第14話 朝までは長く

 夜半過ぎ。遠く、悲鳴が聞こえた。

 小玉はびくりと顔を上げた。

「来い」

 沈中郎将が立ち上がり、天幕を出る。小玉は震える手足をしっしながら、その後を追った。


 外は暗くはなかった。


 火矢がまるで雨あられのように降ってくる。それがなにかに引火して炎を上げる。明るい……いや、まぶしいとさえいえた。天幕の中のほの暗さに慣れた目が、一瞬驚く。

 どこかで、襲撃、襲撃という絶叫が聞こえる。そんな中、沈中郎将はやりを携えて堂々と歩んだ。彼と同じように武装した麾下きかの者たちが、その側を固める。

 慌てて武装する者、とりあえず武器を持って走る者、派手にすっ転ぶ者などが行き交う中で、その姿はとても目立った。


 敵にも、味方にも。


 明らかに高位の武官と見えるその姿に、敵が殺到する。沈中郎将はそれを片っ端からなぎ払った。その側で戦う者達の中に、小玉の姿はない。

 最初は沈中郎将の側にくっついていた小玉だったが、彼を守ろうとする精鋭が集まってくると、小柄な彼女は押され、まれて、人の輪から軽々と押し出された。

 彼らが守るのは沈中郎将であって、小玉はそのおまけにもならないほどの小者である。むしろ邪魔者とさえ言っていい。小玉はそれに対して文句を言う資格はないし、あったとしても言わないだろう。そんな暇などなかった。

 頭にあるのは、目の前の敵をどうやって倒すかということ。そして、「来い」という沈中郎将の一言。

 思考はその二点に特化され、すでに恐怖も、他の一切の感情も感じなかった。戦場の中で小玉の頭はおそろしくえていた。


 体は鍛練の時の比ではないほど軽やかに動く。おかしい、自分の体力でここまで動けるはずがない、こんな状態、長く続きっこないと頭の隅で鳴る警鐘を無理矢理止める。


 手の震えなど、とっくの昔におさまっていた。



 さっき手入れしたばかりの槍は、敵兵の体に穂先を残して、中途から折れた。すかさずそこに突きかかってくる敵兵の槍を、手元に残った棒きれで払う。振り切る勢いを無理矢理止めて、棒きれを相手の眼球に突き刺した。絶叫。目から棒を抜こうとして倒れ込む敵兵の手から槍を奪った。その槍もまた、あっという間に役に立たなくなった。ちゅうちょなく投げ捨て、背負っていた剣を抜く。三人ほど突いて切って、手が血で滑る。服のすそたたくようにしてく。こんなことをしている暇さえも惜しかった。敵が迫ってくる。肩を切られたが、大丈夫。これぐらいならば動く。不思議と痛くない。汗が目に入り、視界がかすむ。うっとうしい。その隅で、誰かの首が飛ぶ。そんな光景、さっきからいくらでも見ているのに、意識に留まったのは見知った顔のせいか。


 ――誰だっけ駄目だ今は気にするな自分の首が飛ぶああほら危ない!



 新たな敵が目前に立った。あるいは、自分が彼の前に立ったのか。壮年とおぼしい。鍛え上げられた体が、そのかっちゅうの上からもわかる。その甲冑も、やけに立派で、おそらくは将官級の武将だった。

 本来ならば歩行で戦うようなことなどないはずの者が、なぜここに立っているのか。

 おそらく落馬したとか、馬に問題が発生したとかあたりなのだろうが、小玉にとってそんなことはどうでもよかった。


 重要なことは、相手がどう見たって自分より強いということ。


 どう攻めればいい? 目まぐるしく頭を働かせる。逃亡という選択肢が頭にちらつくが、それをいっしゅうする。背後からばっさりやられるに違いない。不意に敵将が武器を振り上げた。


 ――うそ、隙?


 いぶかしむ余裕も、わなかと疑う間もない。とにかくその隙にいちの望みをかけて、小玉は突撃しながら剣を捨てた。敵将の顔に浮かぶきょうがく。動きがかすかに鈍る。その腕をかいくぐり、小玉は相手の懐に飛び込み力任せに体当たりをした。

 さすがに不意を突かれて、相手の体がかしぐ。小玉は共に倒れ込みながら、小刀を抜き、伸び上がるように相手の首をかき切った。血しぶきがほとばしる。

 すかさず身を起こし、けいれんを起こす敵将の手から大刀を奪い取った。自分の剣を拾うより手っ取り早い。すこし自分には大きいが、ぜいたくは言っていられない。大きな武器も扱えるように訓練してもらったことに感謝だ。


