第44話 絶対的存在

 そう思ったときだった。急に、敵の攻勢がゆるんだ。気のせいかとも思ったが、確かにそうだ。


 見れば、敵兵が明らかに浮き足立っている。一体なにが起こったのかまるでわからないながらも、ぶんりんは近くにいた敵を切り倒した。そして、この状況の答えを求めて、しょうぎょくを見た。


 小玉は文林に五馬身ほど先行するかたちで、敵の軍勢の中へどんどん切り込んでいく。まるで敵が彼女をよけて、その通る道を作っているかのようだ。

 小玉は、手に持っていたやりを前方にとうてきし、流れるような動きで背中の弓を手に取った。素早く矢をつがえ、狙いをつける。さっき彼女が手放した槍は、前方にいる歩兵に突き刺さったが、それには目もくれない。

 彼女の矢が狙う先を見て、文林は息をのんだ。敵兵の集団の中にいる、ごうしゃかっちゅうを身につけた者。高位の武官だ。


 ――射た。


 矢はまっすぐに飛んで、相手に当たったが、甲冑にはじかれた。おそらく、敵将には傷一つついていまい。

「あっ、くそっ」

 という、小玉の声を聞いたような気がした。もしかしたら、自分の心の声だったかもしれない。


 自分たちの接近に気づいた敵将とその取り巻きがこちらに向かっている。小玉は、再び矢をつがえた。文林を含む部下たちも弓矢を手にした。ひゅんひゅんと風を切る音をあげて、矢が敵将へと向かっていく。


 大部分は、周囲にいる兵士に当たるか、地面に突き刺さった。残りの矢は、相手の甲冑と、その手に持つ矛に防がれた。

 そうこうしている間に、相手との距離は劇的に縮まってしまった。文林たちは弓をしまい、剣を手にした。

 二つの集団が激突する寸前、文林は、小玉の声を聞いた。


めいけい!」


 それと同時に、小玉の馬がわずかに速度を落とし、反対に明慧の馬が速度を上げた。明慧が先行する。彼女は、先ほど皆で矢を射たときもただ一人手放さなかった長柄の武器で、敵将に突きかかった。

 激しい応酬が始まる。目まぐるしく、かつ多彩な攻撃は、まるで自分の武器で可能な動きをすべて披露するかのようだ。


 できることならば、特等席を陣取って眺めていたいような戦いであるが、のんびり観賞する暇などなかった。文林も一応戦っていたので。


 付け加えれば、小玉も、ちゃんと戦っていた。今度は腰から剣を抜き、騎兵相手に切り結んでいる。相手の剣を受け止め、受け流し、突き倒す。

 また、合間に攻撃してくる歩兵からの槍をけっばしてかわし、それの穂先近くをつかんで相手の腹を柄で突く。敵が倒れかけたところで、槍を完全に奪い取って、相手を刺し殺した。


「そいや!」


 ところどころであがる叫び声はいまいち緊張感がなかったが、攻撃と指揮を両立させている姿は、文林からしてみても見事だった。


 そういうことを分析できる程度に、周囲から敵が減っている。まるでひもの結び目がほどけたように、密集していた敵が散りつつあるのを文林は感じていた。そしてその結び目をほどいたのが小玉、ひいては自分たちであることも。


 今ならば、わかる。


 やがて小玉が明慧に、まるで「このあと買い物行こうよ」とでも言うような軽やかさで叫んだ。


「明慧、そろそろ終わらせようよ!」

「おお!」


 敵将と切り結んでいた明慧は、返答ともたけびともつかぬ声をあげひときわ激しい突きを繰り出した。それをかろうじて受け止めた敵将の顔に、軽い焦燥の色が浮かんだ。


 彼は、かすかにしゅんじゅんしたように見えた。だが、その隙をついて明慧が再び攻撃する前に、敵将は素早く体勢を立て直して身を引くと、号令をかけた。それは、退却を呼びかけるものだった。


「追うんじゃない!」

 小玉は、文林に向けて叫んだ。思わず不満の声をあげると、彼女は釘を刺した。

「深追いは厳禁。これ常識ね」

 文林のけんしわがよる。それを見とがめた小玉は、ややとげとげしさを帯びた声で、

「いや、死にたいなら止めないけど……」

 と、いいかけたところで、彼女ははたと考え込んだ。

「あ、ううん。やっぱ止めるわ、うん」

「どっちだよ」

 思わず突っ込む。気づくと、敵影ははるかに遠かった。


「……いや、すまないね。取り逃がしたよ」

 明慧が、武器を肩に担いで文林たちの元へ戻ってくる。顔にはびっしりと汗が浮き、息も荒い。

「謝ることないわよ、あんたで無理なら、うちの連中の誰にも無理。それに……」

 小玉は、ぐるりと辺りを見回した。

「……一番の目的は果たせたんだし」

 文林も、つられて辺りを見回す。いつの間にか、全体の形勢は自軍が圧倒的有利となっていた。


 ふと小玉のほうを見る。彼女がかぶとを外した。


 短い髪が風になぶられ、彼女の頬をくすぐる。それがやけにゆっくりと見えた。まるで一瞬一瞬を、文林の心に刻み込むかのように。

「うちの軍の勝ちよ」

 文林の視線を受け止め、彼女はふっと口の端をつり上げてみせた。

 覚えず、胸が高鳴った。彼女は今、自分を見ている。自分を認識して、彼女自身の功績を誇っている。それは、初めて会ったときとなんと違うのだろうか。


 ――ああ、俺はあれが嫌だったんだ。


 気づいた。自分は彼女が自分のことを意識していないと思うことが、とても嫌だったのだ。

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