第7話 当人そっちのけで決まる進退

 りゅう隊正たいせいにどんなことを聞かれたのか報告し――途中で彼女が青ざめて腹を押さえたのが気になるが――小玉しょうぎょくはつつがなく自室に戻った。

 そしてれんにさっき会った性別不詳の麗人の話をしたら、どうやら彼女はその人を知っているようだった。そして彼女から教えてもらったことに、小玉は驚き目を見張った。

宦官かんがん? あの人が?」

 びっくりした小玉を見た阿蓮もまた、驚いた顔になった。

「そうよ。というか、しん中郎将さまのこと、あんた知らなかったの?」

 有名な方だよと言われ、へえと生返事をする。脳裏にはつい先ほど見たぼうが浮かぶ。男性的でもあり女性的でもあった姿。



 宦官とは、去勢された男性官僚のことだ。官僚といっても、彼らが司るのは表向きの政治ではなく、後宮での諸々もろもろの業務である。

 男性皇帝の時代においては完璧な男子禁制の場になるこの世界では、宦官という存在はなくてはならない。

 しかし、皇帝の妻の側近くに仕え、時には皇帝の生活の世話さえもする彼らは、大きな実権を握りがちであり、結果として専横を招いた例がままあった。

 ずっと未来の話になるが、小玉の死から約百年後にこの大宸だいしん帝国は二度目の滅亡を迎える。その原因の一つは宦官による国政の乱れであった。


 しかしその中でもごくわずかであるが、忠臣として名を残した人物もいる。その中の一人が沈賢恭けんきょうである。

 先ほど必死に笑いをこらえてかん小玉の実家からの手紙を読み上げ、最終的には笑いに負けた人物ではあるが、彼はのちに「最後の忠良な宦官」とまで呼ばれるほどの人物である。


 宦官としては珍しく武勇にすぐれ、武官として多大な功績をあげた。しかし、本来後宮の業務に専念すべき存在が職分から逸脱したところで功績をあげたために、宦官が重用されるようになった。それを考えれば、結果として沈賢恭は大宸帝国滅亡の遠因になったともいえる。

 もっともそれは、個人の功績を宦官全体に投影して、宦官を重用した者の責任であるともいえる。別に彼は、宦官だから有能であったり忠良であったりしたわけではないのだから。


 ……などという話は置いておいて。


 小玉が阿蓮からの話を聞いて考えたのは、「欲しい物はないか?」と聞かれた時、「性別教えてくださいって言ったらまずいかなー」とちらっと考えた自分は正しかった、ということである。

 宦官に性別を聞くほどまずいことはないとされる。性の象徴を切り落とした彼らは、なぜか感情の起伏が激しい者が多く、自らの性別について触れられると激昂げきこうする場合がままある。宮城での慣例に明るくない小玉ですらこのことを知っているのだから、相当なものだ。


 もっとも、たとえ宦官であろうがなかろうが、性別を尋ねるのは失礼なことであるに違いない。良識に従って変なことを頼まなくてよかったと、小玉はしみじみ思った。


 もちろんこの時、彼女は別件で自分がとんでもなく無礼なことをしたことを、まだ分かっていない。



「あ」

 唐突に阿蓮が声をあげた。小玉が彼女のほうを見ると、阿蓮はぱっちりとした目を向けて尋ねてきた。

「それで、手紙は読んでもらえたの?」

「あーそのことね……」

 小玉の返事は歯切れが悪い。

「あれ、読んでもらえなかったの?」

 意外そうな顔での問いに、小玉は苦笑しながら手を横に振った。

「いや、そんなことないよ」

「そう?」

「うん」

「じゃあ、なにか悪い知らせとか?」

「それもない。全然」

「ふうん」

 それで話は打ち切りになった。



 小玉は自分の寝台に寝転がり、手紙を広げた。自分にはまるで読めない黒い線が行き来しているが、この線のどれかが義姉の懐妊を伝えているのだと思うと不思議な気持ちになる。


 阿蓮に嘘はなに一つ言っていない。手紙に書かれていたのはむしろめでたい話だ。


 しばらくそれを見つめて、小玉は深くため息をつくと、手紙を胸に押し当てた。おいめいが生まれるのがうれしくないわけではない。というか、すごく嬉しい。ただこうなったからには、実家にいよいよ戻れなくなったよなあと思うのだ。


