けられた。どう反応したらいいのかわからない。

 出征のために馬の背の上で揺れている現状とあまりにも不釣り合い。この混沌こんとんとした空気はなんだろうと疑問に思わざるを得なかった。


 そしていつの間にか静かになった小玉はというと、いつの間にか寝ていた。なぜ危なげなく馬の背で姿勢を保てるのだこの女。


 寝息、詩吟、馬のひづめの音、武器ががちゃがちゃ揺れる音。それらが渾然こんぜん一体となって作り出されるこの場に、心底叫びたい。

 ――本当になんなんだろう、この空気!


 文林が結局叫ばずにすんだことは、彼の驚嘆すべき忍耐力の賜物たまものだろう。

 あるいは、心に余裕ができていたからなのかもしれない。それは戦端が開かれてから強く実感したことだ。



 前回の出征に比べると、体が軽い。いや、迷いがない。

 文林は敵を切り伏せながら思った。

 目の端に常にある背中を見る。あれに任せていれば安心なのだと思っている自分がいる。これは危険なことなのだろうか。

 いや、そうではない。文林は自答する。小玉は自分を任せるに足る相手だ。

 問題はある女だが、それがなんだというのだろう。

 はあ、と肩で息をつく。息切れがひどい。



 天鳳てんほう六年に行われたこの戦いは、珍しくしん側の大勝利で終わった。

 しかし、この戦果がほとんど顧みられなくなったのは、同時期に発生した出来事による。



 皇帝崩御。

 その報が届いたとき、遠征軍の指揮官たちはなにも言わなかった。そっと目と目を見交わし、相手のひとみの中に自分と同じ思考を見いだした。


 ――たいにおかれましては、できれば空気読んで崩御していただきたかった。


 ちょうど、帝都に戻るための準備を始めようと決めた矢先だった。そしてその準備を早めなくてはならないことが、この知らせで確定した。

 いくらこちらが勝利したといっても、この情報が届けば敵方のくじけた志気は高揚し、味方の勝利への安心は動揺するであろう。

 悪ければ敵方が追撃をかけてくるかもしれない。


 背後から攻撃を加えられることがどれだけ恐怖をもたらすか。彼らはよく知っている。

 箝口令かんこうれいは時間稼ぎにしかならない。いずれは伝わってしまう。

 できるかぎり急いで、それでいて敵にも味方にも気取けどられないように動く必要があった。


殿しんがりはいずこが務める」

 ため息まじりに行軍元帥こうぐんげんすいが問うと、いくつかの部隊からまばらに手があがる。

 小玉も挙手した一人だった。

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