第29話 相応な出世

 首を回すと、ごきごきと音が響く。それに顔をしかめながら歩き、しょうぎょくは直属の上官の部屋の前に立った。


かん小玉です」

「入れ」


 部屋に足を踏み入れ、小玉はおやと目を軽く見張った。部屋にいるのは二人。

 小玉の直接の上官である、べいこうせんと、さらにその上官であるおうびん


 口を開いたのは王将軍だった。

「おお。すごく元気なさそうだな、関」

「ああ、そりゃもう、仕事押しつけてくださった将軍閣下のおかげですよー」


 軽口に軽口で返す上官と部下に、孝先がため息をついた。

「関。お前からもなにか言ってやってくれないか」


 小玉はぱちりと目を見開いて、小首をかしげる。

「なにをですか?」

「この方は、お立場を考えてくださいといくら言っても、自分から出向いてくる」

「すみません。無理です」

 小玉はにべもなく断った。


「あたしも将軍と似たようなもんですから。自分のことを棚に上げるなんて悪いこと、できません」

「まずお前が自分の態度を改めたら、王将軍にもの申せるだろう。もう校尉なんだぞ。気をつけろ」

 校尉という言葉を聞いて、小玉は軽く肩をすくめた。

 その階級で呼ばれることに、小玉はまだ慣れていなかった。校尉の前のりょすいのときも、その前のたいせいのときもそうだった。

 それは小玉がいつまでも初々しいからではない。単に階級にむ暇がないのだ。出世が速すぎて。


「……今でも思うんですが、あたしの出世、なんかの間違いじゃないですかね」

「間違いであってほしいよ、私も」

 嫌そうにつぶやく孝先に、王将軍が笑い出した。




 当代の皇帝が即位してから、五年が経っている。

 のちにてんほうていと呼ばれる彼は、とかく戦争をしたがる皇帝だった。大規模なものから小規模なものまで、すでに四肢の指の数では足りない回数の派兵が為されている。

 そんな中、数多くの人間が死に、そして、少数の人間が武功を立てた。


 戦時中は、平和な時代よりも出世する機会が多い。大半はその機会をつかみ取らずに死んでいくが、それまで兵卒だった者が軍功によって出世するという事態はままある。

 また、戦の度に高位の武官も誰かしら死んでいくので、補充しなければならない。そういう事情で、ここ五年の間、軍部内の人事は大規模な地殻変動に巻き込まれていた。


 その変動のもっとも大きなうねりの中にいたのが、小玉だった。


 従軍する度に際だった功績をあげた彼女は、あれよあれよという間に階級が上がって、いつの間にか数百人の兵を率いる立場になってしまった。まるで絵に描いたような出世物語である。

 平民出、しかも女の自分が弱冠二十歳で士官級に出世している事実に、小玉は常々、この国は末期ではないかと思っている。


 数年前、今の自分を予想できていたら……まあ、予想していたとしても、他に選べる道はなかったのだが、もう少し身の処し方について考えたのではないかな、と小玉は思っている。

 この国では、文官でも武官でも女性の登用が認められている。

 だが、数は圧倒的に少ないし、出世においても男性に比べるとそうとう不利だ。特に武官はその傾向が顕著である。


 歴史上、皇帝の后妃がそれなりの規模の軍勢を率いたことはあるが、これは例外といっていい。


 女性でも補給など後方支援関係に身を置く場合はそれなりに出世する機会はあるが、それでも将官級まで出世したことはない。

 前線で戦う女性武官は数自体が少ないのでなおさらである。出世したとしても校尉がせいぜいで、それも、かなり年齢がいってからの話である。


 それを考えれば、小玉の「二十歳で校尉」というのは、けたちがいの出世速度だということがわかる。男性だって、ここまで急激に出世することはめったにない。

 実際、小玉と同じ年代の校尉は何人かいるが、それらは皆家柄がいいか、武科挙という選抜試験を通過した者かのどちらかだ。




 実は初の女性将官誕生なるかと注目されている小玉だが、本人はそのことについて、あまり喜んでいない。確かに、自分の仕事が評価されたこととか、下世話な話だが給料増額とかは嬉しい。だが、自分の立場という観点から考えると、けっこう微妙なものだ。

 小玉は貴族とか、武科挙出身者からはかなり嫌われている。叩き上げの小娘が、自分たちに比肩し、そして追い抜いていくのだから無理もない。


 また平民出、女性武官からは、多くの支持を得ているが、全員が全員というわけではない。そして、そういう連中のしっは、一番根が深い。小玉はかなり楽天的なほうだが、時々これがどうしようもなくこたえる。


 大体、周囲に年下の人間がいないという事実が、どうも納得できない。小玉はまがりなりにも士官なので、側近と呼ぶべき存在がいるが、小玉より年下の者は一人もいないのだ。

 しかも、大半が元同輩だったり、元上官だったりする。べつに誰かに対してお姉さんぶりたいわけではないが、正直やりにくいなーとか思うことはある。

 もっとも、やりにくいといっても、多分部下のほうはもっとやりにくかろう。

 よくついてきてくれるものだと、小玉は部下に対して感心している。よほど人間ができているんだろう。もっとも、人間ができていない奴は、最初から小玉に耐えられるわけがないのだろうが。


 しかし、人間関係をぎくしゃくさせる変則的な存在って、もしかしたら一番軍に必要ないのではないだろうか……小玉は自分の出世に対して、もう少し年齢を気にしてほしいと考えていた。だが、


「なに、あと数年すれば、めぼしい武将がかなり死んで、お前以外にも若手が台頭するはずだ。もう少しの辛抱辛抱。頑張れー」

 王将軍は、堂々と不謹慎な発言をしてはっはっと笑う。


 そんな彼は、今でも小玉に目をかけてくれている数少ない高級武官の一人である。

 だが馬鹿みたいに急な出世と、それに伴う面倒くさい仕事や人間関係が彼のせいだということを考えると、時々ちょっと恨めしい。


 少数のお偉いさんに相手にされずとも、直属の上官にはそこそこ目をかけられていれば、小玉の軍隊生活はもっと気楽だった。

 後方で、補給関係で全然目立たずに仕事をやって、戦死しなければじわじわと出世して、退役する際にどこかに畑でも買ってのんびりやる……そんな人生が約束されていたに違いない。

 小玉が数年前、軍で生きていくと決めたときに思い描いていた未来だった。


 なのに、その道から見事に逸れている。


 さすがに今から元来た場所に戻る――退役することもできない。やろうとしたら、大騒ぎになるだろうし、小玉自身もそれなりに責任感というものを持ち合わせている。やろうとは思わない。できない。


 とにかく本当に、年不相応な出世なんかするもんじゃない。

 小玉はおそらく今、軍の中でもっとも年功序列を愛している存在である。

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