第33話 もらった南瓜はこう使う

 ここで話は数か月前――ぶんりんが軍に入ったあとではなく、「前」に――にさかのぼる。

 話題の新人・しゅう文林氏がしょうぎょくを嫌うに至った、それなりに正当なきっかけについてである。


 その日文林は、城下を一人そぞろ歩いていた。

 特に目的もなく歩くなど、無駄を嫌う文林には珍しいことではあったが、なにやらくさくさした気持ちだったのだ。

 その気持ちの理由は、いつもと違い街の様子に落ち着きがないのが、皇帝の行幸のせいだとわかっていたからだ。


 文林は「皇帝」を想起させる事柄が嫌いだった。とはいえそれは公言できるようなことではなく、家の中でも口に出せるようなことでもなかった。


 だからその気持ちを発散させるために、この日の文林は「そぞろ歩く」という動作を選択したのだ。


 目的がなかったせいで、それほど人気のないところにも文林は足を運んでいた。そしてその結果、数名の男に絡まれて、薄暗い路地裏に連れ込まれそうになった。


 さてそんな事態に陥った場合、人の行動は大体三つに分類されるものと考えられる。


 一、大声で助けを呼ぶ。

 二、とにかく逃げようとする。

 三、ひたすら抵抗する。


 だが、このときの文林の場合、そのどれにもあてはまらなかった。

 そもそも彼は慌てすらしていない。こういうことは初めてではなかった。そこらの女より整った顔立ちをしている彼は、似たような状況に何度か遭遇していた。そしてそれらすべてを解決してきた。

 だから、胸中はこのようなものになる。


 ――馬鹿が。


 文林は心の中であざけった。誰をといえば、もちろん自分をこの場に連れてきた男どもを。

 目の前の獲物が従順に従ったことに、有頂天になっている馬鹿。もうすぐその体を意のままにできると信じて疑っていないことが、手に取るようにわかる馬鹿。

 あまりにも馬鹿すぎて、こちらの心が躍り出す。

 文林は機嫌よく問いかけた。

「ところでお三方、私が男であるということは、ご承知で?」

 自分を女と間違えてちょっかいをかけてきたのなら馬鹿だし、男と知ってなお絡んできたのならば大馬鹿である。

「もちろんよぉ」

 他、下卑た言葉が続くが、それは聞き流し、文林は微笑んだ。えんぜん、という言葉が似合う表情だった。


 よろしい。

 一点の狂いもない馬鹿。たたきのめすのに不足はない。


 文林は、馬鹿には生きている価値はないと思っている。ちなみに、この場合の「馬鹿」は、「変態」と限りなく同義に近い。


 ――ごうの衆。どうとでもなる。


 幼少の頃から、変態に絡まれ続けた文林である。相手がどの程度の技量の持ち主か、見ればわかるだけの目は備えている。

 そして大抵の相手をどうにかする手腕も。なにせ武科挙に合格し、あと数か月後には軍に入ることが確定している身だ。

 いっそ愉快な気分で、文林はこぶしを握った。数瞬後に、目の前にいる出っ歯の男が地に伏すことを、彼は疑っていなかった。

 くさくさした気持ちを解消するための道具が、自主的に目の前に現れてくれた。そのくらいの気持ちですらあった。


 しかし、

「はい、そこまでですよ!」

 ――ごっ!

「ぐへっ!?」

 こういうかたちで地に伏すとは、まるで思っていなかった。


 突如上がった鈍い音、品のない悲鳴、自分のほうに倒れてくる出っ歯。なにが起こったのかはわからなかったが、出っ歯に寄りかかられるのはご免だったので、驚きつつも体を横にずらしてかわす。


 よって出っ歯は、なんの障害もなく母なる大地へと抱擁を果たした。


だい!?」だの、「兄貴ー!」だのと叫びながら、出っ歯に駆け寄るすきっ歯と八重歯を横目に、文林は足下で動く物体に目を留めた。


 ごろーん、ごろろーんと右に左にと揺れる人頭大のそれは……。


南瓜かぼちゃ……?」

 まさしくそのとおりであった。

 


 南瓜。

 秋の味覚の一つ。じっくり煮込めば甘くて美味。

 固い野菜の代表格であり、鈍器としての適性は他の野菜の追随を許さない。直撃すれば、人一人こんとうさせるのは容易たやすいだろう。下手をすれば息の根だって止められる。そんな便利な野菜である。



 だが南瓜は、空を飛ぶという点での適性を持たない。


 当然、誰かが投げて、出っ歯にぶつけたに決まっている。順当に考えれば、それは出っ歯が昏倒する直前に響いた声の持ち主だろう。


 文林は視線を巡らせ、路地の入り口に立つ人影を認めた。

 光を背にして立っているせいで、特徴はなにもわからないが、とりあえずこの人物が南瓜をとうてきしたことに間違いはなさそうだ。なぜって、片腕になんだか丸いものを抱えているからだ。


 多分あれは、南瓜その二。


 文林と同様に、すきっ歯と八重歯も人影に気づいたようだった。うつぶせに転がる出っ歯をあおけにすると、二人は立ち上がって、路地の入り口へ向かう。文林のことはもはやすっかり無視していた。べつにそれで問題ないはずなのだが、握った拳のやり場を思うと少しむなしい。


 文林は二人の背を追い掛けた。勢い、路地の入り口に近づいたため、立っている人間が先ほどよりよく見えた。女だ。

 日に焼けていることと、いささか髪が短いこと以外、とりたてて特徴はない。それよりも、脇に抱えた南瓜のほうがよほど印象的だ。


 無表情でこちらを見据える女に、すきっ歯と八重歯が詰め寄る。

「おうおう姉ちゃんよぅ」などと、まるで独創性のない台詞せりふを吐きながら。

「俺たちの邪魔しやがって、いい度胸してやがんじゃねぇか」

「なにしやがるんだ、この……」

 女がぴくりと動いた。あ、投げる。

 と、思いきや。


「ほいっ……と」

 ――どっ!

