第20話 本物の彼氏は、一応いる

 距離を詰める一環として、しょうぎょくめいけいに稽古をつけてもらっていた……今日のように。

 これについては明慧と近づきたいからというのが主目的ではない。最近伸び悩んでいて、本当に困っていたからだ。


 快く相談に乗ってくれた明慧は、初めて小玉の動きを見たとき、一言こう述べた。

「お前さん、最近急に大きくなったとかしてないかい?」

「……えっ、どこが? 胸?」

 ちょっと期待を込めて声を弾ませる小玉に、明慧はいやいやと顔の前で手を振る。

「そうじゃなく……もしかしたら、そこもだけど。なんだか、体をもてあましている感じがあるんだよねえ、見たところ」

「そうかな? そうかもだけど」

 指摘に小玉は小首をかしげた。最初の配属先では確かに急激に背が伸びたが……、

「前のところだと木に印つけて測ってたんだけど、あんまり変わりなかったと思うんだよなあ」

 前回の印は、いつも小玉の頭すれすれのところをさまよっていた気がすると小首をかしげる小玉に、明慧はどういう表情を作ればいいのかわからない、といった様子で指摘してきた。


「それ……木も伸びるんじゃ……ないか?」

 語尾が疑問の形だったのは、明慧が優しいからだろう。

「……あっ」


 木の生長速度と、小玉の成長速度が一致したならば、印が小玉の頭あたりでずっとさまよい続けるのも無理はない。しかも使っていたのは、生長が早いくすのきだった。しかも若木。

 この時代、衣類が体にぴったりしていないため、そういう変化がわかりにくいというのもあったが、それにしてもうかつだった。


「怒られてもいいから、柱にしとけばよかった!」

「そうだね、今度は柱にしとけ」


 なお後年、小玉は義理の息子の身長を測るために、国宝級にお高い柱に傷をつけて盛大に怒られることとなる。




 閑話休題。

 



 そういうわけで、いちべつで小玉の状態を見抜いた明慧にくっついて、小玉は今日も仕事終わりに自主訓練に励んでいる。

 明慧自身、誰かに教えることは自分の勉強にもなるからと、特に負担に感じているようではなかった。

 でも、好意をありがたく思うことと、甘えっぱなしということはまた違う話だ。

 小玉は次回のお出かけで、明慧に麺を奢ろうとひそかに決意していた。

「でも、いいのかい?」

「なにが?」

 不意に問いかけてきた明慧に、小玉はきょとんと小首をかしげる。

「彼氏と一緒じゃなくて」

「あー……」

 小玉は間延びした声をあげた。


 現在明慧と彼氏彼女のような距離の縮め方をしている小玉だが、実をいうと本物の彼氏が、いる。

 繰り返す、彼氏がいる。




 こちらに来てから半月ほど経ったころ、近くの部隊の青年から交際を申し込まれた。

 その時点で「この人、誰?」と思うくらい、相手を認識していなかった小玉だったが、少し考えてお受けすることにした。

 ちょうどしん中郎将のことについて、気持ちに区切りがついたころ合いで、これも一種の巡り合わせだと思ったのだ。



 それに元許婚いいなずけが以前、自分に言った言葉を思い出したからでもあった。


 ――俺は俺のことを、愛してくれている人と結婚したい。


 振られた身としては、いい気持ちのする言葉ではない。だが一概に否定するのもどうかと思った。自分のことを好きな人と付きあうということも、大事な恋愛のかたちなのだろう。

 肯定するのも否定するのも、それを経験してからのこと、そう思ったのだ。

 少なくとも、告白してきた相手のことを嫌だと感じなかった。それで充分なのではないかというわけで、小玉はさくっと交際に踏み切ったわけだった。



 そういうふうに始まりが熱烈ではない交際ではあったが、案外悪くない感じで進んでいる。小玉にとって「悪くない」というのはかなり大事なことなので、要は順調ということである。


 ただ若干ぐだぐだ感が漂うのも事実で、現に小玉は明慧のほうを優先しがちであった。

 ここは明らかに問題であったが、自分から作ろうと思って作った友人と、特に作ろうと思っていないのにできちゃった彼氏が同時期に発生したら、気持ちはやはり前者に傾きがちだった。


