第32話 最悪の相性

 ぶんりんしょうぎょくの部下になって、十日ほどが経ったころのことである。


 たいは茶を一口すすって、おもむろに口を開いた。

「始める前にこうなったらどうしようと悩んでいたことが、実現したら案外大したことがなかったりする……そのようなことはありませんか」

 めいけいは彼をいちべつし、また目線を元に戻した。

「……ああ、あるかもしれないね」

 同じ名字の二人が見つめる先には、なにやら言い合っている男女。


 この度配属された新人は、ちょっとした大物だった。なにしろ上から数えたほうが早いという順位で武科挙に合格した俊英である。

 身もふたもないことをいえば、武科挙に受かった頭でっかちより、たたき上げの老兵のほうが尊敬されるということが多いのだが、出世株には間違いない。

 階級だって最初からかなり上のほうである。そしてこれからどんどん上がっていくであろう。

 そういう新人は古参の人間にとってとにかく扱いにくい。もしや監査の一環なのではと懸念する者もいた……その懸念は、文林の顔を見た瞬間、あーなるほどねーと氷解したが。

 だが、文林との顔合わせが終わったあとも、皆の心に居座り続けた懸念もあった。それは、小玉と新人の関係がこじれたらどうしようということである。

 基本的に一言多い小玉は、嫌われる者にはとことんまで嫌われる人間である。そして、彼女を極端に嫌う人間は、優秀で、きょうと階級が高い者がほとんどであった。

 さて、ここで周文林氏の仕様を振り返ってみよう。一言でまとめると、「十代で武科挙合格」である。

 文句なしの優秀さ。そして、そのような自身に対する文林の矜持はそうとうなものであろうと、馬鹿でも予想できる。地位だって、小玉ほどではないが、年齢を考えるとそうとう高い。


 見事に揃ったこの条件に、彼らは文林が小玉への怒りを噴火させる日が、遠い未来ではないと確信していた。


 結論を述べれば、見事にそうなった。

 ただそれは、小玉が悪いわけではない。文林も悪いわけではない。


 文林は多分に規則主義的なところがあった。新人としてはまったく問題のない対応である。むしろ新人が規則を把握していなければ、そちらのほうが問題である。

 ただ文林は明文化されている規則にすべて目をとおし、それらをすべて頭にたたき込んでいるというところが、他より頭抜けているところだった。

 とはいえ、現行の規則だってかんぺきなものではない。むしろ規則とは常に見直しを要するものだ……実際に出来るかどうかは別として。

 だからそれを絶対的な基準として動くとどうなるか、推して知るべし……よく言えば真面目。悪く言えば頭でっかち。


 一方、小玉のほうは生粋の叩き上げである。

 色々なものを、頭ではなく体にたたき込まれている人間だ。

 規則や規律は大事にするものの、その中で立ち回ることや、その中を逸脱しすぎない程度に逸脱するというようなことも、平気でする。

 それも頭で考えているわけではなく、感覚的にやってしまう……よく言えば柔軟。悪く言えば大ざっぱ。


 そういう人間同士を混ぜたらどうなるかは、考えるまでもない。

 とっても危険なことになる。



 書類に対して厳密さを求める文林。

 ある程度簡略化してしまう小玉。


 多少遅くなっても正規の手続きで申請することを求める文林。

 緊急度によっては口約束で動く小玉。(後で手続きはする)


 ゆで卵の殻のむき方は縦からの文林。

 ゆで卵の殻のむき方は横からの小玉。



 ……一部、性格にも規則にもまったく関係ない事柄も含むが、この二人はとにかくあわなかった。

 小玉の名誉のために述べておこう。彼女は最初からこのような態度をとっていたわけではない。上官として、おおむね分別ある振る舞いをしていた。

 ついでに文林の名誉のために口添えしておく。彼もまた部下として申し分ない態度をとっていた。いんぎんともいえるが。最初はお互い遠慮はしあっていたのだ。

 だがそれも短期間で消え去り、周囲の予想は見事に当たった。


 周文林氏、三日で大噴火である。

 だが、誤算も生じた。それは小玉側も噴火したことである。


 小玉という人間は、どこか泰然とした人間だった。

 けっして喜怒哀楽が判然としないわけではなく、よく笑うし、たまに怒ったりもするが、激して我を忘れるということは誰も見たことがなかった。

 よっぽどのことがない限り、自分から人を嫌うようなことをしない。

 また相手に嫌われたとしてもあまり気にしないというのも、寛大というより冷めていると言ったほうが正しい。

 つまり、小玉は「むきになる」ということがない人間なのだ。そんな彼女を熟知している明慧らは心底驚いた。


「うっさい、うっさい!」


 まさか、小玉が誰かに食ってかかる日がくるとは思ってなかった。その結果、お互いがお互いの言葉を売り買いして、ぞうごんが飛び交うようになり、今では……。


「あんたの前世、出べそ!」

「そういうことを言う奴の前世のほうが出べそなんだ」

 やたら低次元な方向に突っ走ってしまっていた。


 これで業務に障りが出るようならば立派に問題だが、彼らは仕事をきちんとするし、口げんかに他人を巻き込まない。だから最初ははらはらしていた周囲は、今ではぬるい目で二人を見るようになっていた。


 なんというか、微笑ましいのだ。


 もし、文林だけが小玉を嫌っていたならば、多分こうはならなかっただろう。職場の空気は悪化しただろうし、なにより彼がここに溶け込むこともなかったはずだ。

 常の彼は、美麗で知的で冷静という、取っつきにくさを人の形に整えたような人間だ。

 だが、小玉と卵の殻があーだのこーだのと、命を懸ける勢いでめているところを見れば、そんな要素は霧散する。そこで話しかけてみれば、案外親しみやすい人間だったりするから不思議だ。

「不仲というのは……けっして悪いことだけではないんですね」

 泰はしみじみとつぶやく。


 もしかしたら小玉はこれを意図して、あえて不仲を演じているのではと言う者もいる。それくらい、小玉のはうまくいっていた。


 当事者二人はうまくいっていないが。

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