 そして立ち上がり、駆ける。振り返りなどしない。


        ※


「あ、ああ……!」

 小玉はどうと倒れこんだ。

 地に伏してしまいそうなところを、手にした大刀で身を支え、なんとかひざを突く程度でとどめる。体の節々が痛い。手足が震えているのは肉体を限界以上に酷使し続けたせいだ。

 このまま眠り込んでしまいたい。その思いは、疲労からだけのものではない。

 立って歩いている者は味方のみという状態。そう、勝ったか負けたかどうかはわからないが、戦いが終わったのだ。


 夜は、とっくに明けていた。


 とてつもないあんが小玉の心に満ちる。


 ――あたし、生きてる。


 小玉は乾いた笑みを浮かべた。長く水分を補給せずにかさついた唇が引きつれて痛むが、そんなことはどうでもよかった。誰かが死んだなどということは、考えもしなかった。ただ、自分が生きていることがうれしくてたまらなかった。

「おい」

 後ろから片腕をぐいと引かれた。のろのろと目だけを向けると、そこには見知った顔があった。名前は……ええっと、誰だ。頭が働かない。沈中郎将の側近の一人。

「無事だったか……」

 相手は安堵の表情を浮かべ、また小玉の腕を引いた。

「ほら。こっちに来い」

 小玉は働かない。もう一歩も動きたくない。拒絶のために首を左右に振るのさえおっくうだ。

「お前ここでぼうっとしてると、襲われるぞ」

 襲われる……ああそう、強姦ごうかんされるとかそういうことか。


 ――いいよもう、休ませてくれるなら襲われたって。


 疲労しきった頭は、とんでもなく投げやりだった。

 相手はため息をつくと、小玉の両脇に手をかけて、体をむりやり引き起こした。そのままずりずりと引きずる。小玉は抵抗しない。相手が連れて行ってくれる分には、問題はないからだ。だが、

「閣下がお前のことを心配なさっておいでだった。来い」

 一拍どころか十拍ほどおいて、小玉は言われたことを理解する。


 閣下。

 閣下は沈中郎将さま。


 あの方は自分に「来い」と言った。自分はそれに従わなければならない。

 小玉は、自分を引きずる男の腕をぺしぺしと叩いた。

「……た……ち、ます」

 のどからしぼりだした声は、がらがらにしわがれていた。男の腕を支えに立ち上がる。そして足を踏みだそうとして……転んだ。

 生まれたての子馬。そう言えば今の小玉の状態がわかるだろう。それでもなんとか身を起こし、二、三歩歩いたが、真っ直ぐ進めなかった。

 結局。

「すいません……」

「いや、最初からこうしてりゃよかったなあ」

 男に負ぶさって連れて行ってもらった。恥ずかしくはなかったが、とてもつらかった。なにがって、眠ってしまいそうになるのを耐えるのが。



 眠気に耐えながら沈中郎将のところに連れて行かれた小玉を待ち受けていたものは、熱烈な再会の喜び……などではなかった。いや、生存を喜ばれなかったわけではない、断じて。

 ただ、沈中郎将は事後処理で猛烈に忙しく、小玉のために割ける時間も感情も少なかったのだ。小玉のほうにしても、相手はもっと喜ぶべきだと思うほど頭は悪くない。そもそも動いていない。

「無事で結構」

「ありがとうございますー」

 至極あっさりとしたやり取りの後、沈中郎将はまた方々に命令を下しながら、事後処理に奔走し始めた。そして、小玉もまた。


 小玉を真に待ち受けていたのは、後片づけである。すでに火は消し止められていたが、焦げた天幕を片づけたり、死体を運んだりと、やらなくてはならない仕事はいくらでもあるし、手は圧倒的に足りなかった。

 傷の治療を終えた小玉は、疲れた体に鞭打って、無言で仕事を始めた。ひいひい言わないのは、小玉が偉いからではない。ひいひい言うだけの余裕すらないからだ。

 それは他の者も同じであり、結果として辺りに声はほとんど響かない……いや。


「おい、お前」


 誰かが呼んだ。よく声を出す余裕が残っているなという感嘆の念より、答えなくてはならない面倒くささのほうが勝った。そう、呼ばれたのは小玉だった。

 下らない用事で呼び止めたんだったら、八つ裂きにしてくれる……心の中で。体動かしたくないからな! という気持ちで振り返ると、

しゅくあん……」

 どうやら生きていたらしい。疲労しきった顔に、血とすすが悪い意味で彩りを添えている。小玉もきっと同じような顔をしているのだろうが、その顔には小玉とは決定的に違う点があった。


