第二部

第18話 プロローグ 軍人としての覚悟

 昨日、人を殺した。




 かんしょうぎょくは川辺にかがみ込み、両手を水に浸す。緩やかな流れのそれは、冷たくはなかった。

 手についた汚れがゆっくりと流れていくのを、小玉は見下ろしていた。泥や血が、視界の中にゆっくりと線を引いて、そしてゆらめく。

 眺めながら、思う。


 ――意外に、動揺が残ってないな。


 自らについて、小玉は冷静に分析する。しかしそれは、事態を他人ひとごとのように感じているからではなかった。自分が現実から逃げないまま、冷静さを保てていることに、小玉はかすかな驚きを覚えていたのだ。


 以前の自分ならば、きっと取り乱していたに違いない。


 これは一つの成長のあかしなのだろうか……そう考えたところで、口元に笑みが浮かぶ。それは苦笑を微量に、ちょうを大量に含んだものだった。


「おお、見事にしょぼくれてるな」


 不意に後ろからかけられた声に、小玉はぱっと振り返る。そこに上官の中でも特に位の高い存在――おう将軍の姿を認めて、慌てて腰を上げるが、

「ああ、いいよいいよ、座ってな。俺も座るから」

「あっ、はい」

 押しとどめられ、再びすとんと腰を下ろした。


 言行一致の王将軍は、よいせと声を出しながら小玉の隣にしゃがみ込んだ。そして小玉の顔を見て、言う。

「自分の発言が生み出した結果は、重いだろ?」

「…………」

 小玉はわずかな間、反応に迷う。相手の言葉を否定したいわけではない。けれども今思いついた言葉より、もっと適切な表現があると思った。ただそれを思いつくだけの知恵はなかった。


 だから、おうむ返しのかたちで、認めるしかなかった。


「……重い、です」

 言い切ったところで、ぐうっとのどの奥からこみ上げるものがあった。それはえつであり、吐き気であった。

 まだ汚れが落ち切れていない手を口元に当てて、小玉はそれを必死にこらえた。王将軍はその様子を見て心配するでもなく、淡々と言葉を紡ぐ。

「関、背負しょった重石おもしを放り投げることができるのは、一回目のあとだけだ」

 小玉は口元をおさえたまま、王将軍の顔を見た。相手の言葉の真意をみ取ることができなかった。

 そんな彼女に、王将軍は説明を付け足す。

「君はこれからも重い結果を背負い続けられるのかを、聞いてるんだ」

「…………」

 今小玉が答えなかったのは、相手の真意がわからなかったことによるものではなく、わかったことによるものだ。


 要するに、ためらった。


 そんな彼女に、王将軍は問いを重ねる。

「どうする? 今なら放り出せるぞ? それとも少し考える時間が欲しい?」

「……いえ」

 最後の問いに対して、小玉は否定を発する。続けて、「放り出しません」と。

 すると王将軍は、再び小玉の顔をのぞき込んで、問いかけた。

「なんで捨てないの?」

 それはからかうでもなく、責めるでもない、純粋に不思議だといった語調だった。

「一度捨てても、あたしは重石の近くから離れられないからです。いつも目に入る、きっと……」

「背負ったほうがまし? 目に入らないから?」

「そうかもしれないです」

 実際にどうなのか、そこまで自分を深く掘り下げきれてはいないが。

 しかしもし王将軍の言うとおりだったら、自分は大した外道だなと思い……今更だよなと、思い直した。自嘲するでもなく、真顔で。


「わかったよ」

 王将軍が立ち上がりながら言う。

「帝都に戻ったら、配置換えをする。関、今度からちょうと同じように、前線組に入ってもらう」

「はい」

 小玉は素直にうなずいた。

「一つ、覚えておけ。君は女で、これから大多数の男と接する」

「……はい」

「めちゃくちゃ苦労するぞ。そして俺は、そういう点では助けないから」

 小玉は苦笑する。

「そのほうが、あたしが助かるからですね」

 王将軍は、「ばれてるのか」と頭をかき……ふとその手を止めて、真顔になった。

「ただ覚えておけ。昨日死んだ連中も、これからお前が接するのと同じような『男』だった」

「……はい」

「『男』が敵なんじゃない。お前の接し方が、これから『男』を敵にする。あえて敵を作る生き方をお前はするんだ。正直いって、そっちのほうがつらいと思うんだけどなー」

 彼の言うとおりだろうな、と思ったが、小玉は前言を翻すつもりはなかった。

 いつの間にか王将軍の呼びかけが、「君」から「お前」に変わったなという、とてもささやかなことのほうがずっと気になった。


「まあ、死ぬまで頑張れ」

「はい、死ぬまでは頑張ります」

 さっきと同じように、相手の言葉を借りるかたちで返事をして、小玉は去っていく王将軍を見送った。そして再び手を川の水に浸し、今度はばしゃばしゃと洗った。




 昨日、人を殺した。

 敵だけではなく、味方をも。

 そして今日、双方を殺し続ける道を選んだ……死ぬまで。

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