第35話 説明が大雑把

 さて、二人が到着したのは馬球場であった。

 馬術の訓練の一環として、軍では馬球がよく行われる。しかしぶんりんはこの経験がなかった。

 ただし馬に乗れないというわけではない。武術の訓練の中で、乗馬についても学んだ。

 だがそれはあくまで家庭教師に教わったものであり、要するに一対一での訓練しか経験がないのだ。


 それを聞いたしょうぎょくはこう言った。

「武器とかはそれでもいいけど、戦場は集団で動くから、馬術についてはせめて馬球の経験しておこうよ」

 発言に理があると思った文林も、この言葉についてはすんなりうなずいた。こういうところで無意味に反発しないあたりが、周囲にほんのりとあたたかい感情を抱かせるのであるが、彼がそれを知るのはもう少し先のことである。


 さすがにいきなり実践というのはいかがなものかということで、今日は小玉が試合をするのを見学することになっていた。それで文林は、小玉を待っていたのである。

「えっと、あたし説明下手だけど、馬球はこれで、これを打って、相手側のあれの中に入れるの」

「…………」

 本当に下手だった。

 だが言っていること自体は正しいんだろうなということはわかったので、文林は黙って頷いた。今日の彼は小玉に対して、幾分か心が広かった。


 なお、小玉の言う「これ」その一は馬球用のつえで、「これ」その二は球で、「あれ」は相手側の門である。




「じゃあ見てて」

 そう言うと小玉はひらりと馬にまたがり、中央に向かって駆けていった。そこには今日の馬球の面々がすでに揃っている。完全に遅刻である。

 説明が下手である他に、そういう事情もあってやたらと簡易な物言いだったんだろうなということも、文林は予想がついていた。それもあって、なにも言わなかったのである。


 小玉は、遅れたことに対して文句を言われているようだった。だが特に険悪な雰囲気にはならず、ほどなくして試合が始まった。


 文林は隅に座り込んで、様子を見守る。

 やはり見知っている相手には目がいくものだ。文林はなんとなく小玉を目で追うかたちで、試合運びを見守った。


 ふと、文林は背後に人の気配を感じた。相手が隠そうともしていないおかげで丸わかりなそれは、たいのものだった。隠そうともしていないというか、隠す技術を持っていないといったほうが正しいか。

「…………」

 振り向いて相手の姿を認めたのはいいが、かける言葉が見当たらなくて文林は黙り込む。

 他の同僚に比べて中身も見た目も穏やかな彼は、よくも悪くも文林にとって印象の薄い人間だった。職掌も文林と近い。

 だから無難に言葉を交わすことができる相手ではあった……今日以外は。


 先ほど小玉との話題に出てきただけに、彼になにを話せばいいのか、今日の文林は無難な言葉が見当たらなかった。

 そんな文林に対し、泰は不快そうなそぶりを見せなかった。のんびり笑って、彼のほうから声をかけてくる。

「やあ、始まってますね。小玉は、上手ですか?」

 

 なぜ、疑問形なのだろう。


 ふつうそこは「上手でしょう」などと、同意を求める言い方をするものではないのか……そう思いながらも、文林は聞かれたことに率直に返す。

「おそらく」

 確定ではない。文林は馬球を本格的に見学するのは初めてだ。だから彼女の技術がどれくらいのものなのか、正確に見定められる自信はない。だが馬を御する技術に関しては、巧みであるという評価を下すことができた。いつも乗っているのとは違う馬であることも含めれば、自分よりは確実に上だろう。

「やっぱり上手なんですねえ」

 泰はしみじみとしたように頷きながら、自身も腰を下ろす。隣に座られてしまったが、それを文林に気にさせない自然な動きだった。


「皆さん小玉が上手だって言うんですよね。私には何度見てもわからないんですけど、そんなもんなんですね」

「……なぜ、軍属に?」

 小玉とそれなりに長い付きあいだというのが疑わしい物言いに、文林は思わず問いを発した。答えにくいであろうことを言ってしまった……と悔いるより早く、泰は反応しにくい答えを返してくる。


「私ですか? 上官の不正の誘いに乗らなかったら、飛ばされました」


「……それは」

「あ、あんまり気にしないでください。上司の不正についてどこにも報告せずに異動したので、私自身いまいちいい人じゃないですよ」

「…………」

 文林はもう、なにも言えなかった。泰はのほほんと笑いながら、言葉を続ける。

「結果的にはよかったんですけどね。元上司は自滅しましたし、現状には満足してるんですよ。小玉は不正とかしない人なので」

「それはまあ、確かに」

 少なくとも、泰の元上司のようなことはしないだろう。それは文林ですら断言できる。

「ただ抜けてる人なのでね、うっかり大事をしでかしそうなのは心配です」

「……まあ」

 それも、断言できる。実際にしようとするかどうかは、別として。

「ですから目端の利く人間がね、周囲でよく見てあげる必要があるんですよ。でも私ですと、よく見てもわからないところがあるんですよね、これみたいに」

「これ」と言いながら、泰は目の前の光景を示す。終始相手に振り回されっぱなしだった文林も、さすがに察するところがあった。



 おそらく彼は、その役目を文林に任せたいということをほのめかしに来たのだろう……そう思ったところで、

「要するに、あなたに頑張ってほしいということです」

 ほのめかすどころか、明言されてしまった。



「…………」

 文林は再び言葉を失う。そんな彼をいちべつして、泰はこれ以上話を突き詰めようとはしなかった。

「まあ、考えておいてください。私はすごく期待してます」

 あっさりと話を終わらせ、再び馬球の観戦に意識を戻す。

「やっぱりうまいんですかねえ、私にはわからない世界だなあ」

 首をひねりながら、熱心に見ている。正直混乱しながらも、文林は泰の様子から感じることがあった。


 今のところは、泰と同様に自分にもわからない世界だ。

 だが自分は、その世界に足を踏み込むことができる。そしてわからないままでいることが、とても嫌だ。


 それは馬球自体についてのことではないと、文林はなんとなく察していた。それは文林の胸に、なんともいえないもやもやを招いた。

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