 むしろ後者を優先したら、それはそれでやはり別の問題になっただろう……ただ、さっさと結婚できそうではあるが。


 そんな小玉を心配しているのは、友人である明慧である。彼女は、自身に交際歴がないため、かえって気にかかるらしく、こう言ってくるのだった。

「お前さん、自分の彼氏とも距離を縮めたほうがいいんじゃないか」

「んー……でも、次の休み一緒じゃないし」


 幸か不幸か――そういう表現が適用される時点で、すでにいかがなものかな状態であるが――小玉の次回の非番は、彼氏の休みとは重なっていなかった。


「あ、そう。じゃあ麺だ」

 細かいことを考えない明慧らしく、それであっさり話は打ち切りになった。


        ※


 麺屋の入り口をくぐり、小玉は明るい声を出した。

「おっちゃーん、また来たよー」

「『にいちゃん』って呼べや!」

 すかさず返ってくる声は、ちょっと鋭い。湯気のせいで相手の顔は見えないが、多分表情も渋いものなのだろう。


 適当な卓を選んで席につくと、すぐにどんぶりが小玉と明慧の前にどん! どん! と置かれる。

 これは常連がよくやる「いつもの」というやつではない。単にこの店、料理がこれ一品しかないため注文をとらないのだ。

 丼を引き寄せながら、小玉は店主を見上げた。

「おっちゃん、そんなに若いの?」

「だから『にいちゃん』だって。このよう三郎さぶろう、まだ二十代なんだぞ。ぎりぎりだけど!」


 小玉は明慧と一瞬目を合わせ、お互い同じことを思っているのを察した……てっきり三十代も半ば過ぎだと思っていた。あとこの人、楊三郎って名前なのか。


「あー……じゃ、もう結婚してるの?」

 発せられた小玉の問いは、まるで差し水みたいに店主の勢いを消沈させる。

「してねえ……」

 してないのか。そしてそれをそうとう気にしているのか。

「じゃあ……ごめんね。これからは『にいちゃん』って呼ぶ」

「その話の流れで呼ばれるのも腹立つなあ……もういいよ『おっちゃん』で」

 そう言って、店主はなんだかよろよろと鍋のほうに戻っていった。なんだか申し訳ないことをした気がする。


 明慧のほうを見ると、腹を抱えてくっくっと笑っていた。二人のやりとりが、なにやら笑いのつぼに入ったらしい。小玉は構わず、先に食べ始めた。

 ちょっと猫舌の明慧は、少し冷めるまでどうせ食べられないのだ。そしてそんな割り切っている小玉を、明慧もよしとしている。

 小玉は明慧の猫舌を気にして待つことをしない。そしてそのために、明慧も自分の猫舌で他人の食事が遅らせるのを気にかけることはない。

 

 こういう距離感は、なんだかいいなと小玉は思う。


 やがて冷めてきた麺を口に運び、明慧がうまいと微笑む。

「間違いなく適当に作ってる感じならではのこのうまさって、なんだろうなあ」

「お値段以上じゃない、って感じがいいよね」

「……おい、聞こえてるぞ、そこの女子!」

 褒めているつもりで、全然褒め言葉になっていない二人のやりとりを店主が聞きつけ、苦言を呈してきた。


 二人は「ごめんなさーい」と誠意なく唱和する。そんな二人に小鍋を持って近づいてきた店主が、ほいほいっというかけ声と共に、ゆであがった麺を二人の丼に足してくれた。

「……ほれ、おまけだ」

「え、いいの? そんなことしておっちゃん、食べていけるの?」

 素直に「おっちゃん」呼びを再開する小玉に、店主がむすっとした表情を向ける。

「これくらいじゃあ死なねえ」

 小玉は肩をすくめた。そんな彼女に、店主がふと声を低いものにした。


「……お前さんたち、来月の戦に行くんだろ」


 小玉と明慧は顔を見合わせた。彼の言うとおり、二人は近々行われる派兵の要員として数えられていた。

「無事に帰ってこいよ。そしてまたうちの麺食いに来な」

 そういうふうに言ってにかっと笑う店主は、顔はともかくにじみ出る雰囲気が男前だった。


 だが、小玉と明慧はなんともいえない表情を作る。

「なんか……そういうたぐいのことを言われると、かえって無事に帰ってこられなそうな気がするんだよねえ」

 明慧が大まじめに言うと、店主が嫌そうな顔をした。

「人の好意をなんだと思ってやがる。もうお前らうちに来なくていいぞ」

 その言葉に、小玉がぱっと表情を明るくさせる。

「あ、そうそう、そんな感じの物言いくらいが、無事に帰ってこられそう」

「べつに今の、お前らのために邪険な物言いしたわけじゃねえぞ。混じりけなしの本音だからな!」



 店主とそんなやりとりをしながら、二人は麺を平らげた。立ち上がりながら、小玉は明慧に笑いかける。

「今日はお代、あたしが持つよ」

「なんで?」

 明慧が小首をかしげる。ちょっと可愛い。

「ん? いつも稽古つけてくれてるから」

「あれは自分のためにもなるし、いいのに」

「そうも行きませんって。大した金額じゃないけど、これくらいはさせて」

 やりとりを聞いている店主がここで、「こういう場合は、黙って奢られたほうがいいぞ」と口を挟む。助け船ありがとう、おっちゃん。

「んー、気持ちはありがたいけど。お礼だったら他のことがいいな」

「なに?」

 意外な返しに小玉が小首をかしげると、明慧はどこか言いにくそうに口を開いた。


「それ、教えてほしい」

 それ、と言って明慧が指をさしたのは、小玉の持つ財布だった。


「財布がどうしたの?」

しゅう……をさ、それ、小玉がやったんだろう?」

「うん、そうだけど……」

 手慰みに刺した、簡単なものである。

「あたしは、そういうの教わったことがなかったから、少し、興味が、あって……」

 明慧らしくなく、歯切れが悪い物言いだったが、なんとなく察するところがあった。小玉はぱっと笑った。

「わかった。じゃあ帰りに針と布買って帰ろう。糸はあたしが使ってるの分けるよ! 最初は簡単なのからやっていこうね」

「うん、ありがとう」

 そうして、二人はそれぞれ自分の食べたぶんの代金を、微笑ましそうにしている店主に支払って店を出た。

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