第15話 恋心の終わり

 帝都に帰還して、十日ほどのことである。


「……と、いうことがありました」

 しょうぎょくは一段落ついたころ、しん中郎将にしゅくあんとのやりとりを語っていた。


 陣を立て直した後、何度かの出撃があり、戦は実にあっけなく終わった。だがその勝敗は、実にあいまいなものだった。なんとなくこちらが優勢? という感じである。ろくに準備もしていない戦争なのだから、むしろ負けなかっただけありがたいというべきであろう。それで戦死したほうはたまったものではないが。


 ただ一度の襲撃の後、小玉は武器を手にとって戦うようなことはなかった。だが、別の意味で戦いのように忙しかった。襲撃自体は決して被害が大きかったわけではないが、その被害の大部分が後方支援の作業に従事する者たちであった。

 したがって、残った者にそのしわ寄せが及んだのである。先にも述べたが小玉は家政能力に関しては、本職の主婦ならばともかく、そこらの男連中には負けない。よって、一気に任される仕事の量が増えた。


 忙殺。

 そんな言葉がもっとも相応ふさわしい。関小玉十六歳。敵の凶刃ではなく、野菜の皮むきに死すのかと真剣に思ったほどだった。

 結果、後方で「皮むきなんて無視し隊」および「それでも我らは皮むき隊」の二派からなる分裂、熾烈な争い、そして友情の芽生えがあったことなど前線の者は知らないだろう。彼らの知らないところで、後方もまた戦っていたのである。

 ちなみに、その時仲よくなったおばちゃん士官こそが、この戦における小玉の戦友である。


 それほど忙しかったから、叔安に言われたことで落ち込むことはなかった。だが、落ち込みはしないが、なぜ叔安が怒ったのかということは、純粋に疑問で、時たま考え込んでしまった。本人はひそかに悩んでいるつもりだったし、事実共に働く者たちも、その生態上、人の悩み事には鋭いはずのおばちゃん士官たちですらも、小玉が悩んでいることに気づいた者はいなかった。

 また、叔安とかん小玉の関係が更に悪化したことに気づく者もいない。元々が悪すぎるのだ。百の険悪が百三の険悪になったとしても、他人にとってはどうでもいいことである。


 だが、沈中郎将は違った。戦場から帰り、戦後処理が一段落つくと、小玉を呼び出して言った。

「なにか悩んでいるのならば言え」

 小玉は困った。よりによって、彼に気づかれてしまうとは。

「…………」

 しかし言われたからには、隠そうとは思わなかった。この人相手に隠しおおせるとは思えない。本当は自分で解決しようと思っていた事柄だったが、こうなった以上は仕方がなかった。



 小玉が語り終えると、沈中郎将は言った。

「それならば、私も見ていた。あれはよく戦ったな」

 褒められた。だが、その事実は小玉の心を浮き立たせない。

「……あたしは、あそこで首をあげるべきだったんでしょうか」

「それを決めるのはお前だ。首級をあげるべきだったと思うか?」

「いえ、全然」

 首を取ろうとしていたら、多分自分は他の兵に殺されていただろう。

「だろうな。ならばなぜ、叔安が怒っていたかわかるか?」

「横取りに対して怒らなかったから……」

「そうだな」

「ですが中郎将さま」

 小玉は声を上げた。

「あたしは、それを横取りじゃないと思うんです」


 それこそが、小玉の悩んでいたことだった。小玉は敵の体を完全に放棄した。放棄したものを誰がどうしようと、放棄した人間がどうこう言える問題ではない。

 むしろ、そんな激戦区の中で首を取るために、一瞬でも無防備な姿をさらそうなどという勇気を発揮した人間こそが、首を持っていくにはふさわしいのではないかと思う。


 そういう趣旨のことを語り終えると、沈中郎将はしばし考え込んでから口を開いた。

「小玉。お前は宿舎に住んでいるな?」

「は?……はい」

 あまりにも唐突な質問に、裏返りかける声を必死におさえた。

「ごみは出るか」

「ええ、まあ」

 むしろ、ごみの出ない生活ってありえるのだろうか。いや、この方ならその気になれば実践できてそうで、少し怖い。

「お前はそれを、決まりどおりに焼き場で燃やすだろう? そうしなくては共同生活をしている以上、支障が出るからな」

「はい」

 まるで関係なさそうな話。しかし、沈中郎将は最後にこう言った。

「ところが、ごみを焼かず、焼き場に放り投げておくだけの者がいたとする。それを猫や烏が荒らして、一帯が散らかってしまった。一緒に暮らす者はどう思うだろうな?」

「あっ……」

 小玉は手を口に当てた。沈中郎将の言わんとすることが、わかった。


 沈中郎将はなおも言葉を続ける。

「相手にはなにかやむを得ない事情があったのかもしれない。しかし、捨てた塵を猫や烏が食い散らかすのは仕方がないと言って、反省の態度を見せなければお前はどう思う?」

「ああ……はい、わかりました。すごくわかりました」

 小玉はこくこくとうなずいた。自分がまずいことをしたのだと、初めて認識した。


 無欲は美徳である。だがそれは立てた手柄を放棄する理由にはならない。放棄した手柄を誰かが横取りする。すると、横取りするようなろくでもない輩が出世し、人の上に立つのだ。