「ぐ」

 女は一気に距離を詰め、南瓜を八重歯の腹にめり込ませる。

「なっ……!」


 すきっ歯は驚きながらも、小刀を抜き女に斬りかかろうとする。女は慌てず騒がず、頭上に掲げた南瓜で刃物を受け止め、すきっ歯のかんを容赦なくり上げた。

 前のめりになったところで、小刀が刺さったままの南瓜が頭にさくれつ。すきっ歯は声もなく倒れた。

 ――強い。

 文林はそう思った。女は、確実に戦闘方面でなんらかの訓練を受けている。南瓜で戦っていてもそれがわかる。正直言って、南瓜がなくても男たちに余裕で勝てただろう……南瓜を置いて戦えばいいのに。

 女は、南瓜に刺さった刃物を抜いて投げ捨て、文林に向かってつかつかと歩みよった。

 軽く身構える。だが、女は文林を軽やかに無視して、その横をすり抜けた。思わずその動きを目で追うと、出っ歯の横に転がる南瓜を拾い上げた。


 そろそろ覚醒しかけていたのか、出っ歯はかすかにうめいていた。その頭を蹴飛ばして再び夢の世界へ送り込むと、両脇に南瓜を抱えた女は文林の前に立った。身長が文林と、ほとんど同じだった。

「怪我は?」

 文林は、なんだか無性に腹が立った。


 今の文林の立場は、唯々諾々と男たちに路地裏に引きずり込まれたあげく、自分と大して背丈の変わらない女に助けられたということになる。


 しかも、南瓜で。


 あえて馬鹿どもの懐に飛び込んで叩きのめそうとしたのだと主張したとしても、その事実は変わらない。文林の立つ瀬がないではないか。


 はっきりいって八つ当たりである。だがそれを自覚する余裕もなく、いらちがそのまま口をついて出た。

「余計なことを……」

 とげとげしい言葉をぶつけられた女は、一瞬無表情になったあと、眉を寄せた。それは不快感というより、困ったという感じであった。

 ふむ、というように首をかしげると、口を開いた。

「はい、これ」

 言葉と同時に差し出される右手……の南瓜。思わず受け取ると、ずしりと重い。女は、文林に南瓜を持たせると、

「しっかり持ってて」

 と言うやいなや、空いた手で文林の襟元をつかみ、一気に引き寄せる。同時に、女の顔も勢いよく近づく。

 当然顔と顔が接触するが、重なったのは唇……などではもちろんなかった。


 ――どごっ!

 接触どころか、衝突という言葉のほうが正しい勢いで、おでことおでこがごっつんこである。


「……!」

 とてつもない衝撃に、目の前で光がばちばちと点滅した。文林はたまらずけ反ったが、女がいまだ襟元を掴んでいるせいで後ろに倒れ込むことは免れた。


 出っ歯に南瓜が直撃したときよりも激しい音がしたにもかかわらず、あっぱれなことに文林は意識を失うことはなかった。のみならず、手にした南瓜を取り落とすこともなかった。

 もし落としていれば、文林は額だけではなく、足の甲にまで深刻な打撃を受けていたであろう。

 文林はくらくらする頭をしっして、女をにらみつけた。その憎らしいほど涼しげな顔からは、なんらつうようを感じ取れない。

「な、なにを……!」

 する、と言い切る前に、女は、真顔で答えた。


「ちょっとむしゃくしゃしてたのよ」

「は……?」


 一瞬、痛みさえも忘れた。女は、文林から手を離すと、すたすたと歩み去る。文林が呼び止めようとすると、それを感じ取ったわけでもないだろうが、ぴたりと立ち止まり、振り返った。

「いつもだったら気にしないんだけどね。そういう点ではごめんね」


 なにを言っているのか、さっぱりわからない。


 女は言い捨てると、今度こそ振り返らずに去っていった。文林は、それをぼうぜんと見送った。女の姿が完全に見えなくなると、文林は視線を手に持つ南瓜にゆるゆると落とした。ふつふつと怒りがわいてくる。

 文林は手に力を込めた。

「あの女……!」

 ぎり、と爪が食い込む南瓜の皮には、幅の狭い穴が開いている。薄暗さに慣れた文林の目は、それをはっきりととらえていた。

  

 あの女、傷物になったほうを押しつけやがった!


 それどころではない怒りに後押しされ、文林は南瓜を力一杯投げた。

 倒れている誰かに直撃したが、それが出っ歯かすきっ歯か、それとも八重歯かなど、文林には心からどうでもいいことだった。


        ※


 文林は、その事件を忘れようと、積極的につとめていた。そのあって、記憶はかなりおぼろになってきていた。

 しかし、それが一気に色鮮やかになったのは、南瓜の女――文林の上官として引き合わされた武官を目にしたからだ。

 そう、文林の初めての上官は、理不尽で理解に苦しむこと天災のごとき、あの南瓜の女に他ならなかった。

 腹が立つ。だがそれは、数か月前の頭突きに対するものではない。

 そこまで根に持つ性質ではないし、あとで冷静になってみれば文林にしても、八つ当たりじみた発言をしたのだから、一概に相手を責められないことはわかっている。


 しかし、しかしだ。


 関小玉という上官。その、明らかに初めて出会った者を見る目。

 ――この女、忘れてやがる……!!



 もうこの時点から、文林の小玉に対する心証は最低値を記録していたのだ。むしろ三日は、よくったほうだともいえる。

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