第41話 前線という無理難題

 しかし勢い込んでしょうぎょくの元に向かったぶんりんだったが、相手はお取り込み中だった。

「だから……今のところは無理でしょう、それは」

「そこをなんとかするのが、そちらのお仕事でしょ」

 険悪な雰囲気は漂っていないが、なにやら真剣に話し合っている。

 相手は四十代半ばのやせ気味の女性。面識のある相手だった。

 おうらんえいという名前で、小玉の次くらいに階級が高いはずだ。

 つまり、女性としては、相当に高位の武官である。


「なんともなりません……あら、なにか用かしら」


 王蘭英が文林に気づき、声をかけてきた。

「え? ああ、文林」

 文林に背を向けていた小玉が、振り返り、話しかけてくる。

「もう、具合は大丈夫なの?」

「あらまあ、体調崩したの?」


 心配そうに尋ねてくる王蘭英。どう見ても気のいいおばちゃんというふうの女性であるが、見た目どおりの人間ではない。

 後方支援関係の仕事だけで実績を重ねて、士官級まで出世した人物だ。

 文林は戦の準備の際に彼女と何度か話したことがあるが、とても有能な人物であるという印象を受けていた。


「ええ、まあ……」

「吐いたんだったら、水飲んどきなさいよ」

「あら、それなら湯冷ましがいいわよ」

 二人が口々に言う。お節介だとは思うが、自分を心配してのことなので反応に困った。


 そんな文林の顔をやや眺めると、小玉はふっと笑った。

「まあ、いいわ。文林が戻ってきたから、ここから先は彼に任せる。いいかな? 蘭英さん」

「ええ、行ってくるといいわ」

「じゃあ文林。あたし、明日の行動指示聞きに行かなきゃならないの」

「あ……わかった」

 答える文林に目を向けず、小玉は立ち去った。やや速めの足取りから、彼女が急いでいることがうかがえた。



「それで、小玉とさっきまで話していたことなんだけど……」

「ええ、なんでしょうか」

 蘭英の言葉に、文林は意識を切り替えた。そうして補給のことについて打ち合わせを始めた。蘭英もまた実に有能な人間で、話が実に速やかに進んだ。


 ついでに彼女に子どもが二人いて、片方は武官を志しているという情報を、特に欲しくもないのに得てしまった。

 この人のすごいところは、そういう情報を聞いている側に、無駄と思わせずに話に組み込むところだと、文林は打ち合わせのあとで思った。


        ※


 ややあって、

「ご飯、残ってる?」

 同僚たちと火を囲みながら汁物をすすっていた文林は、器から顔をあげた。小玉の姿があった。

「残ってるぞ。今用意する」

 立ち上がろうとするふくけいに、小玉は頭を振った。

「いいよ、自分で取りに行く」

「お前さん、なに言ってんの。仮にもこの部隊の指揮官さまがのこのこ行ったら、あちらさん落ち着かねえだろ」

「ああ、そっか……そうね」

 そういえばそうだった、というような感じで、小玉は額に手を当てた。

「ほら、座ってろよ」

 復卿が、立ち上がりながら言った。

「そうするわ……。めいけい、ちょっとそっち寄って」

「ああ」


 よっこらせというかけ声とともに、小玉は明慧の隣に腰掛けた。そして、ふいーと深いため息をつく。

「なんか無理難題ふっかけられたのかい」

「ああ、うん」

「おやまあ」

 二人の話が途切れたのを見計らって、文林は声をかけた。

「小玉」

「なに?」

 彼女が自分のほうを向いたのを確かめて、文林は頭を下げた。

「その……先ほどの件だが、すまなかった」

「えっ、あんたなにかした?」

「いや、さっき、俺がやる仕事を代わってくれただろう」

 先ほど、文句をつけようとした気分は消え失せていた。小玉から引き継ぐかたちで、蘭英と話していたのだが、ほどなくして気づいたのだ。それは本来自分がやるべき仕事だということを。


 その事実は、文林を少なからず反省させた。

 自分は結局、意地を張って体調不良を長引かせたあげく、上官の仕事を増やしていたということになるのだ。


 文林の言葉に、小玉は目をぱちくりさせた。そんなことを言われるとは、まるで想像していなかったようだった。

「怒られるかと思ってた」

「なんでだ」

「いやね、ほら……『よくも、俺の仕事奪ったな!』みたいな」

「お前の中で俺は、どれだけひねくれてるんだ」

「あはは。でもまあ、いいのよ。あんた具合悪かったんだし、蘭英さんは知らない相手じゃないし」

「そうなのか?」


 そういえばやけに親しげだとは思っていたが、人見知りという言葉と無縁な小玉と、いい年をしたおばちゃんとの組み合わせならば、ああいうものだろうと思っていた。


「うん。初陣の頃からの付きあい」

 その言葉に、意外なほど驚きを感じた。彼女にもそんな時期があったのだ。

 知識のうえでは、小玉の経歴はすべて頭に入っている。当然初陣が何年前のことだったかも知っているはずなのに、これまでそんなことを意識していなかった。


 初陣のときの小玉は、どんなふうだったのだろう。それを聞きたいと思った。だが、ここで復卿が戻ってきたため、小玉の話は切り替わり、「無理難題」とやらについてとなった……明日、小玉が率いる部隊は、前線のほうに回される。


 文林の前にいる士官が顔をしかめた。

「きついな、それ……」

「うん、きつい」

 小玉がうなずいた。その隣にいる明慧は暗い顔をしている。おそらく自分も同じ顔をしているだろうと、文林は思った。

「今日、前のほうで戦った部隊の損害がかなり大きかったから、こうなるんじゃないかとは思ってたんだけどね……」


 小玉は、汁物に手をつけようとせず、持った器をじっと眺めている。


 小玉の率いる部隊は、新兵の比率のわりには驚くほど戦死者が少なかった。

 明慧による血尿が出るような訓練のたまものであることは間違いない。それに参加した文林としても、彼女のしごきのおかげで自分の生存率が上昇したと思っている。


 しかしもう一つ、小玉の指揮というのもそうとう大きい。

 演習中も感じたことだったが、彼女は兵士の動かし方がうまい。そして上手に動かせることに主眼を置いて、あらかじめ訓練する。実際血尿が出て、自分のことで手一杯だった文林でさえ、そのことがわかったくらいだ。


 一言ですますと、練度が高いということだ。

 だが、一言で終わらせられないものでもある。


 結果としてはその練度の高さが、前線に送り込まれるという事態を招いたのだが、少なくともそれは小玉のせいではないだろう。被害を極力おさえた彼女に、責められるいわれはない。それはわかる。


「明日は、何人生き残ってくれるかなあ……」

 小玉がぽつりとつぶやいた。


 赤々と燃えさかる炎を囲みながらも、文林の心境は炎ほど明るくはなかった。きっと彼女の心も炎と真逆の方向性だろう。

「……ま、やるしかないわ」

 小玉は手にした器に口をつけ、汁物を一気にすすった。

「……熱っ! あと塩辛っ!」

「なにやってんだい、お前さん」

「あー、だいぶ煮詰まってたしなー」

 明慧のあきれ声と、復卿の悪気なさそうな声が響く。

「薄めてよ! あるいは忠告してよ」

「悪いな、わはは」

 復卿はごまかそうという様子ではなく、むしろ本気でおかしそうに遠慮なく笑う。文林も我知らず口元をゆるめた。


 それで空気がほどよくかんし、明日に備えてさっさと休もうという雰囲気になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る