第52話 麺屋の理屈

 ――まだ内定だから誰にも言わないように。

 そう口止めされたあと、おう将軍の部屋から出た小玉しょうぎょくは、そのまま一人、街に繰りだした。

 最初はそのまま自分の執務室に向かおうとして、重要なことに気づいたのだ。


 そういえば今日、非番だったと。


 早めに気づいてよかった。このまま普段どおりに出勤してしまったら、いい笑いものか、あわれみの対象になっていたところである。

 それに、異動のことについて部下たちに告げる前に、自分の中で考えをまとめる時間が欲しかった。

 ぼんやりと考えながら街をうろつく小玉が、最終的に行きついたのは、


「おっちゃん、おかわり!」

「なあ……注文してくれるのはうれしいんだが、めんってそんな酒飲むみたいにぱかぱか空けるもんじゃないからな」

 行きつけの麺屋だった。

 

「ほれ。今日はでっかい姉ちゃんはいない日か?」

 苦言を呈しながらも、店主は麺をどんぶりに放りこんでくれた。

 店主は小玉のことを「ちっちゃい姉ちゃん」と、明慧めいけいのことを「でっかい姉ちゃん」と呼ぶ。

 この店に通ってけっこう長いのだが、店主は小玉たちの名前を知らない……いや、知らないというより、覚えていないのだろうか。

 こちらが名乗ったかどうか、小玉たちもあまり覚えていないし、確認するほどのことでもないので、なんとなくそのままにしている。


 麺をすすりながら、小玉は答える。

「うん。あっちは仕事」

「ほーう」

 店主が適当にうなずいて、そこで話は途切れた。話の糸口とかではなく、なんとなく聞いてみたかっただけらしい。

 小玉はあっという間に麺を平らげ、丼の底に残った汁をなんとはなしに眺めた。


 ちょっと揺れている。

 よくわからない形をした麺のかけらが、ぷかぷか浮いている。


 その光景のなにかが琴線に触れたわけではない。自分のありように重なるところがあったわけでもない。けれどなぜか、店の中で今眺めるならこれ、という気持ちで小玉は汁を眺めていた。


「これ、おまけな」

 ……ら、その汁の中に新しい麺がぼちゃっと突入した。

「わ、びっくりした」

「なにがあったか知らねえけど、麺食って元気出せ? な?」

 どうやら汁を眺めている姿が、物欲しげに見えたらしい。無理もない。


 もうだいぶ腹は膨れていたが、いただいた厚意をありがたく受けとって、小玉はおまけの麺に口をつけた。

 ただ、どうしても言いたくて言い添える。

「おっちゃん……すごくありがたいよ、ありがたいんだけど……でも、おっちゃんって商売下手だよね」

 来る度に、なんだかんだでちょっとずつおまけをもらっている。しかもこの人、花街の横の医者にこまめに差し入れもしている。


 ちゃんと食っていけてるのかな……というのが、明慧と二人でしばしば話していることだった。

 おかげで微妙な味なのに、なんとなくこの店に通いつづけているのだから、もしかしたらなんだかんだで採算はとれているのかもしれないけれども。


 言ったほうは失礼を承知で口にした言葉なのだが、言われたほうは失礼な! などとは言わなかった。

 それどころか、素直に頷く。

「そもそも商売好きじゃねえしなあ」

「じゃあなんで麺屋やってんのよ」

「商売嫌いだけど、麺好きだからだよ」

「……えっ、そうだったの?」

 意外だった。

 斜に構えているふうな人間だから、売れない麺屋をやってる理由もそんな感じだと思っていた。それがまさか、こんな素直すぎる理由だとは。

「俺ぁ、死ぬ直前の飯は麺って決めてんだよ。やっぱ麺屋やってたら、そうなる率が高いだろ」


 ――えっ、そういう理屈?


「う、うーん……そうね、確率は……高いかな」

 なんか違う気がするのだが、どう違うのか言葉にならない。これって数字に弱いからだろうかと考える小玉だった。


 でもまあ、そういう考え、小玉は嫌いではない。


 今の自分だって、戦が好きだとはかけらも思わないし、仕事だって嫌なことは山ほどある。それでも続けているのは……端的にいえば生活のためであるが、でもそれだけではない。

 大事にしたい人がいて、その人たちを守りたいと思っている。

 死にたいわけではないが、死ぬ理由が彼らを守るためだというなら、それでもいいと思っている。


 つまり、彼らに死んでほしくないのだ。


 自分がいなくても、多分彼らはやっていけると思う。

 それはかん小玉の、自身に対する過小評価であったが、同時に正確に理解していることもあった。

 彼らが、自分を頼りにしてくれていること、そして自分がいなくなることで精神的にぐらつくこと、それが彼らの死亡率にかかわること。

 それをどうしたらいいか素直に考えると、答えは至極簡単だった。


 ――じゃあ、できるだけ彼らの側にいられるようにすればいいじゃない。


 これだ。

 実現するためにどれくらい困難かは別として、とりあえず答えは出た。

「ほら、さっさと食えって」

「うん」

 促す店主に小玉は微笑みを向けると、残った麺を一気に食べた。

 多分彼は、小玉の悩みを解決する手助けをしただなんて、思いもよらないのだろう。それを思うと、ちょっとおかしかった。


 あと、そこまで思いいれを持つほど、この店の麺っておいしくない気がするんだよなあ……とも小玉は感じていた。これについては言わないけれども。

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