第38話 死にたがらなさ屋

 戦までの日々を忙しく過ごすある日、しょうぎょくは廊下で立ち止まっていた。そしてぼんやりと、自分の部下について思考をさまよわせた。


 ――甘えているな、あたし。


 誰に、といえば旧来の部下たちに。


 周囲が楽しそうに見ているのをいいことに、ぶんりんとの関係をいいほうに持っていこうとはしない自分は、駄目な上官だろうと小玉は思っていた。

 でも、べつに文林が嫌いというわけではない。

 彼の優秀さはすごいと思うし、おかげで仕事が楽になったのはうれしいと思う。文林と言い合っているのが楽しいときもある……二十五回中二回くらいは。

 ただひたすらにそりがあわないのだ。その一言に尽きる。


 ――早いとこ出世してくれないかなあ。


 そうすれば文林は小玉の下から外れる。それが、両者にとってもっとも幸せな結末だ。

 幸い、彼は出世株だ。こっちも頑張って後押ししてやるべきだ。小玉はそう思っていた。そう、けっして嫌いなわけではないのだ。


 だから……彼が手元から離れるまでは、守ってやらなくてはならないのだ。

 そう、思っている。


 自分はどうやら、部下が出世してもあまり気にならない人間らしい。まるで他人に対するように、小玉は自分について評価を下していた。

 階級が上がって、昨日まで親しく話していた人間に急に冷淡にされたり、昨日まで邪険だった人間にすり寄られたり……小玉はそういう経験を腐るほどしてきた。


 そう……軍議のあとに呼び止めてきて、今目の前で自分に嫌みを言っている現在の同輩なんかが、その好例である。


 彼は以前、自分の上官だった。とても面倒見も、気持ちもよい人間だった。

 それがまあ、小玉がどんどん出世したら、こうである。

「……しかしこれは、貴官のような者にはわからんだろうがね」

「はあ」

 小玉は間の抜けた声で返事をした。馬鹿にされたと思ったのか、相手はふんと鼻を鳴らすと、小玉をにらみつけて去っていった。べつに馬鹿にしていないが、他にどう返事せよというのだろう。


「なるほどー」だろうか。

「そーですか」だろうか。


 あいにく、どうでもいいことに対して返事をひねることができるほど、小玉の頭の容量は大きくない。

 たった今終えたばかりの打ち合わせの内容を頭に定着させるので、ただでさえ頭を働かせているというのに。

 それどころか、「今超絶忙しいんであとにしてほしいんですけど」とか言わないだけ優しいと思ってほしいくらいだ。

 廊下に漫然と突っ立っていたこの時間で、どれだけのことができただろうかと思えば腹が立つので、なるべく考えないようにする。


 しかし相手自体には、多少の落胆以外の感情を覚えない。自身の元部下にどんどん出世されて、今にも追い越されそうになっていることは、そんなに焦るようなことなのだろうか。そう思いはするが。

 べつに寛大さを気取っているわけではない。最初は悲しかったし悔しかった。


 だが、あるときふと思ったのだ。

 仮に自分に階級を抜かされて喜ぶ人間がいたら、自分はどう思うだろうかと。


 例えばこんな感じである。

「いやあ、これで仕事楽になるよ。いや、楽になりますね。あ、これとこれとこれの仕事のやり方はこんな感じです。頑張ってくださいね」

 わーいわーいと出ていく後ろ姿は、想像だけでも、嫌みを言われるより腹が立った。というか、おう将軍あたりがすごくやりそうで困る。




 そういうわけで、小玉は嫌みを適当に聞き流せるようになった。大人になるってこういうことだと思う。

かん校尉」

 呼びかけられ、振り向く。嫌み第二弾かと思ったが、

「っと、しょう校尉」

 別の意味で面倒くさい相手だった。その相手がちっちっと立てた人差し指を横に振る。だ。

「今のはいけないよ。関校尉」

「なにが?」

「そこは、唇をみしめて屈辱に耐える振りでもすれば、相手のりゅういんが下がるところなのに」

 小玉は軽く笑った。

「そこまでするほど、付きあいよくないんで」

「まあ、私もそうだけど」

 ははっと相手……簫じつもさわやかに笑う。顔立ちは美男子とは言い難いが、普段から身にまとうさわやかさによって三割増くらい男前に見える得な人間だ。

 しかも、軍関係ではかなりの名門の出。あと、小玉と同年代の、いわゆる適齢期。下世話な言い方をすれば「好物件」である。


 人様のだんでなければの話であるが。


 とはいえ仮に既婚者でなかったとしても、小玉は自実に対して色目を使おうなどとは思わなかっただろう。恋愛については、色々な目にあっている。もういい加減懲りるべきだ。そもそも、自実の性格もいまいちなことだし。

「でも、関校尉には人間関係についても気をつけてほしいな。だって、自分の上官にはうまく立ち回ってほしいだろう?」

「そーですか」

 小玉は適当に相づちをうつ。また始まったよと思いながら。


 一応述べておくが、小玉は自実の上官ではない。逆の立場だったことはあるが、現時点では同輩である。

 それなのになぜ上官うんぬんという言葉が出るのかというと、自実いわく、「楽をしたいから」だそうな。


 自実はいわゆる名門の出だが、本人は軍人になりたくなかったらしい。死ぬのは嫌だからという、ある意味まっとうな理由からだ。しかし、父親は許さなかった。

 軍に入らなければ殺すと言われ、自実は渋々軍人になったのだという……激しい親子関係だ。


 現在も渋々軍人をやっていることを隠そうともしない。それなのにけっこう優秀だったりする。

 小玉と同年代で名門出身なのに同じ地位というと出世が遅いように思えるかもしれないが、それは単に小玉が異例すぎるだけだ。自実は、一般的に見ればそうとうな出世株なのだ。おかげで、彼もまた上の連中に嫌われていたりする。


 まあ、小玉よりましだが……というか、小玉が憎しみを一身に受けるようになったおかげで、こっちはだいぶ楽になったよあははとか言っている。なんだかいらっとくる。


 そんな死にたがらなさ屋(という表現があっていいのかどうかは知らん)だが、自実は下の者にはけっこう人気があった。

 自実は死にたくない死にたくないと常に言っているが、誰かを盾にして生き延びるとか、部下を置き去りにして逃げるというような真似は絶対にしない。

 それはべつに、いつもの発言が嘘だというわけではなく、そんなことをする奴は、長い目で見れば必ず死ぬからしないだけだという。

 だが、口当たりのいいことを言いながら、いざというときに逃げ出すような人間よりはるかにましだし、死にたくないから的確な指揮をするし、死にたくないから軍の秩序を守る。

 結果、彼の下は大変居心地がよかった……と、経験者である小玉は思っている。正直すぎるところも好感が持てた。

 だが、あの発言はいかがなものかと、今でも思う。


「私はね、死にたくないから軍人になったし、軍人として死にたくもない。で、死なないためには、優秀な上官の下につくのは一番だ。楽もできるし」

 というわけで、頑張って出世して。将来君の配下になるから。


 そう言われて肩をたたかれたのはいつのことだったか。二、三年くらい前の出征の際に、たまたま彼の下で戦ったときのことだったように思う。

 当時はあははそうしますよーとか冗談混じりに返していたが、最近、本当にそうなりそうで怖い。

 小玉の階級が上になった場合、彼は絶対に自分の部下になろうとするはずだ。まだ「やりそう」程度でとどまっている王将軍より性質が悪い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る