第二部
第18話 プロローグ 軍人としての覚悟
昨日、人を殺した。
手についた汚れがゆっくりと流れていくのを、小玉は見下ろしていた。泥や血が、視界の中にゆっくりと線を引いて、そしてゆらめく。
眺めながら、思う。
――意外に、動揺が残ってないな。
自らについて、小玉は冷静に分析する。しかしそれは、事態を
以前の自分ならば、きっと取り乱していたに違いない。
これは一つの成長の
「おお、見事にしょぼくれてるな」
不意に後ろからかけられた声に、小玉はぱっと振り返る。そこに上官の中でも特に位の高い存在――
「ああ、いいよいいよ、座ってな。俺も座るから」
「あっ、はい」
押しとどめられ、再びすとんと腰を下ろした。
言行一致の王将軍は、よいせと声を出しながら小玉の隣にしゃがみ込んだ。そして小玉の顔を見て、言う。
「自分の発言が生み出した結果は、重いだろ?」
「…………」
小玉はわずかな間、反応に迷う。相手の言葉を否定したいわけではない。けれども今思いついた言葉より、もっと適切な表現があると思った。ただそれを思いつくだけの知恵はなかった。
だから、おうむ返しのかたちで、認めるしかなかった。
「……重い、です」
言い切ったところで、ぐうっと
まだ汚れが落ち切れていない手を口元に当てて、小玉はそれを必死にこらえた。王将軍はその様子を見て心配するでもなく、淡々と言葉を紡ぐ。
「関、
小玉は口元をおさえたまま、王将軍の顔を見た。相手の言葉の真意を
そんな彼女に、王将軍は説明を付け足す。
「君はこれからも重い結果を背負い続けられるのかを、聞いてるんだ」
「…………」
今小玉が答えなかったのは、相手の真意がわからなかったことによるものではなく、わかったことによるものだ。
要するに、ためらった。
そんな彼女に、王将軍は問いを重ねる。
「どうする? 今なら放り出せるぞ? それとも少し考える時間が欲しい?」
「……いえ」
最後の問いに対して、小玉は否定を発する。続けて、「放り出しません」と。
すると王将軍は、再び小玉の顔を
「なんで捨てないの?」
それはからかうでもなく、責めるでもない、純粋に不思議だといった語調だった。
「一度捨てても、あたしは重石の近くから離れられないからです。いつも目に入る、きっと……」
「背負ったほうがまし? 目に入らないから?」
「そうかもしれないです」
実際にどうなのか、そこまで自分を深く掘り下げきれてはいないが。
しかしもし王将軍の言うとおりだったら、自分は大した外道だなと思い……今更だよなと、思い直した。自嘲するでもなく、真顔で。
「わかったよ」
王将軍が立ち上がりながら言う。
「帝都に戻ったら、配置換えをする。関、今度から
「はい」
小玉は素直に
「一つ、覚えておけ。君は女で、これから大多数の男と接する」
「……はい」
「めちゃくちゃ苦労するぞ。そして俺は、そういう点では助けないから」
小玉は苦笑する。
「そのほうが、あたしが助かるからですね」
王将軍は、「ばれてるのか」と頭をかき……ふとその手を止めて、真顔になった。
「ただ覚えておけ。昨日死んだ連中も、これからお前が接するのと同じような『男』だった」
「……はい」
「『男』が敵なんじゃない。お前の接し方が、これから『男』を敵にする。あえて敵を作る生き方をお前はするんだ。正直いって、そっちのほうが
彼の言うとおりだろうな、と思ったが、小玉は前言を翻すつもりはなかった。
いつの間にか王将軍の呼びかけが、「君」から「お前」に変わったなという、とてもささやかなことのほうがずっと気になった。
「まあ、死ぬまで頑張れ」
「はい、死ぬまでは頑張ります」
さっきと同じように、相手の言葉を借りるかたちで返事をして、小玉は去っていく王将軍を見送った。そして再び手を川の水に浸し、今度はばしゃばしゃと洗った。
昨日、人を殺した。
敵だけではなく、味方をも。
そして今日、双方を殺し続ける道を選んだ……死ぬまで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます