第55話 文林の女性事情
「最悪じゃないか」
「いや、話まだ途中だから。最後まで聞いてよお兄さん」
たしなめられて、文林は
ちなみに現在、小玉と二人して小料理屋の個室にしけこんでいるわけだが、もちろん
小玉が異動した後も、文林による読み書き講座は、頻度が減ったものの続いていた。今日はそれが終わったあとで、「よーし、今日は飲むぞ!」と、叫んだ小玉に文林がひきずられて今に至るわけだ。
彼女が異動してから一か月。異動後初めて顔を合わせたとあって、話は自然にお互いの近況についてのことになっていた。
「その後にさ、帝姫さま、こうおっしゃったのよ」
『で、でも、わたくしの側に仕えることがもう決まったのなら、仕方がないわ、わたくしの名を呼ぶことを許します』
「…………」
「これ、どういう意味なんだと思う?」
真剣に悩む小玉。単純に考えれば、好意の裏返しでつんけんするというやつなのだろうという予想はつく。
だが……そもそも、小玉は、面識すらなかった帝姫に好意を持たれる心当たりがないのだという。
「いや……それは……」
単純に考えていいのではないかと言おうとした文林だったが、なぜかそう言えなかった。口から出たのは別の言葉。
「ちなみにお前は、帝姫の名を呼んでいるのか」
「いや、『おそれおおいですー』とか言って、今も『帝姫さま』で呼んでるよ」
「ああ、まあ、それでいいんじゃないか」
なんだか妙にほっとして文林は
「まあ、現実問題として、そのとき帝姫さまの名前知らなくってさ」
あはーと笑う小玉に、文林は遠慮なく言った。
「この馬鹿」
「さすがに今は知ってるって」
「今も知らなかったら、大馬鹿だな。ただの馬鹿で
確認程度の意図で発した問いかけだったが、その答えは歯切れが悪かった。
「多分……うまくやれてると思う……よ」
「なにか問題でもあるのか?」
「なんか、待遇が……よすぎて」
「なに?」
今、妙なことを聞いた気がする。
「というか、ちやほやされすぎて」
「は?」
本気で聞き間違いではないかと思った。
「閣下がそんなことをなさる必要はありませんわ」
「閣下、これ召し上がってください」
「閣下、どうぞこれをお使いください」
小玉が毎日必ず聞く言葉だという。
「あと、なんか練兵のときは、関係ないのまでびっしり集まって見学してる。むやみにきゃあきゃあ言われる。一対一で会話するとなんかもじもじされる。特に年下の女の子には。嫌がらせされているわけじゃないんだけどさ、なんかね……」
彼女は深いため息をついた。
「わかっちゃった気がするんだ、あんたの気持ち。同性にもてもてでも
嬉しくないのは事実だが、そんな共感はいらない、と文林は心底思った。
「身の回りに男がいないからじゃないのか、誰か紹介すればいいだろう」
「ああ、それはね、あたしも考えた。ほら、結婚願望ありあり男たちに紹介するみたいな約束もしたからさ、『会って話でもしてみない?』って言ったら、『男なんて必要ありません』って返された」
「そうか……」
「なんか、あたしが昔いたころとずいぶん変わっちゃった気がする」
小玉はどこか遠い目をしている。文林は「昔」という言葉に興味をもった。彼女の過去。気になる。
「昔はどんな感じだったんだ?」
小玉は、んーと言って、頬をかいた。
「みんなわりと結婚して退職したい気持ち強かったな。あたしはそこまでじゃなかったけど、結婚相手見つかったら退職するだろうなとか考えてた」
「……今は?」
「なんか、それどころじゃないって感じ」
なるほど、では……。
「男と付きあう気はないんだな」
「いや、あるよ」
小玉はばっさりと切り捨てた。
「え?」
「はい?」
二人はなんとなく顔を見あわせた。
先に動いたのは小玉のほうだった。
「あー、なんか違うね。あたし今、言い方悪かった気がする。男と付きあったり、結婚したりするのが嫌ってわけじゃないのよ。でも、結婚したら仕事やめてくれって言われたら、気持ちが冷めるなあってとこ」
「それは……付きあってみないとわからないだろう」
したり顔で言う文林に、小玉は手をぱたぱた振って言った。
「いや、経験談だから」
「え?」
「実際、結婚したら仕事やめたらどうかなって言われて、なんか違うなって思ったことがあったってこと。別れた理由は違うけど」
文林は
「……あんたまさか、あたしがこの年まで男と付きあったことないって思ってたわけ」
実は文林、ずっとそう思っていた。
なんの根拠もなかったが、文林からしてみると、彼女と交際しようとする男性がいるなど想像もできなかった。
あと、彼女が恋をするという機能を兼ね備えていることも。
が、小玉はそんな彼の思い込みを木っ端みじんに粉砕しはじめる。
「いや、それはないよー。ていうかあたし、軍にいる間、三人と付きあってるよ」
「……さんにん」
「あと、軍入る前に振られた
「……いいなずけ」
「あれ、言ってなかったっけ」
聞いてない。
「あと片思いの人もいたけど、それは今回、数に入らないよね」
淡い初恋でしたと冗談めかして言う小玉を、文林はまじまじと見つめた。小玉が生身の女性だということを、頭ではわかっていたが、今初めて実感した。
ちなみにそれ以前の文林の感覚では、彼女は「小玉という名の種族」だったりする。
「ところでさあ、文林」
にやにや笑いながら小玉がずいと詰め寄った。嫌な予感がする。
「な、なんだ」
「あたしにだけ話させておかないで、あんたも教えてよ」
「お前が一方的に話したんだろうが!」
「いいじゃない、さあ教えなさいよ、文林くんの恋愛遍歴!」
小料理屋を経営する夫婦は揃って天井を見上げた。
「なんだかにぎやかだなあ」
「あの子、いくつになっても、そういうとこ変わんないのよね」
「なんか、妙齢の男女が二人っきりっていう感じが全然ないな」
「あら、急に静かになったわ」
静まりかえった部屋の中では、小玉が平身低頭していた。
文林はそっぽを向いている。
「……ごめん、聞くんじゃなかった」
「…………」
「あのー、あたし実はそっちの職業のお姉さんとも、ちょっとだけ面識あるから、紹介しようか?」
「いらん」
「あー……恋愛に慎重な男っていいと思うよ、うん」
「…………」
「帰ろっか」
「そうだな」
どんな会話があったかは、推して知るべしというものである。
後日、小玉が
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