 兄夫婦にこれから子が生まれる。その子にはなんの憂いもなく育ってほしい。それは不可能に近いことではあるが、そう思って動くことはできる。自分に対して両親や兄がそうしてくれたように。

 だから……実家に帰ることはすっぱりとあきらめなくてはならない。小玉はそう思った。自分という迷惑の種が兄夫婦のところに転がり込むことは、断固として避けるべきだと思った。

 自分はここでなんとか生きていかねばならない。それは小玉にとって、もはや確定した事実だった。


 けれども、と小玉は自分のことを複雑に思う。

 帰りたかったことを、あきらめられた自分がまるで自分ではないようだった。思えば自分は元許婚いいなずけの件だって、それに付随する事柄のほうに頭を悩ませて、破談自体を最後まではひきずっていなかった。

 そんな自分はどこかがおかしいのだろうか。それとも、嫌なことは三歩歩いてすぐ忘れる頭なだけなのだろうか。どちらにしても嫌なことである。


 小玉には自分自身がどういう人間なのだかわからない。そんな自分が自分の生き方を見つけることができるのか怪しいもんだな、と小玉は苦笑いをした。


        ※


 そのころ、沈中郎将の前で、柳銀葉ぎんようは平伏していた。

 理由はもちろん、部下の失態を全身全霊で謝るためである。


「ひとえにこれは私めの監督不行き届きであり、あの娘の落ち度ではございません。どうか罰をお与えになるのであれば、私が……」

「いい、構うな」

 沈中郎将が銀葉の言葉を遮る。彼の言う「いい」がどういう意味かはかりかねて、銀葉はおそるおそる顔をあげた。

 そして彼の表情にわずかな笑みが浮かんでいるのを見て、全身が虚脱するような安堵あんどを覚えた。

「知らなかったのであれば仕方ないだろう。これでもし分不相応な褒美を願ったのであれば、後々のことを考えて罰を与えたほうが本人のためだろうが……」

 ここで沈中郎将は、小玉とのやりとりを思い出したのか、片手を口に当てて軽く吹き出した。

「まさか手紙とはな……」

 そのままくっくっと笑う。銀葉は声をはりあげた。

「もう今後は、この私が専任で読みますし書きますので! 本人にも真っ先に持って来るよう伝えます!」

 なんだかもう、自分自身も恥ずかしかった。しかし、次の沈中郎将の言葉に、銀葉はげんな顔をした。

「いや、それはいい」

「……あの、それは、どのような意味でしょうか」

「あの娘、次のもくから私に預けないか」


 銀葉は目を見張った。


 沈中郎将はかすかに微笑んで言う。

「あの娘は面白い娘だな。ずいぶんと『健全』に育ったようなのに、『不健全』なことをしても引きずらない。腕前も、訓練を始めた時期を考えれば、驚くほど伸びがいい。聞けばお前がずいぶんと目をかけているそうだな。その理由もわかるというものだ」

「……恐れ入ります」

 やはり自分が小玉の手柄を横取りしようとしている可能性を考え、銀葉の周辺を調べていたらしい。恐ろしい人だなと銀葉は腹の中で思いながら頭を下げる。

 探られていたことに怒りは覚えない。負の可能性があるならば、それを調査するのは当然のことだ。

「実は私もいい加減従卒を持たなくてはならないので、若い兵卒を探していた」

 銀葉は言葉に迷いながら、口を開いた。

「……あの娘は、実はかなりそそっかしいです」

 おすすめはしないというような言葉に、沈中郎将がおやという顔をする。

「なんだ、手放しがたいのか?」

「正直なことを申しますと……おっしゃるとおりです」

 沈中郎将に銀葉は素直にうなずいた。それはもう少し自分の手元で育てたいという、一種の親心によるものだ。そしてもう一つ、

「閣下にお任せしましたら、あの子は戦場に出ますね?」

 純粋に彼女が心配だからという理由もあった。おかしなものだ。いずれ彼女がそうなるだろうと思って育てたのに、いざその予想が現実味を帯びると、こんな態度をとってしまうとは。

 銀葉の確認に、沈中郎将はまゆをかすかに動かした。

「おそらくな」

 あいまいな表現ではあるが、今の世情では確実にそうなるであろうことを、問われたほうも答えたほうもわかっていた。


 銀葉はため息に近い息を一つ吐き、一礼した。

「……お任せします。閣下でしたらあの娘をよく育ててくださると思います」

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