第21話 本物の彼氏は、一応いた

 かなりの満足感を腹に抱えて、二人はお目当てのものを入手するべく市を歩いた。なんでもない話をしながら、雑然と並ぶ店の間を歩く。


 先に「それ」を発見したのは、めいけいだった。


「……あ」


 彼女の反応はごくわずかなものだった。もしかしたら雑踏の音で紛れてしまったかもしれないという程度のつぶやきを、しょうぎょくははっきりと聞きとった。

 明慧の顔を見上げ、その目線の先を追い……明慧より目がいい小玉は、明慧に声をあげさせた存在をばっちりと目撃してしまった。そして明慧と同じ音を発する。


「あ」


 その呟きに、今度は明慧が小玉の顔を見下ろす。しまったという表情が彼女の顔に浮かぶ。しかし今回彼女はなに一つ、悪いことをしていない。

「明慧、なんでそんな顔するの」

「いや、だって……」


 二人が見つけたもの。それは、若い娘と連れだって歩く、小玉の彼氏の姿だった。

 ちなみに娘さんは、そうとう可愛い。

 

「もしかしたら、妹さんかなにかかもしれない……よね」

「そうかもね」

 そう答えつつ、小玉は彼が両親存命の一人っ子であることを知っていた。

 ちなみにそれは、彼自身から聞いた話ではない。れんたちから得た「結婚相手候補情報網」によるものだ。向こうから勝手に提供されたわりに、精度は抜群のものだった。

 それに、だ。

 今日彼は小玉と休みが重なっていないはずだ。だから今、小玉は明慧と一緒にいるのだ……そのことに明慧も気がついたのか、口を閉ざした。


 様々な観点から検証するまでもなく、真っ黒である。


「行こう、明慧」

 促す小玉に、明慧が暗い声を出した。

「……ごめん」

「なんで? 謝ることないよ」

 小玉は朗らかな笑みを顔に浮かべた。それは作り笑いではなかった。


 つらいだとか、悲しいだとか。


 こういう場合に抱いてしかるべき感情は、小玉の胸に訪れなかった。

 ただ存在していた感情が一つ、去っただけ。彼に対して抱いていた、あたたかな気持ちがすっと消え、そのあとにはなにも残らなかったのだ……自分でも意外なほど。

 彼に対して、自分はなにか言うべき権利を持っていない。相手側も同様に。そういう認識で、頭の中が書き換わった。



 かくして、小玉の初めての彼氏(元許嫁いいなずけ除く)は、特筆するべき行事を小玉との間になに一つ設けないまま、小玉の心から消えたのだった。



「戦に行く前でよかったわ。これも一種の身辺整理かな」

「違うと思う……」

 どういう表情を作ればいいのかわからないといった様子ではあったが、それでも明慧が突っ込んできた。

「そういえばまた遺書、用意しとかないとね」

 以前上官に書いてもらったものがあるが、あれから色々と立場が変わったので、書きかえる必要がある。

 誰に書いてもらおうかと考えていると、明慧がぼそっと言った。

「小玉はさ……」

「ん?」

「……後方の人のわりには覚悟がすごくできてるよね」

「そう?」

 小玉は今、このえいで、一兵卒として後方支援のための業務に従事している。女性武官で前線に出る人間の大半がそうであるように。

 以前のように、上官の従卒になるようなことはなかった。独り立ち、ということなのだろうと小玉は思っている。

 いろんなことを一人で決めなくてはならない……そう思った小玉が決めたのは、「きちんと鍛えよう」ということだった。だから明慧に師事しているのだ。

 その明慧が言う。

「体鍛えるのにも余念がないしさ」

 後方関係の人間は、初めて小玉が配属されたところほどではないが、あまり鍛錬に身を入れることはない。他の仕事で忙しいからだ。もちろんそれはそれで大事なことなので、小玉も否定はしない。

 ただ小玉のように私的な時間を割いてまで、体を鍛える人間が他にいないというだけだ。

「だって、いつどうなるかわからないじゃない。死んじゃうにしたって、悔いは少なめにしたいよね」

 要するに自己満足の一環である。だから小玉はそれを他者に強要しようとは思わなかった。

「あたしは、小玉だったら、あたしと同じところでもやってけるんじゃないかと思う」

 明慧は女性兵としては珍しく、前線で戦う要員の一人だ。男の中でもひけをとらず……それどころか、そうとう将来を嘱望されている一人だ。

「あはは、ありがとう」

 お世辞を受け止めるときならではの、謙遜けんそんを込めた笑みを返すが、明慧は存外真剣な表情をしていた。

「本当だよ。そうとういい線行くと思う……配置換えとか、考えないのかい?」

「ええ?」

 予期せぬ提案に、小玉は驚いた。明慧は真摯な声で続ける。

「あたし、あんたと戦ってみたい」

「明慧……」

 小玉は、少なからずきゅんとした。


 本日、小玉は彼氏との距離が離れた代わりに、明慧との心の距離がぐっと縮まったことになる。

 そしてそれで満足してしまったあたり……人生最初の彼氏と駄目になったことは、絶対に小玉にも責任があったといえよう。



 とはいえ、急に配置換えお願いしまーすと言って聞き入れられるほど、甘い世界ではない。そもそも小玉自身がそんなことを口にしなかった。言われてすぐほいほい気持ちを変えていい問題でもない。

 だから今回の出征では、元々の職責をまっとうし、国に戻ったらよくよく考えてみることにした。

 ……無事戻ってこられるならばの、話である。

 そしてそれは、いきなり難しくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る