第34話 名付けのセンス
したがって当然のことだが、
もちろん、今日も。
――腹立つ。
という内心を
彼がそうしていると、なぜかやけに偉そうな人に見える……というのが周囲の率直な感想であるが、誰もそれを口に出そうとはしなかった。
だから文林は自分がどう思われているか知らない。知ろうとも思わない。
自分が人付き合いの上手な人間ではないということを、文林はよくわかっていたし、他者にもきっとそう思われているに違いないと思っていた。あえて確認するつもりも、改善するつもりもなかった。無駄なことはしない主義であるから。
「文林」
そんな文林に臆することなく声をかけてくるのは、当然小玉である。文林は目力にみなぎる
「遅いな」
最初からけんか腰の文林に対し、小玉の態度は穏やかだった。
「ごめんね、
文林は、肩すかしを食らったような気持ちになる。今日の彼女は売られたものを、無条件で買おうとはしないようであった。
「いつも乗っている馬、『甲』という名前だったのか」
「うん、で、この
「それは今聞いた」
甲、乙というのは、順番や序列を表す漢字である。要するに、一、二……という名前をつけられているようなものだ。
そしてもちろん、三、四……の順番に該当する漢字も存在する。純粋な興味で、文林は尋ねてみた。
「……『
「それはまだだね」
そのうち名付けに使うんだな……と思いつつ、興味を持ったこと自体は欲求を満たされたので、そのことについてまでけんか腰になろうとは思わなかった。
「命名はお前か?」
「そう。元々
「……甥?」
「実家の兄に名付けを頼まれたんだけど、あたしが当時書けた字が、最低限の数字以外『甲乙丙丁』しかなかったのよね。それで、もっとちゃんとした名前を、地元の人につけてもらうようにって断ったんだよね」
「…………」
文林は軽く驚いた。それが表情に出たのか、小玉がむっとした様子になる。
「なにその顔。あたしだって、常識的な判断はできます」
「あ、いやそのことじゃない。お前、もう少し色々な字が書けただろう」
小玉はほとんど読み書きができない。
今の時代、それは珍しいことではない。特に小玉は貧しい農村の出だという。識字率が限りなく低いであろう地で生まれ育った彼女が、文字をほとんど知らないのはむしろ当たり前のことだ。
それは文林もよくわかっている。だが同時に、今の小玉は少なくとも五十字くらいは読み書きができるということも、わかっている。
文林からしてみれば、五十字「だけ」ではあったが、前提がそうだったのならば「だけ」とは言えない。
「ちょっと頑張りましたから。独学だけど」
小玉が面はゆそうに笑った。
「よく頑張ったものだな」
率直な褒め言葉を口にする文林に、今度は小玉が驚いた顔を見せた。
「やっぱあんた、根は素直ね」
「おい、なんだそれ」
文林は、険のある声を出した。それに対して、小玉も
「なに人の言葉に、いちいちかりかりしてんのよ」
いきなり険悪な雰囲気になったが、むしろ今までの様子のほうがこの二人にとっては異常だったのだ。
なお、二人が同じ空間にいて穏便にすんだ時間の最長記録は、たった今のやりとりにより更新した。
「言っとくけど、泰だってあんたのこと、公平で素直だって褒めてたからね。あたしだけじゃないから、『素直』って思ってるのは!」
小玉の言葉に、文林は虚を
彼が黙っている間に、小玉は「人がせっかく褒めたのに」と
数瞬間前の
「そうだ文林。三日前の……」
「あ、ああ。新兵の訓練日程のことに関しては、もう提出している」
文林は条件反射で答えた。
「早いわね、お疲れさま……じゃあ行くわよ!」
「じゃあ行くわよ」で、がらりと怒りを取り戻した声をあげ、小玉は再びそっぽを向いて歩き始めた。文林もそのあとについていく。元々彼女を待っていた身なので。
小玉の背を見ながら、文林は彼女に対する見方がやや変わったのを感じていた。そして、自分の彼女に対する態度に、初めて少し反省していた。
そんな文林は先を行く彼女が、文林に対して同様のことを感じているというのを知るよしもない。
馬の命名からお互いの見方がやや変わった事柄であったが、後年小玉は、「丙」という漢字を、諸事情あって命名が保留されていた自分の甥の名前に使うこととなる。
考えようによっては、予定どおりになったといえる。
――早い段階で、適当な仔馬をあてがっておけばよかった。
なお実子より可愛がった彼の命名について、文林は終生地味に悔やんだ……というより、この件で妙に罪悪感を抱いたため、よけいに彼を可愛がったという面もある。絶対に文林のせいではないのだが。
ちなみに
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