第23話 突破作戦

 夜が近づいていた。


 木々のはざを、しょうぎょくは進む。物音を立てぬよう気をつけながら。

 目と耳をこらし、気配を探る。自覚はあまりなかったが、小玉は目も耳もよいと周囲によく褒められていた。今こそその実力を発揮するべきときだ。

 中腰で進むのは中々つらい。いっそ地面にいつくばったほうが楽かもしれないとは思ったが、それはそれでひるに襲われるのが怖い。まれると血が止まらないというのは、現状死活問題になりかねない。足に布を巻いたのは、それを防ぐためだった。


 遅々と進む小玉だったが、やがて彼女ははたと足を止めた。人の気配がする。


 ――敵? 味方?


 小玉はごくりと唾をんだ。今この瞬間の判断で、自分の生死が決まる。その実感が、胸をわしづかみにする。

 小玉はさらに慎重に人の気配のほうへ進み……、


「――誰だ!」


 いきなり首に剣を突きつけられて、のどの奥でひっと声をあげた。これでおしまいなのだろうか。目が勝手にれそうになる。

 しかし、

「小玉……?」

 厳しい声は、聞き慣れた……頼もしい口調に変わった。突きつけられた剣が離れていくのに合わせて、顔をあげる。

「……めいけい

 どうやら今日の小玉の運勢は、まだらはまだらでも、だいぶ幸運の色の割合が多いようだった。




 抜けそうになった腰をしっして、小玉は明慧についていった。その先には数十名の男たちがいた。

「関? お前なんでここに?」

 その中で一番偉い人――おう将軍が驚いた顔を見せる。

 将軍ともあろう者が一兵卒の顔を覚えているのは珍しいことではある。しかし彼の場合、前の上官の沈中郎将から小玉を預かったという立場であったため、見知った間柄だった。


 小玉は自分のいた部隊が襲撃を受けたことを、手短に話す。みるみるうちに王将軍と周囲の表情が険しくなった。

「となると、そっちに合流するのは無理か……」

「はい。今頃は壊滅していると思います」

 空気が重くなる。小玉の責任ではないが、思わずうつむくと王将軍が肩をぽんとたたいてねぎらいの声をかけてくる。

「いや、まあ助かった。知らずに向かってたら、自殺行為だった」

「ありがとうございます……」


 頭を下げたところで、がさがさという音が近づいてきた。

 びくっとして小玉が振り向くと、自軍のかっちゅうを身につけた男が数名、こちらに向かってきた。苦々しげに報告をする。

「まずいですよ、将軍。だいぶ囲まれてます」

「包囲網が完成する前に、なんとか脱出しなきゃ、全滅しますね」

 結果的に、小玉が森に逃げたのは、間違いだったことになる。とはいえ、味方に出会えてほっとした小玉は、今はまだ後悔していなかった。


 王将軍が心底困ったふうに頭をばりばりとかく。

「薄いところ突くか……でも人数少ないんだよなー。あと武器。下手すりゃこれはこれで全滅するぞ……」

 とはいえ、迷っている時間はない。そのことを王将軍ははっきりわかっているだろうし、小玉ですらよくわかった。


 その場にいる人間に、今度は焦燥が漂う。


「最初に何名出して……いや、それだと……」


 ぶつぶつとつぶやく王将軍を見ながら、小玉も頭を回転させる。皆が生き残る方法を。

 しかしいくら考えても思いつかなかった。

 そんなことは不可能なのだという結論が、頭の中で膨らむ一方だった。


 その結論が、小玉にささやきかける。

 ――じゃあ、別の方法は?

 それならば……ある。


 思いついた。いや、思いついてしまったというべきか。

 小玉はその方法を、頭の中で何度かなぞった。

 それはとても効果的で……とても酷薄なものだった。確実に人の死を要するという点で。

 それを口にするのは、さすがにためらわれた。罪悪感で身が押しつぶされそうになるから。

 小玉は辺りを見回した。誰かが他になにか思いついてくれないだろうか、そんな願いにも似た気持ちで……しかし誰からも声はあがらない。

 小玉はもう一度、自分の思いついた方法を隅々まで検討する。穴があるかどうか……穴は確かにあった。だがそれを埋める方法も思いつけてしまった。

 提案するには恐れがあった。だが……今小玉が思いついた「穴を埋める方法」は、ほんの少しだけ罪悪感を軽減させるものであった。


 そうであったから、小玉は口を開くことができた。


「あ、あたし」

 なるべく感情を込めないように言おうと思っても、言葉は勝手に上ずった。そんな自分を叱咤しながら、小玉は言葉を続ける。

「あたし、考えがあります。将軍」

 小玉のあげた声に、視線が集まる。それを受け止めて、小玉はもう一回言った。

「考えが、あります」

「……よし、言ってみて」

 王将軍の許可は、この人の懐の深さとともに、本当になにも別案がないことをも示していた。



 小玉は口を開く。話すにつれて、聞いた者たちからあきれやら、恐怖じみた感情やらを向けられるのを感じた。



 小玉が話し終えると、王将軍は再び頭をばりばりとかいて、うなるように言った。

「極悪非道だなあ」

「はい、そのとおりだと思います」

 話した本人も異論はなかった。最初からわかりきっていた。


 小玉の提案は、一言で言えば捨て駒作戦だった。言っていることも単純だ。


 まず全員で、完成する前の包囲網の一番厚いところに突っ込む。突破したところで、数名を残して戦わせ、残りの者は逃げる。それだけ。


 相手の不意を突く可能性が高いため、全体の生存率は高い。

 しかし、残った数名の生存率は限りなく低い。というか、確実に死ぬ。

 全員死ぬ「かもしれない」、あるいは誰か助かる「かもしれない」――そういう作戦とはまた趣が違う。

 単純であっても、それを実際にできるかどうかはまた別の話なのだ。だって誰だって、残される数名になんてなりたくない。



「で……」

「残る役目のうちの一人は、あたしがやります」

 王将軍に誰がやるんだと言われる前に、小玉は言い切った。一人ぶんの犠牲は自分がなる。そう決意したからこそ、小玉はこの作戦を口にできたのだ。それに……。


 ――置いていかないで!


 先ほど見捨てた女性兵の声が聞こえる。置いていった自分が、置いていかれる立場になる。因果応報としては、見事に完成しているではないか。

「あたしだったら、小さくて見にくいから夜に紛れて、見つからないかもしれないし。それに命だけは助かるかもしれません。ほら、女だから」

 その言葉に、周囲が小さくざわめく。小玉の言わんとしていることは、えんきょくではあったが、誰にでも伝わった。


 慰み者になってでも生きたいかどうか……今の小玉にはわからない。

 ただ死んだほうがましだと思ったら、そのときに死のうと思った。


「だから、あたしが残ります」

 小玉はつとめてぜんと言った。そのつもりだった。

「でも、一人じゃ足りないから……だから」

 しかし、その声は震えていた。本人だけが、それに気づいていなかった。


「そういうことなら、あたしも残る」

 ここで声をあげたのは、明慧だった。小玉の肩に手を置いて、決然と言い放った。そしてにっと笑う。

「女のほうがいいんだろう?」

 そんな彼女は……最高に男前だったが、この場でそのあたりのおかしさを突っ込む者は誰もいなかった。

「明慧、あんたまで、そんな……」

「あたしあんたに、しゅう教えてもらう約束してるからさ。一緒に死んだら、あの世で教えてくれないかい」

「……うん」

 なんかもう、明慧は徹頭徹尾男前だった。

 王将軍は何度かうなり……結局他になにも思いつかなかったのか、一言もらした。

「やるか」

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