 怒りである。


 叔安は、小玉の肩をつかんで言った。

「お前、あれでいいのか!?」

「はい……なにが?」

 小玉は、確かに疲労のあまり、思考が大宇宙近くをさまよっている。しかし、たとえそうでなかったとしても、まったく同じ反応をしただろう。

 彼がなんのことを言っているのか、まったく心当たりがなかった。

「お前、お前って奴は!」


 ――あんた元気だね。


 激怒する叔安に揺さぶられながら、小玉は場違いなことを考えた。それは、疲労の極致であろうに、よくぞそこまで力が残っているもんだと、感嘆すらできる勢いだった。しかし、やっぱり叔安も疲れているらしい。

 いつまでたってもお前、お前としか言わないので、なにに対して怒っているのかがさっぱりわからない。

「あの、ごめん、やめて」

 揺さぶられすぎて、なんだか気持ちが悪くなってきた。自分の襟元を掴む叔安の手を引きはがす。

「『あれ』ってなに? なんのことか、ほんと、わかんない」

「手柄横取りされて、なんも思わないのか!?」

「……手柄?」


 小玉は首をかしげた。ますます心当たりがない。


「……本当に覚えてないのか?」

「うん」

 完璧かんぺきに困り切った様子の小玉に、叔安も勢いを緩め、確認の態勢に入る。

「お前、敵の偉いやつ倒したろ」

 それは……、

「それは気のせいでしょ」

 小玉はきっぱりと言った。まるで記憶にございません。しかし、叔安は更にきっぱりと言った。

「いや、間違いない。俺は見てた」

 ……じゃあ、問いかけの形を取るの、やめといたほうがよかったんじゃないですかね。なんとはなしにいらっときつつも、小玉は再び否定した。

「混乱で、誰かと間違ったんだと思う」

「絶対ない。だってお前、相手倒した後、そいつの剣奪ってたろ。今持ってるやつ」


 ……そういえば。

 なんの疑問も持たずに背負ってしまっているが、今身につけている剣は、明らかに小玉のものではない立派なものだ。しかし、自分の官給品からなにをどう変遷して今に至ったのかは、まるで思い出せなかった。

 だから、こういうのも成り立つ。

「奪った人が落とした後、あたしが拾ったという説はどうだろう」

「いい加減、観念して思い出せよお前」


 叔安が、小玉はいかに敵将を倒したのかということを事細かに説明してようやく、本人はなんとなくだが思い出すに至った。


「よく覚えとく余裕あったね。あたし、目の前の敵倒すので精一杯だったよ」

「お前のいた辺り、近寄りたくないくらい激戦だったからな」

 高位の武官である沈中郎将には敵が群がっていた。その辺りをうろちょろしていた小玉は、格好の標的だったらしい。

 なんの間違いか、ことごとく返り討ちにするか逃げ延びて生きているが、沈中郎将から離れて戦っていたほうが、生存確率はもっと高かったに違いない。

「…………」


 ――いやでも、中郎将さまは「来い」って言ってたし。うん、まあ……いいことにしておこう。


「で、その……横取りってなに」

 そう、話は小玉が敵を倒したかどうかでは終わらない。重要なことがまだ説明されていなかった。

「倒したやつ放っといたせいで、他のやつがしるしをあげて自分のものにしちまったってことだ!」

「ああ、そういうことなんだ」

 口にするのも忌々しいといった様子の叔安に対して、小玉の返事はしごくあっさりとしたものだった。

「…………」

 そんな小玉に、叔安は信じられないものを見る顔つきで押し黙った。そして小玉の顔をうかがい、そこになんの衝撃も無いのを見て、不愉快そうにまゆひそめた。

「怒らないのか、お前」

「いや、別に……欲しい人は持っていけばいいんじゃないかと思……」

「お前、最低だな」


 最後まで言わせてもらえなかった。


 思いも寄らないことを言われて、小玉の口は「も」の音を発し終えた形のまま固まる。そんな彼女に、叔安は吐き捨てるように言った。

「軍隊を本当に腐らせるのは、お前みたいな奴なんだ。くそ、忠告して損した」

 そうしてきびすをかえし、叔安はずかずかと足音高く立ち去っていった。小玉は目をぱちくりさせ、その姿を見送る。そうして、「も」音の唇の形のまま、小首をかしげた。

「…………?」

 自分はなにか、間違ったことを言っただろうか。小玉はなぜ叔安が怒ったのか、まるでわからなかった。

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