第12話 戦場の中の女――意外と大活躍


 ――今日も前線には行かなかった。


 しょうぎょくはそう思いながら、弓の訓練をする。戦場でも訓練を怠ってはならない……というより、そうでもしていないとふとした瞬間に、恐怖にとらわれるのだ。


 人が殺されて、死ぬのを目の当たりにする。

 そう思っていた。いずれそうなるだろうが、幸か不幸かまだそうなっていない。

 

 無心に弓を引いているうちに、小玉は弦が伸びているのに気づいた。かがんで弦を交換し、立ち上がろうとすると、

「うわっ」

 不意に背後から焦った声が聞こえた。


「え?」

 慌ててその体勢のまま振り向くと、その拍子に背負っていた剣で相手の足を見事に払ってしまった。

「いっ……づ!」

「わ、ごめん!」

 さすがに転びはしなかったものの、痛かったらしい。もものあたりをさする相手は、小玉の同輩の従卒仲間だった。


「……というか、最初の『うわっ』って何があったの」

「お前な……」


 たまたま小玉の背後を通ろうとしたとき、立ち上がりかけた彼女の剣が突き出され、思わず声をあげてしまったのだという。

「あー、それもごめん。本当にごめん」

「いや、わざとじゃねえからいいんだけど、お前、これ邪魔だよ。外せば?」

「だよなー」と、同意する声が右方から聞こえる。これ、というのは小玉の背負う剣のことである。彼がそう言うのも無理はなかったが、小玉は外す気はさらさらなかった。

「さすがに腰にいてる訳じゃないんだし、これくらいは」


 だってここ、後方とはいっても戦場である。



 派兵の決定から実行までの間は驚くほどに短かった。遺書を書いてもらってから一月も経たないうちに、小玉はせっせと国境へと行軍することになった。実家に出した手紙は、多分まだ届いていない。手紙を託したのが流れの行商さんなので、そもそもいつ届くのかもよくわからない。


 そして戦端もあっさりと開かれたのだが、小玉はまだ誰も殺していないし、誰にも殺されそうにはなっていない。小玉を含む従卒仲間たちは、高位の武官に付き従っているということもあってか、前線に送り込まれることはない。戦闘中はもっぱら後方で待機することになっている。

 もっとも、のんびり休む暇がある訳ではなく、訓練の合間にありとあらゆる雑用にかり出されてはいる。というか、雑用の合間に訓練をしているといったほうが正しい。そしてそんな中、小玉は意外に重用されていた。


 戦場では女手が不足する。女性の士卒も従軍してはいるのだが、数は少ない。その中で後方の業務に専従している者は更に少ない。したがって、手すきの男性が炊事、洗濯その他の作業を行うが、普段やりなれていないことなので、効率はあまり良くないし、完成度も低い。

 それに対して、小玉はこれでも一応、嫁入り直前まで話が進んだ娘である。一流とは言い難いが、一家の主婦としてやっていく上で恥ずかしくないだけの技量は持ち合わせていた。

 したがって小玉は、身につけたまま廃れていくのではと思っていた花嫁修業の成果を、思う存分発揮していた。まさに、「大活躍」という言葉が相応ふさわしい。

 まさか、ちょっとつくろい物をしてやっただけで、これほどまでに喜ばれる日がくるとは思っていなかった。そしてお礼には何故かまた、あめである。


 まあ、「女なんだからお前がやって当然」と、自分に割り振られた雑務を押しつけてこようとするやからがいるのにはむかっ腹が立つが、そこらへんはなんとかかわしているのでいい。たまに失敗するが。


 さて、ちょこまか動くとなると、身軽にしておいたほうがいいのは当然のことである。そして後方で待機して数日。危険なことは何も起こらない。

 周囲では徐々に気がゆるみ始めている。

 雑用に従事する者たちは、すでに武装を解いている者が多い。小玉の従卒仲間もほとんどそうである。ほとんどというか、いまだに律儀に完全武装しているのは、小玉としゅくあんの二人だけである。

「警戒しすぎじゃねえ? ここに敵が来るわけないだろ」

 あきれ顔で言い放つ相手に、小玉は困り顔で言った。

「あたしにしてみると、敵が来ないと言い切るのも、ちょっと……」

「でもお前、遺書といい、心配しすぎだと思うよ」

 しん中郎将に遺書を書いてもらった。そう言うと、同輩達に笑われたのだ。これについては、叔安にも。

「初めての戦だからって、そんな気負わなくてもいいと思うんだけど」

 そういう彼らは、盗賊の討伐などには参加したことがあったのだが、全くの無傷で終わったのだという。それと戦は違うのではないかと小玉は思い、すぐさま自らの考えを一部訂正する。


 いや、同じだ。たとえこれが盗賊の討伐だったとしても、戦だったとしても、油断をしてはならないのではないかと思う。何が起こるかわからないのだから。

 かつて小玉がいた場所は後宮の近辺だった。軍内で一、二を争うほど危険の少ない場所であったにもかかわらず、小玉はそこで生命を脅かされ、そして人を殺した。

 むろん、あんなことがそうそう起こるわけはないということは、わかっている。だが、起こらないとは言い切れない。

 まして、ここは後方とはいえ戦場だ。後宮の周辺などよりずっと、死の可能性が高いに決まっている。それをどうして否定できるのだろうか。敵の思考を読めない限り、油断すべきではない。そもそも下っ端の小玉たちは、味方の作戦行動自体、全て把握しきっていない。


 例えばの話である。

 あくまで例えばだが、今ここで敵襲があったと仮定しよう。

 そうなると、残っている人間だけではここは支え切れず、この部隊はかいするだろう。運良く逃げ出せたとしても、その後どうすれば助かるだろうか。沈中郎将などが率いる前線部隊が襲撃された後方部隊を見限り、移動してしまった場合、最悪自力で合流しなければならない……。


「お前、よくそこまで悲観できるな」

「……否定はしないけどさ」

 小玉にしたって、自信を持って武装している訳ではない。経験が少ないうえに、その数少ない経験があまりにも特殊だったから、もしかしたら従卒仲間の言うとおり、自分は考え過ぎなのではないかと思うこともある。同時に、そう思うのは自分の願望のあらわれなのではないかとも思うのだ。

 揺らいでいるのなら、とりあえず武装はしとこう、安心だし……というくらいの考えである。



 それにもう一つ、武装を解かない理由がある。というか、最初の理由よりはるかに単純だが、実はこっちの理由のほうが強い。


 沈中郎将は派兵の前に、小玉にこう言った。

「いいか、小玉。戦の最中は、気がたかぶるせいで不届きな輩が現れやすい。たとえお前でも襲われる可能性がある。決して一人になるな。警戒も怠るな。武器は必ず身につけていろ」

 小玉の両肩をつかんで、それはもう真剣に。小玉は「たとえお前でも」という言葉に失礼さではなく、真実味を感じた。

 それは好きな人の言葉だからという以前の問題だった。

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