第39話 特技は記憶力

 そんなしょうぎょくを見て、驚いている者がいた。

 ぶんりんである。


 ――なんだあれは。


 しばしぼうぜんと立ち尽くすと、小玉がこちらを見た。そして相手の男と二、三言葉を交わしてからこちらへと向かってきた。

「いやー、通りがかってくれてありがとう。あの人に捕まると話長くて……まあ、知ってる人で、話短い人、一人しかいないんだけど」

 階級上がると話長くなるもんなのかな、あたしも気をつけんと、などとつぶやいている。

「あ、いやまあ……」

 動揺さめやらぬ文林は、あいまいに答えた。


「ああ、今の彼はね……」

 そんな彼を見て、小玉は今話していた相手のことに驚いているのかと感じたようだった。

しょう校尉だろ……ですよね。存じています」

 うっかり砕けた調子で話そうとして、慌てて口調を丁寧なものにする。人目がある。いつもはそんなことなど、意識しなくても切り替えができていたのだが。


「なんだ、知ってたの?」

 今度は小玉が驚いた顔をする。自実と自分たちは所属する衛自体が違う。だから知っているとは思わなかったのだろう。

「士官、将官の顔と名前は一とおり」

 そして、小玉が自実の下で短期間働いていたことも知っている。だから二人が会話していたことに関しては、意外性のかけらも感じていない。


「そりゃすごい」

「大したことでは……」

 珍しく心底感心した顔をする小玉に、いささか面食らった文林も珍しくけんそんした。

「いや、大したことだよ。味方の死体確認のときにすごく役立つもの」

 だが、感心の内容はとても微妙なものだった。そう来たか。いや、大事なことなのはわかる。 

「…………」

 とはいえ、それは紛れもない褒め言葉だった。

 そして文林は自分自身に戸惑っていた。微妙すぎる評価に、微妙な気持ちになっておかしくないというのに、自分はそうなっていない。


 むしろ、少し喜んでいる自分がいる。


 なぜなのか……考えて、ふと気づいた。自分は今初めて彼女から、具体的な事柄を褒められた。

 ――まさかな。

 それが理由なわけがないと、文林は自分に言い聞かせる。その文林の前で小玉は、なにかを思い出したのかどこか暗い顔をして、耳にかかるかどうかというくらいの短い髪をかき上げる。


 そう、文林を驚かせたその短い髪。


 昨日まではこんな長さではなかった。小玉の髪は元々短めだったが、今日の髪の長さは「短め」などという生やさしい代物ではない。男だってここまで短くないだろう。最初、小玉とは思わずどこかの従卒の少年かと思ったくらいだ。

 なぜいきなり髪を切ったのか。理由を聞きたかったが、質問する時機を逸した。それに、女が髪を切るなど、相当の理由があってのことに決まっている。 

 それを聞いていいものかどうかためらわれた。文林は、もやもやした気持ちを抱えたまま、小玉と肩を並べて歩いた。


 だが、周囲の反応にさすがに口を開かざるをえなかった。


「お、切りましたね髪」

「うん」

 事もなげに指摘するたいふくけいも笑いながら言う。

「いやあ、あんたが髪切ると、ああもう戦の時期なんだなあって感じしますね」

 まるっきり風物詩扱いである。

 文林はおそるおそる尋ねた。

「……いつも、戦の前は?」

「うん、切るよ」

 尋ねる文林に、小玉はさらりと答えた。

「……願掛けか?」

「えっ、あんたあたしにそんな可愛げ見いだしてたの」

「まさか」

「だよね」

 じゃあなぜ。そう聞こうとしたが、


「あ、小玉。悪いけど明日の件で書類……」

「はいはいなに? 印押しちゃうよー」

 めいけいが横から口を挟んできたために、それはかなわなかった。


 答えを求めてちらりと復卿に目をやると、意をんだ彼は肩をすくめて言った。

「楽だから、だとよ」

「はあ? なにが?」

「いや、髪短いと」

 かぶとをかぶっているときに蒸れにくいし、血をかぶっても流すのが楽だし、しらみの対策も楽だし……。

「そんな感じらしい」

 文林は目をむいて叫んだ。

「そんなことで!?」

 この時代、女の断髪はよほどのことがない限りありえないものとされている。文林には小玉の言い分が、よほどのこととはとても思えなかった。

「いや、それについては俺もそう思うんだけどね」

 復卿も苦笑いしている。

「そもそも最初に髪切ろうと思い立ったのはなぜ……」

「いや、初めて戦に行ったとき、たまたま髪短かったらしくて。それであまりの楽さに以後ずっと戦の度に髪切ってるんだと」

「最初は驚きましたが、なに、そのうち慣れますとも」

 泰がはっはと笑う。


 ちなみに、小玉の言い分は「どうせ生きてたらまた伸びるし、死んだら髪の長さなんて関係ないし」である。

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