 それは長い目で見れば、軍全体に悪影響を及ぼす。

「だから、手柄は立てた本人に帰属させなくてはならない」

「はい」


 もっとも、実際の問題は塵のたとえよりも複雑だ。散らかった塵は掃除をすることができるし、猫や烏は追いはらってしまえるが、戦の場合はその限りではない。

 様々な利害と派閥関係が混じり合って、正道を貫くことが生命を脅かすことさえある。小玉にも、沈中郎将にもそれはわかっている。

 叔安にしろ、戦っている最中で首を取ることが不可能だったことくらいはわかっているだろう。そして、今更、あれは自分の功績だと名乗り出ることは難しいことも。

 叔安の場合、目撃者として小玉の代わりに抗議の声をあげるくらいはしそうではあったが、今回それを為さなかったのは、おそらく事態が拗れることを怖れた直属の上司に止められたからだろう。沈中郎将はそう言った。

 どうあっても、異議の申し立ては出来ない。だが、略奪されたという理不尽を、感情の上で許さないということは出来るのだ。だから叔安の怒りは、出来ることをしなかったことに対するものだ。

「……横取りさせるのが駄目ってことは、手柄を立てた本人が誰かに譲るというのは?」

「時と場合によるな。だが、放棄するよりはましだ」

 そうか、と小玉は頷いた。もう一つ頷く。そして決意した。


「叔安に謝ってきます」

「そうか」

 沈中郎将は手を伸ばすと、小玉の頭をでた。



 話がまとまったところで、沈中郎将が不意に居住まいを正した。

「ところで小玉」

「は、はい」

 その妙な迫力に、小玉は気おされる。なにを言われるのだろうか。自分はなにかやっただろうか。そんな不安をひとみに宿し、沈中郎将を見つめる。

「私は……どうやら、異動することになりそうだ」

「え……」


 全然予想していなかった事だった。


「えーと、どこにですか?」

「まだ出来てはいないが、新設される軍にということになっている」

 それは……。

「お……めでとう、ございます?」

 新しいという事がよい事であるとは限らない。小玉はそれが栄転なのかそうでないのか、まるでわからなかった。疑問形のことぎという、もらってもうれしくないであろうものを受けた沈中郎将は、注意しなかった。苦笑いを口元に浮かべている。

 どうやらこの人事は、小玉の言祝ぎ同様、微妙なものであるらしい。

「そこで、だ。小玉」

「はい」

「お前は連れて行かない」

 小玉は絶句した。


 なぜ、という疑問を発する前に、沈中郎将は淡々と説明した。


 今回の戦いを受けて設立が決まった軍は、隣国・こうとの国境付近の防衛を目的とした守備軍である。したがって、とてつもなくへんなところに設置される。新設の軍、しかもほとんどが練度の低い兵で構成されるため、全体の統制を取るのは難しい。しかも、女性が皆無である。

 そこに小玉を連れて行くのは危険である。異物に対して人間は過敏に反応する。兵が落ち着かないことにより、練兵に支障が出る可能性が高い。

「士気の問題だ。だからお前には残ってもらう」

 小玉は呆然と沈中郎将を見つめた。完膚無きまでの正論だった。そんなことない、と抗弁できるはずもない。

「お前のことは、衛のおう将軍に頼んである。安心しろ、信頼できる方だ」

 そんなことはどうでもいいと言いたかった。子供のように駄々をこねたかった。自分も連れて行ってくださいとわめきたかった。

 だが、そうすれば迷惑を被るのはこの方だ。

 それでもこらえきれない感情が、漏れ出る。

「あたしは……邪魔ですか?」

 沈中郎将が断言する。

「そうなるな」


 ――泣くな。


 小玉は奥歯をみしめた。変な希望を持たせようとしない、これは沈中郎将の思いやりだ。自分がそう思いたいだけかもしれないが、少なくとも「邪魔ですか」などと困らせるような質問をする小玉よりは、ずっと誠実だった。


 きっと、もう会えないのだと思った。


 小玉と沈中郎将の地位は、水たまりと湖くらいかけ離れている。従卒のように直接仕えているからこそ毎日のように顔を合わせているのだが、本来ならば目通りすることは滅多にない相手だ。ましてや、所属する軍が変わってしまった日には……明日小玉が結婚するという話のほうがまだありえる。

 出会ってまだ一年にも満たない。恋を自覚して、数か月。

 自分の恋はかなうことなく終わるだろうと思っていたが、まさかこんなにも早く、あっさりと終わってしまうとは思わなかった。終わるのはよい。


 だが、せめて。


「あ、あたし……」

「小玉」

 一言、名を呼ばれただけで、言葉を封じられた。

「それは、言わなくていい」

 なにをとは言わない。だが、小玉にはわかった。沈中郎将が自分の気持ちを知っていて、そして当然のことだがこたえる気がないということを。

 深くうつむいた。視界がにじむ。

 ――ちくしょう。

 るいせんに悪態をついた。


 言ったとしても振られることはわかっていた。だが、言って振られるよりも、なにも言わせてもらえずに振られたことのほうがずっとつらかった。

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